「キラキラ」チアとの出会い 元中央大ソングリーディング部 大嶋夏実1
連載「私の4years.」6人目は、元中央大学ソングリーディング部の大嶋夏実さん(25)です。ソングリーディングとは、チアリーディングから派生したチアダンス競技。ダンスを習っていた大嶋さんのチアとの出会い、大学生活。そして現在さらに挑戦しようとしていることまで、5回にわたってお届けします。
キラキラした高校生活にあこがれて
おそろいのピンクのジャージを着て、チームバッグを持って、授業終了のチャイムとともに練習へと向かう集団。彼女たちを見て「私もこんなにキラキラした高校生活を送りたい」と直感的に思ったのが、私とチアとの出会いでした。
9歳のころに地元・埼玉のダンススクールに通い始め、ストリートダンスをはじめとするさまざまなジャンルのクラスで、中学までは「個」としてダンスを極めていました。受験を経て、中央大学附属高校に入学。高校でもダンスを続けようと思っていたのですが、入学して早々に、「songleading」部の先輩方が朝から練習している姿、周りの人たちからの人気、キラキラに映る生活……。私は完全に心を動かされました。
1軍メンバー落ちで闘志に火がついた
とはいえ、こんな感情もつかの間。体験入部に行ってみると、やはり強豪チームなだけあって、練習はキラキラしているわけもありません。ピリッとした雰囲気と、「チーム」での演技上の統一感、精神面のトレーニングも含め、いい緊張感と厳しさが同居した練習が始まりました。チームでの活動も、上下関係のある団体へ所属するのも初めてだった私は、そんな規律の厳しさに新鮮味と愛おしさを感じ、体験入部の終盤には入部の意思を固めていました。入部後は自分の居場所ができたことがうれしくて、どんどんチアにのめり込んでいきました。
そんな喜びもつかの間。入部して間もなくのオーディションでは、1軍のメンバーに入れませんでした。私がいままでのチア人生で1度だけ、1軍のメンバーから落ちた経験です。そもそもチアは初めてだけど、人よりダンススキルには自信があったので「なんで?」と困惑しました。しかし、理由は明確。練習に臨む姿勢や考えが甘すぎたのです。困惑はすぐに闘志に変わり、バレエやダンス出身で同じ境遇にあった2軍メンバーと励まし合いながら、誰よりも先に来て、誰よりも遅くまで練習する生活が始まりました。
あの悔しい経験なくして、いまの自分は存在しないと思ってます。
学業との両立「量で勝負」と決めた
とはいえ部活動だけに熱中しているわけにもいかず、さらなる壁が立ちはだかりました。勉強です。優秀で要領のいい仲間たちに圧倒されたのを覚えています。そんな環境の中で、要領が決してよくない私は、部活動においても学業においても「量で勝負するしかない」と心に決めました。
当時実家から高校までの所要時間は2時間でしたが、誰よりも先に練習に取りかかるため、毎朝5時に起き、始発に乗り、学校に着いたらすぐに3kmのランニング。その後、講堂のガラス扉を鏡代わりにして、授業開始10分前のチャイムが鳴るまで自主練をしていました。
チームの名前を背負っていることもあり、学業面もチーム全員での連帯責任。加えて、中央大学の附属高校だったため、すべての試験が大学進学のための成績に関わってきます。「大学で法学部に進学する」と決めて附属校に入学したので、甘えを一切なくして、勉学にも取り組んでました。部活を午後9時に終え、家に帰ると殴り書きしたノートを清書して、その日のうちにクリアにする。その日にどうしてもできなかったときは、週2日あったオフの日に必ず終えるようにしていました。
自由な校風の高校だったこともあり、周りには本格的に部活動に取り組む生徒はあまりいませんでした。テスト前はとくに、周りが勉強している中で部活に行かなくてはならないため、遅れをとってしまいます。とはいえ部活動も負けたくない、誰よりも練習する、誰よりも走りこむ。そんな生活は「つらい」のひとことでした。「次の大会が終わったらやめる」と、帰宅後に母に当たった日も多かったそうです。そうです、というのはあまり自分では覚えてなくて、いまになって母に言われたりしてるからなのですが……。
いまだから言えることですが、部活がオフの日にもチームメイトとの遊びなどをすべて断って、練習をするか、帰宅しては机に向かってた日も多かったんです。それでも悔しさや負けず嫌いな思いばかりが勝って、ただひたすらに部活か勉強か、を繰り返す毎日でした。プライベートでいわゆる高校生らしい生活ができるようになったのは、法学部進学のめどがある程度立ってきてからでした。
つらくてもがんばれた理由
高校時代を振り返ると、まず「つらかった」のひとことです。なぜあんなにがむしゃらになって踏ん張れたのかと考えると、勝つ喜び、目標を達成したときの喜びが言葉にできないほど気持ちよかったこと、そして応援してくださる周りの方々の支えがあったこと、そしてなにより初めてできた「チームメイト」がいてくれたからです。
私の所属していたチームのコーチは、自分たちで目標設定をさせてくださるコーチでした。そもそもダンス出身で、チアダンスを知らなかった私は、どこが強豪で何が加点になるのかさえわからず、メンバーと「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤を繰り返す毎日でした。目標や課題を与えられるのではではなく、自分たちで設定して、それを達成するための道筋を立てるのは、当時のコーチから学んだことで、その方針はいまや講師も務める私の中にも根づいています。
ずっと「個」で極めていた私に、チームで達成することの喜びを教えてくれたのは大好きなチームメイトでした。先輩方には体育会ならではの上下関係、礼儀やチアリーダーとしてのマナー、作法、スピリット、学業との両立など、さまざまなことを学び、後輩には食らいつくことの大切さを学びました。そして同期には、一人残らず全員でレベルアップをすること、レベルは常に上に合わせること、つらさの先には最高の景色が待っていること、そして、絶対にあきらめないことなど、一人だったら気づきもしなかったことを学ばせてもらいました。とくに忘れられないのは、大会の順位発表の前に全員で手をつないで祈り、目標順位の1位でチーム名が呼ばれたときの喜びです。あの感動は常に、つらいときに踏ん張る力のみなもとになりました。
こうして高校を卒業するときには、入学の際に思い描いていた「キラキラ」した姿にさまざまな意味で近づけたと思うのですが、ここから始まる大学生活ではさらに泥臭く、「ギラギラ」した生活が待っていました。