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連載:4years.のつづき

夢はプロ野球選手、高校野球にはまったく興味がなかった 今浪隆博1

2002年春のセンバツ高校野球で安打を放つ今浪さん(撮影・上田幸一)

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多いだろう。先輩たちは4年間でどんな経験をして、社会でどう生かしているのか。「4years.のつづき」を聞いてみよう。今回は、京都の強豪・平安高校から明治大学に進みドラフト7位で日本ハムファイターズに入団、その後ヤクルトスワローズに移籍しプロで11年プレーした今浪隆博さん(35)です。4回連載の1回目は、今浪さんがどのようにして高校・大学を選んだかについてです。取材・執筆は野球応援団長の笠川真一朗さんが担当しました。

かっこいい大先輩に念願の取材

僕が初めて今浪さんを見たのは平安高校野球部に在籍していた頃、練習に向かうバス移動で流れていたビデオでした。甲子園のナイターの照明を浴びて、蒼白く輝いて見えたHEIANのユニフォームに袖を通していたのが、大先輩・今浪隆博さんです。堅実な守備にシャープな打撃。今浪さんは2年生ながら、3年生に負けない大きな存在感を放っていました。

原田英彦監督が映像に映る今浪さんを見てボソッと呟いたことを今でもハッキリと覚えています。「身体も小さいし、脚も速くなかった。どんくさいやつやったけどプロに行きよったんや」と。

僕ら平安高校の選手は今浪さんのプレーをビデオで何度も見ました。それから時が過ぎて僕は大人になって東京で暮らしはじめました。2016年の7月10日に生まれて初めて見た神宮球場でのプロ野球の試合。それは今浪さんがプロ野球人生で最後にホームランを打った日でした。ビデオで見てたあのすごい人が、目の前でホームランを打ったときの感動は今も忘れられません。まだ日の暮れていないカラッとした夏の夕方です。オレンジ色の太陽が差し込んだ綺麗で気持ちの良い空でした。飛距離こそはありませんでしたが、時間がゆっくり流れるような滞空時間の長いホームランが、なぜかものすごく心地良かったのです。

じっくりお話を聞かせていただきました!ありがとうございます!(撮影・藤井みさ)

何度かOB会を通じてお話をすることはありましたが、ガッツリと膝と膝を突き合わせてお話を聞かせて頂く機会はありませんでした。「いつかお話を聞かせてもらいたい」と思い続けて先日連絡をすると、「取材、受けるで!」と快く引き受けてくださいました。今浪さん、本当にありがとうございます。

そして取材当日。僕の想像をはるかに超えるお話が次々に飛び出しました。大先輩にこんなことを言うのは大変失礼かもしれませんが、あえて言います。今浪さんの人生は「とんでもない野球人生」です。

夢は「プロ野球選手」、高校野球に興味なし

今浪さんは福岡県北九州市出身。野球大好きの母親の影響で、テレビはいつもジャイアンツ戦でした。「毎日テレビで野球を見ていたら自然にプロになりたいと思った」という今浪さん。2つ年上の兄が所属していたこともあり、小学校1年生からソフトボールチーム・横代ライオンズに入団、中学になるとボーイズチーム・小倉バディーズでプレー。当時から常に、「プロ野球選手になる」という意識を持ってプレーしていたそうです。

2001年夏の甲子園、今浪さんは2年生ながら出場して活躍します(撮影・朝日新聞社)

高校進学の際、自分の思い描いていた道とは違う方向に進んでいきます。それが平安高校への進学です。「正直、高校野球にまったく興味がなくて。テレビでもまったく見てなかった。坊主が嫌で、『坊主にしたら野球うまくなるの?』とずっと疑問に思っていた」と語ります。今浪さんが目指したのはあくまでプロ野球選手。高校野球や甲子園への関心はまったくなかったそうです。「地元の九州国際大附属高校は坊主にしなくてよかった。監督からずっと声もかけられていたし、自分でもそこに行くと決めていた」といいますが、母親に猛反対されます。

「おこずかいをたっぷりくれるから」平安高校に

「『北九州では野球が疎かになるかもしれないから、地元から離れて野球をしなさい。京都の平安に行きなさい』と母親に言われて」と今浪さんは笑います。それでも「嫌だ、九国に行く!」と伝えると「行かせない」の繰り返し。

きりがない言い合いの末、今浪さんの母親は「平安に行くならPHSではなく携帯電話を持たせてやる。(当時は使用料の安いPHSが学生の主流)それと毎月のお小遣いをたっぷり渡すし、好きなだけ使っていい。でも地元に残るならお小遣いは少しだけアップにする」と高校生にはたまらない好条件を提示します。それに今浪さんは「平安に行く」と即答しました。こうして平安高校への進学が決まりました。僕は思わずすごいエピソードに笑ってしまいました。

本当に高校野球に興味がなかった、と語ります(撮影・藤井みさ)

僕の知ってる平安は「甲子園に行きたい」、「平安で野球がやりたい」そういう思いを強く持った選手が集まる場所だと思い込んでいましたが、今浪さんは「プロに行くために野球を始めた人」です。「監督もこれは知らないんじゃないかな?こんなの聞かれたら怒られるかなぁ」と苦笑いを浮かべられていました。

「興味がなかった」甲子園で味わった感動

今浪さんは平安高校では2年夏と3年春、2度の甲子園出場を果たします。しかし甲子園に興味がなかった今浪さんは、「夢がかなった」というような感覚はなく、出場が決まったときは「テレビに映るなぁ、くらいの感覚やったかな」と当時を振り返ります。「取材で『対戦相手の好投手、〇〇君への印象は?』と記者に聞かれても、高校野球に詳しくないから何て言ったらいいかわからなかったよ」と困っていたと明かします。

しかし初めて出場した甲子園で放った安打が、今浪さんが抱いていた甲子園への印象をガラッと変えます。「ヒットを打って一塁を回ったときの大歓声が凄くて。『あぁ、これが甲子園か!』とそれはすごい感動した」と、甲子園の知らなかった魅力を肌で感じたそうです。

またも迫られる選択、またも提示される好条件

こうして「プロに行くため」の高校野球の3年間が終わりました。プロに行きたい気持ちはもちろんありましたが、現実的に当時の今浪さんには高卒でプロに行けるほどの実力がまだありませんでした。そこで、大学からプロに行くことを決めたのです。

かっこよく活躍していた今浪さんが、そんなふうに高校・大学を選んでいたとは!(撮影・嶋田達也)

そしてまた今浪さんに選択の機会が訪れます。バイクや車に乗ることが許される関西の立命館大学か、伝統的な厳しさが残り、寮生活を強いられる東京の明治大学です。当然、今浪さんは「絶対、立命館」と決めていたそうです。

しかしまたしても「プロに行きたいなら野球に集中できる明治大学に行きなさい」と母親に猛反対されました。もちろん今浪さんの腹は「立命館に行く!」で決まっています。しかし母親は「明治に行くならこれまで通り、お小遣いはいくらでも使ってもいい。立命館に行くならお小遣いは減らす」とまたしても好条件を提示します。今浪さんは「明治に行く!」と即答したそうです。めちゃくちゃな話で僕は普通に笑ってしまいました。今浪さんは不本意な形でというか、母親の思い通りに、高校、大学の進路を選ぶことになったのです。

4years.のつづき

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