陸上・駅伝

連載:M高史の走ってみました

北京五輪マラソン代表の尾方剛監督が率いる広島経済大学で走ってきました!

広島経済大学陸上競技部の練習を取材させていただきました

「M高史の走ってみました」です。広島経済大学陸上競技部の練習を取材してきました。全日本大学駅伝に22回の出場、出雲駅伝に18回の出場を誇る中四国地区の強豪です!

樽本監督は元「日本最高記録」保持者 杜の都初出場の兵庫大で走ってきました!

栄光と挫折を知る尾方監督

メインキャンパスは広島市安佐南区にあります。大学の手前の坂道を上りきると正門があります。正門を入ると、さらに急な上り坂が延々と続きます!

「あれ?ここは箱根駅伝の5区だっけ?」と錯覚するくらい(笑)。通学するだけで鍛えられそうなキャンパスです! 約1kmにもおよぶ上り坂が終わると、木々に囲まれた鮮やかなブルーのトラックが見えてきました。

広島経済大学陸上部を指導しているのは尾方剛監督(46)です。2012年5月1日に就任されました。

監督就任8年目の尾方剛監督。マラソンや駅伝の解説者としてもおなじみですね

尾方監督は現役時代、栄光と挫折の両方を味わいました。

広島県立熊野高校時代は3年生の国体10000mで2位に入ります。29分12秒43のタイムは当時の高校歴代3位でもありました。同学年には市立船橋高校(千葉)のエースとして大活躍した渡辺康幸さんがいました。

「康幸と勝負したいと思いました。康幸が早稲田だったので、自分は山梨学院へ進みました」

山梨学院大学では2年生のとき、箱根駅伝の10区で区間賞の走り。当時の大会新記録のタイムで総合優勝のフィニッシュテープを切り、周囲からの注目や期待が一気に高まりました。しかし、その後はけがや全身脱毛症で、一転して苦しい大学時代になります。

「脱毛症の影響で帽子をかぶってたんですけど、『帽子をとれ』と言われたこともありましたね。人と会うのも嫌で、親も心配してました」

苦しい学生時代を支えてくれたのが、山梨学院大学時代の上田誠仁監督です。尾方監督は上田さんについて「教育者です。競技だけではなくて、人としてどうあるべきか指導されていました。そして、理路整然と話される理論派な方でもありました」と、当時を思い出しながら語りました。

走って苦しいのはうれしい

大学卒業後は中国電力で競技を続けました。

「中国電力に入っても、最初はボロボロで走れない状態でした。『箱根で勝った』というプライドだけ。坂口(泰)監督からは、厳しい言葉もかけられましたね」と振り返ります。

転機となったのは1年目の秋のこと。「5000mの記録会で14分40秒かかったんです。いまは力がないという現状を見極め、そこから一歩ずつやっていこうと、弱さを受け入れました」。そして、こう考えるようになったそうです。「走れなくて苦しい思いをしてきたので、走れて苦しいのはうれしいこと。自分のレースをしよう」。すると、いい結果につながり始めました。

尾方剛監督。栄光と挫折の両方を味わった競技人生を振り返っていただきました

2002年のロンドンマラソンは当時の世界最高記録ペースで進み、30kmまでは先頭集団についていきましたが、そこから大きく失速。「ボロボロになる経験で強くなれました。走るつらさには耐えられる。走ることで苦しめるいまの方がいいんだと、前向きにとらえられました」

「いいときだけ寄ってくる人もいます。冷静に判断できるようになりました。監督、チームメイト、恩師、家族といった、苦しいときもそばにいてくれる人たちがいたからです」。その後は3度の世界陸上マラソン代表(パリ大会12位、ヘルシンキ大会3位、大阪大会5位)、08年北京オリンピックのマラソン代表(13位)、04年福岡国際マラソンの優勝を始め、さまざまな駅伝でも活躍されました。

「山あり谷ありの競技人生。失敗も多かったですが、糧にしてきました」と振り返られました。

引退して1カ月で監督就任のオファー

中国電力で競技から引退して1カ月。社業に専念し始めたばかりのときに、広島経済大学から監督就任のオファーがありました。

「1カ月しっかり考えて返事をしましたね。妻が言うには、引退してから社業に慣れずにしんどそうな様子だったようです。『やりたいならやったら?』という妻の後押しもありました」

「人生の選択は常に自分でしてきました。選ぶときは苦しい方を選択してきましたし、やってきたことを生かせる選択だと思いました。広島に恩返しをしたい、好きなことだからできるという思い。人生一度きりで、後悔したくないですし」

広島経済大学陸上部監督に就任した当初、選手は10人ほどでした。尾方監督いわく「同好会レベル」だったそうです。「まずは朝練習を始めました。朝6時30分に集合して、6000mのペース走から始めました。10のうち3できたらいいなと思っていましたが、できません。だいぶ落としてもできなくて……。その後は現状を受け入れて、10のうち1できたら、2できたらと、少しずつステップアップしていきました」

「卒業後、社会人として一人立ちすることを考えて指導してます。打たれ強さ、失敗を糧にして追い込む経験、耐えることを学び、将来、社会人として活躍するための土台を作ってほしいです」

大下選手のマラソン挑戦に見た光

おととし12月の防府読売マラソンでは、当時大学院2年生だった大下浩平選手(安芸南、現・日鉄日新製鋼)が2時間15分9秒で7位となりました。

「25kmから30kmではレースを引っ張り、2時間15分台で走りました。大下は10000m30分台の選手でしたが、よく走りました」と尾方監督。

一昨年の防府読売マラソンで7位入賞と健闘した大下浩平選手(現・日鉄日新製鋼)

「マラソンをやりたい学生がいれば、ノウハウもありますしね。いろんな道があることを知ってほしいです。関東とは違う可能性を感じましたね」

どんな選手を育てていきたいですか? 「まずは5000m13分台、10000m28分台です。日本インカレ、日本選手権で勝負できる選手の育成ですね。関東の大学、関西では立命館大学なんかも頑張っているので、目標は高く持ちたいです。指導者としての夢ですが、オリンピック選手を育てるのが最終目標です。自分が実現できなかったオリンピックのメダリストを育てたいですね」

ハイペースの練習に参加しました!

さあ、練習です!

練習前に設定ペースの確認です

この日のメニューは10000m+2000m。スタートまで、各自でウォーミングアップをします。

集中した雰囲気の中、練習がスタートしました。この日のメニューは10000m+2000m

10000mは僕にとってハイペース過ぎたので、1000m走って、次の1000mは休んで、また次の1000mを走ってというのを繰り返して、1000mを5本走らせてもらいました。

僕は休憩をはさみながら、1000mを5本走りました

一定ペースで押していく練習です。尾方監督やマネージャーさんが見守る中、みなさん粘りの走りを見せてました。僕はというと、もがきながらもついていこうと必死の走りでした(汗)。

後半のキツい場面。必死で走りました!

10000mのあとは2000mを1本。先ほどの10000mよりもさらに速いペースで追い込みます。2000mの方は応援に徹しました!

福永選手「13分台を出してエースに」

練習後、選手のみなさんに取材しました。

福永恭平選手(1年、三木)

中学までバスケットボール部、高校から陸上を始めた福永選手。高校時代の自己ベストは5000m14分48秒。兵庫県大会で尾方監督に声をかけられたそうです。

「出雲や全日本を目指せますし、自分もタイムを伸ばしていきたいと思いました。高校時代よりも練習量が増えましたね。監督にもアドバイスをいただきながら、1年で14分22秒まで伸ばしました。今シーズンは13分台を狙って、チームのエースになりたいです!」

エースとして期待される福永恭平選手。写真は昨年の士別ハーフマラソンです。

脇田怜司選手(3年、市立呉)

高校では5000m15分47秒。関東で箱根を目指せるレベルじゃなかったですね。全日本大学駅伝、出雲駅伝に出たいと思って、この大学に来ました。

「大学に入ったときも全然力がなくて……。最初はペース走をしても、1kmで離れてました(笑)」

一番左が脇田怜司選手。写真は昨年の士別合宿。尾方監督も実業団時代に合宿をされた士別で走りこみました

コツコツと練習を継続。大学1年生の冬にしっかり距離を踏むことができ、体もできてきました。いまは5000mで14分35秒、10000mは30分43秒まで記録を伸ばしてきました。

「昨年出られなかった全日本大学駅伝に、今年こそ出場したいです。まずは5000mで14分10秒台を、ゆくゆくは13分台を狙っていきたいです。10000mでも29分台で走りたいですね。1年の福永が伸びてるし、一緒にチームを引っ張っていきたいです」

マネージャーも大大大募集中!

選手を支えるマネージャーさんにも取材しました。

タイムを計測し、タイムを読み上げ、選手に声をかけます。

安藤温規さん(2年、祇園北)

「中学、高校と陸上をやっていたのですが、最初は1500mで9分かかってました(笑)。結果的に5分9秒まではいきましたが、選手としては難しいと感じて、この大学でマネージャーになりました」

「選手がいい記録を出したとき、やりがいを感じます。自分のことじゃないのにうれしいですね。中四国のトップを取り返したいです!」

またマネージャー希望者も大歓迎とのことで「陸上部のマネージャーは未経験でもOK。やる気さえあれば大丈夫です。大大大募集中です!」と、力を込めて話してくれました。

練習中、タイム計測をするマネージャーの安藤温規さん(右)と武藤水夏美さん(左)

武藤水夏美さん(1年、三原)

中学、高校と陸上部で長距離を走っていた武藤さん。地元広島の大学でマネージャーをやりたかったそうで、広島経済大学へ進みました。

「マネージャーはやることが多くて、1年間があっという間でした。毎日やりがいがあって楽しいです。試合で選手がいい走りをするとうれしいですね!」

どんなマネージャーになりたいですか?「何よりも選手が大事、選手から信頼されるマネージャーになりたいです。一緒に感動を味わいたいです!」と、目を輝かせていました。

もう一人のオリンピアン

長距離ブロックと同じトラックで、短距離ブロックも練習してました。

短距離ブロックのコーチは陸上部の部長でもある松田亮先生です。広島経済大学のOBです。学生時代は100mで日本インカレ優勝。アテネオリンピック200mの日本代表です。世界陸上でも日本代表のリレーメンバーとして入賞に貢献されています。

2人のオリンピアン。尾方剛監督と松田亮部長・短距離ブロックコーチ。

広島経済大学陸上部は短距離も長距離もオリンピアンが指導されてるんです。長距離とともに、短距離のみなさんの活躍も期待したいです。

ちなみに僕が写真の中で着てる広島経済大学陸上部が製作したTシャツですが、広島のデザイナーの方にお願いしてデザインしてもらったものです。クラウドファンディングで制作費を募り、手売りで活動費を稼いだそうです。部の強化のために、さまざまな工夫をされてるんですね!

広島経済大学のみなさん、ありがとうございました!

M高史の走ってみました

in Additionあわせて読みたい