誰よりも早慶クラシコを待ちわびる男、早大“5年生”FW蓮川雄大
7月12日、神奈川・等々力陸上競技場で早稲田大学と慶應義塾大学のサッカーの定期戦「早慶クラシコ」があります。事前の話題第三弾は、早大のただ一人の“5年生”の物語です。
4年間、まともにサッカーができなかった
早大ア式蹴球部からは今春、FW岡田優希(FC町田ゼルビア)、MF相馬勇紀(名古屋グランパス)、DF冨田康平(京都サンガF.C.)、GK小島亨介(大分トリニータ)の4人がプロ入りした。彼らと同期のFW蓮川雄大(FC東京U-18)も、入学当初は卒業後にプロ入りするイメージを持っていた。しかし彼はいま、5年目のシーズンを送っている。
蓮川は4年間、けがが絶えなかった。それも、大けがばかり。1年生の秋、2年生の年末、4年生の夏……。大学に入ってから、まともにサッカーができずに4年間が終わった。
FC東京U-18時代の蓮川は、スピードと決定力を兼ね備えたストライカーとして、その名を轟(とどろ)かせていた。FC東京のトップチーム昇格への道がなかったわけではない。それでも自らの成長を考え、早大進学を選んだ経緯がある。やり切れなさがあっても無理はない。早大での4年間は終わったが、蓮川はもう1年、大学サッカーに身を置くことにした。
「プロを目指すんだったら、どこかのクラブに所属する必要があります。でもあのまま卒業して拾ってくれるところがあるのかと考えたら、正直厳しい。そこで、早稲田のア式蹴球部にもう1年所属するという選択肢が出てきたんです。スタッフの方が関東大学連盟に確認をとってくれて、プレーするのに問題がないことは分かったんですけど、後輩しかいないチームの中に自分が入っていく不安や、後輩やスタッフのみなさんがどう思うのか、という思いもありました」
けがを避けるため、旧型のスパイクを使用
だが、それは杞憂にすぎなかった。蓮川は言う。
「新3年生の幹部や外池(大亮)監督、スタッフの方々に相談したら『一緒にやろう』と言ってくれたんです。そこで自分の中の引っ掛かりが取れたというか、挑戦しようという思いにつながりました。初めは気を遣うんじゃないかなと考えてたんですけど、その心配なくスムーズに新チームに入れました」
蓮川は留年する形でア式蹴球部に籍を置いている。大学へは実家から通い、練習に参加。授業はなく、練習以外の空き時間にはコンディションを整えるためのトレーニングを欠かさない。できるだけ、けがのリスクを避けたいという思いは、高校時代に履いていた旧型モデルのスパイクを使っていることからもうかがえる。体のケアにかける時間や労力は「いままでのサッカー人生で一番」だそうだ。
早慶戦といえば盟友・相馬との思い出
幸い、今シーズンはこれまで大きなけがはない。関東リーグの前期は8試合中7試合に出場し、1得点。目下の目標は、過去4年間で一度も出るチャンスのなかった早慶クラシコへの出場だ。伝統の一戦への思いを尋ねてみると、同期の相馬とのエピソードを持ち出した。蓮川にとっての相馬は「人一倍、僕のことをライバルだと思ってくれた仲間」だという。その相馬が昨年の早慶クラシコでとった行動が、蓮川の脳裏に焼き付いているという。
「僕は去年の早慶戦の前日に手術したんですけど、相馬はそれを知ってたので『アイツのために戦いたい』って、みんなの前で言ってくれたんです。同期で寄せ書きをしてくれたインナーシャツを着て早慶戦に出て『点を決めたらユニフォームを脱ぎたい』って。ゴールはできなかったんですけど、試合後のインタビューにはインナーシャツ姿で出て、その話をしてくれました。あいつは仲間思いのところがあって、僕に気を遣ってくれてたんですよね」
ライバルであり親友でもある相馬は、蓮川とは対照的に順調な4年間を歩み、プロになるという夢をかなえた。蓮川は「めちゃくちゃ悔しい思いもしました」と言う一方、「(相馬は)プロから声がかかるだけの活躍をしてました」とも。刺激し合えるチームメイトがいたからこそ、大けがを負ったときも「復活して活躍したい」と思えた。そして今度は、自分が躍動する姿をかつての仲間へ届けるつもりだ。
「ほんと最高だよ。来年一緒に出ようよ」。1年生の時、早慶戦に出た相馬からそう言われた。以来、蓮川に芽生えた「早慶戦のピッチに立ってみたい」という願いは、5年目にしてようやく成就しようとしている。