ラクロス

特集:第11回ラクロス全日本大学選手権

関東、関西勢以外で初の決勝の舞台、東北大のふたりの4年生ゴーリーが見た景色

東北大は3人のGが競い合い、全学決勝には田村が出場した(撮影・藤井みさ)

ラクロス第11回全日本大学選手権 男子決勝

12月1日@東京・駒沢オリンピック公園陸上競技場
東北大(2地区予選勝者)1-6 早稲田大(関東1位)

過去10大会、全学の男子決勝はすべて関東勢と関西勢の顔合わせだった。ついに今年、東北大が準決勝で関西学院大に勝ち、歴史を変えた。初めての舞台に立った東北大はチャレンジャーとして早稲田との大一番に臨んだが、1-6の完敗。それでも東北大の選手たちはお互いをたたえ合った。

男子は早稲田が2年連続の大学日本一 「ONE TEAM」で真の頂点を目指す

「日本一のショットを受け止めてみたい」

試合開始2分30秒、早稲田の小林大祐(3年、早稲田)に先制シュートを決められた。さらに早稲田の主将である青木俊汰(4年、早大学院)に追加点を許し、第1クオーター(Q)を0-2で終えた。東北大はパスをつないで攻めたが、早稲田のディフェンスを崩せない。相手の速攻や多彩な攻撃を防げず、試合残り10分で0-6とされた。なおも早稲田に攻め込まれたが、東北大のディフェンス陣が意地を見せ、早稲田のシュートコースを限定。G(ゴーリー)の田村怜於(4年、東京学芸大附)が好セーブを連発した。そして試合残り6分、東北大の日野康平(4年、市浦和)のパスが主将の浅野勇磨(4年、東葛飾)に通り、浅野が決めて待望の1点が入った。このまま試合は終わった。

関学を破った準決勝のあと、東北大の選手やスタッフたちは涙で勝利をかみしめていた。決勝を終えた選手たちの表情は、どこか晴れやかだった。仙台から東京まで応援に駆けつけてくれた人たちを前にして、浅野は「東北大学はここから日本一になります。これから先も応援をよろしくお願いします。今日はありがとうございました」とあいさつし、すべてを後輩たちに託した。

初めての全学決勝は完敗だった。この経験が来年の挑戦につながる(撮影・松永早弥香)

6点を奪われはしたが、田村の好セーブが会場を沸かせた。「日本一のショットを受け止めてみたい、という気持ちで臨みました。自分が止めれば勝てるし、止めないと負ける。信頼できるディフェンスがいてくれたので、相手のシュートも僕が止めやすいところで打たせてくれました。それでも僕が止められなかったのが一つの大きな敗因でしたけど……。でも、とても楽しい試合でした」。田村は最初で最後の学生日本一をかけた試合を、チームのため、同期のG大野剛史(畝傍)のために戦った。

浪人中に20kg増、走って戻し、筋肉でプラス8kg

田村は小学校のときは野球をしていたが、中学受験をきっかけにやめた。小学生のころから身長164cmと大きかったため、中学校ではバスケ部に入り、センターを任された。しかし、それ以上は伸びなかった。一方で、周りの仲間たちの背がどんどん伸びていく。アドバンテージと思っていた自分の身長が、次第にコンプレックスになっていった。「だったら身長が低くてもできるスポーツを」と考え、高校から柔道を始めた。これまでさまざまなスポーツに取り組んできたが、どれも地区予選で敗退。部活は楽しむもの、という意識が田村にとっては強かった。

1浪の末、東北大に合格。田村の体重はこの1年で20kgも増えて85kgに。体育会でスポーツをするかどうか悩んだが、現役で東北大や早稲田に進学した高校時代の友だちで、ラクロスを始めた人が複数いた。「これも何かの縁だろう」と考え、田村はラクロス部に入った。

背が高くなくてもGはできるというのも、田村(5番)がGを志した理由の一つだ(撮影・松永早弥香)

大学でも身長の問題はついて回ったが、それ以上の問題が体重だった。身長164cmで体重85kg。ふっくらとした体形の田村に、先輩が勧めてくれたのがGだった。走り込みを始めるとすぐに体重は65kgまで戻ったが、それだけではGはつとまらない。そこからは筋力トレーニングに励み、筋肉で体重が73kgまで増えた。

競い合ってきた大野のためにも全力で

そして迎えた最後のシーズン。東北大には力の拮抗した3人のGがいた。3年生の針生輝希(仙台二)と4年生の田村と大野だ。田村と大野は競り合うようにして成長を続けてきた。しかし昨シーズン、高校時代にハンドボールでヘルニアを患っていた大野が一時プレーできなくなると、田村がAチームに上がった。

大野は「3年生でAチームだった方が自分たちの代で幹部をやろう」と心の中で決めていた。それを目標に練習を続けてきたが、夏の直前に田村がAチームになったことで「幹部は田村で、自分は裏で支えられたらいいのかな」と思うようになったという。上の代が引退し、背番号を引き継ぐとき、田村も大野も、希望したのはレギュラーのGだった先輩の5番だった。大野はこのとき「幹部のヤツが5番をつけるべきだ」と、田村に譲った。

今シーズンは針生も含めた3人で出番を回した。コーチとポジションリーダーの田村が中心になり、誰が出るかを決めていた。弓削多春貴ヘッドコーチ(大学院2年、浦和)も「本当にいい意味で拮抗してたんで、その日の調子を見て見極めてました」と言う。全学に調子を合わせてきたのが田村だった。準決勝でも関学の猛攻を食い止め、東北大に勇気をもたらした。

準決勝から1週間。決勝を前にして、田村は誰がGとして出場するかを大野に切り出せなかった。コーチとも相談し、針生には直接「ベンチを頼む」と伝えたが、大野の気持ちを考えると何も言えなかった。そんな田村の思いを察し、大野から「俺、ベンチだよね? 」というLINEが届いた。結局、コーチから「Gは田村でいく」と伝えてもらった。田村は言った。「ポジションリーダーとして失格だなと思いました。大野がすごく練習するから、僕も負けちゃいけないと思って練習して、ここまでこられたんです」。大野のためにも、絶対に情けないプレーはできなかった。

絶対諦めない。Gを任せてもらった田村の、精いっぱいの思いだった(撮影・松永早弥香)

ベンチに回った大野は仲間を全力で応援したいと思う一方で、どうしても悔しい気持ちがぬぐえなかった。

「悔しいという言葉しか出てこないんですけど、でもチームメイトとずっと一緒に練習してここまでこられたことは、本当によかったなと思います。正直、いまは悔しいと思う気持ちの方が大きいんですけど、長いスパンで見て、やっぱり4年間やってきてよかったなと思えたらいいな。ベタですけど、田村にもありがとうと伝えたいです」

口にした言葉がすべてでないことは、その涙からも痛いほど伝わってきた。互いを認め合い、ともに4years.を戦い抜いてきたからこそ、喜びも苦しみも味わった。「あの日々があったからこそ」。4年間よりずっと長い人生で、笑顔でそう言える日がきっとくる。

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