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連載:野球応援団長・笠川真一朗コラム

高卒で単身渡米、勇気に満ちた平安野球部の先輩 アスレチックトレーナー・中田史弥さん

中田さん(左)のお話に、すごく刺激をもらいました!(すべて撮影・藤井みさ)
慶應の不動のセカンド小原和樹 野球の魅力を体現する男のラストゲーム

4years.野球応援団長の笠川さんが、龍谷大平安高校(京都)の野球部の先輩で、アスレチックトレーナーの中田史弥さん(29)にインタビューしました。中田さんはアメリカで学び、現在はさまざまな競技のチームでトレーナーを務めています。同じ恩師のもとで学んだからこそ分かりあえること、そして中田さんから刺激を受けたことなどについて、笠川さんが綴(つづ)ります。

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僕が龍谷大平安高校(以下、平安高校)の野球部に在籍していたころ、練習は1時間以上に渡るアップから始まりました。全身をしっかり使う動きが多く、体のバランスが整い、けがの予防につながっていました。ハードな練習で知られている平安ですが、けが人が少ないというのが現役の当時からすごく印象に残っています。

アップの内容を考え、指導してくださったのは中田佳和さん。ストレングスやコンディショニングの普及事業などを初め、数多くのアスリートやチームを支える株式会社Bright Body(ブライトボディ、京都府宇治市)の代表取締役です。中田さんの息子である史弥さんも、Bright Bodyの一員として活躍されています。

「平安で野球がやりたい」の思いが原点

史弥さんは平安高校野球部で、僕の3学年上の先輩にあたります。この取材で初めてお会いしましたが、同じ恩師のもとで野球をし、人生の基盤となる教えをたくさん受けた者同士、共感ができることがたくさんありました。

なるほど、と思わされることが本当に多かったです

史弥さんが小学1年生だった1997年の夏の甲子園。平安高校はエースで4番の川口知哉主将がチームを引っ張り、準優勝を果たします。その雄姿をスタンドで見た史弥さん。「甲子園に出たいとかプロ野球選手になりたいというより、『平安で野球をやりたい』と思って野球を始めました」

そしてあこがれの平安高校野球部でプレーし、高校野球引退を機にアスレチックトレーナーを目指します。ご自身も高校時代に父でありチームのトレーナーである佳和さんの指導を受けて、「アスリートにとって、いかにコンディショニングが重要か」「選手がけがなく、いかにいいパフォーマンスを発揮できるか」といったテーマにやりがいを感じ、父と同じ職業に就きたいと考えるようになったそうです。

単身渡米、4年目でやっとトレーナーの勉強に

もともとNBAやMLBといったアメリカのプロスポーツが好きだったことも、現職を目指したきっかけだといいます。史弥さんは平安高校を卒業すると、単身アメリカに渡りました。トレーナーの勉強の前にまず1年間、語学学校へ。「コミュニケーションぐらいなら、3カ月から半年で取れるようになりました。でもその英語力では、例えば車を買ったり、家を借りたりといった交渉や契約はできません。そのレベルになるには、結局4年ぐらいかかりました」と苦労を語ります。

アスレチックトレーナーの資格を得るためには、一般教養とスポーツ系の基礎知識(生理学、運動学、解剖学など)が必要です。そのため史弥さんは2年制のオレンジコーストカレッジに入学し、基礎知識を学んで卒業しました。その後は資格取得のためにカリフォルニア州立大学ロングビーチ校に編入。ここでやっと専門的なプログラムに取り組めました。

いまとなっては……と苦労したことも笑顔で話してくれた中田さん

「トレーナーになりたくてアメリカに行ったのに、最初の3年間は語学のことばっかりで悩みました。だから初めてプログラムで実習に入ったときは、やっと自分のやりたいことができる、と。すごくうれしかったですね」と、笑顔で振り返ります。

トレーナーの本質を学んだ出来事

大学では午前中に講義を受けて、午後からは現場での実習です。野球、アメフト、バスケ、バレーなど、いろんな種目を見て、トレーナーとして必要な知識と経験を身につけていきました。

アメフトの現場での実習中、忘れられない出来事がありました。試合中の衝突でフラフラしながらフィールドを出てきた選手を見つけた史弥さんは、脳振盪(のうしんとう)のチェックをしたうえで処置をしました。

そのとき、実習先のトレーナーに呼び止められ、聞かれました。「チェックリスト(必要な確認事項)を頭に浮かべて選手に対応していたか?」。しました、と答えると、「ちょっと待てよ。それはもちろん大切なことだけど、この選手は本当に大丈夫なのかどうか。それが一番の焦点にならないといけない。もし選手が自分の家族や大切な人だったらどうする? 心配になるだろ? そう思って対応したか?」と言われ、史弥さんはハッとしたそうです。

まだ経験が浅かったこともあり、チェックリスト通りに対応することでいっぱいいっぱいだった自分に気づきます。「本質はどこまで選手に寄り添えるか。そこが一番大切なことなんだと、そのときに学びました」

トレーナーの本質は、技術よりも選手に寄り添えること

無事にアスレチックトレーナーの資格を取得した史弥さん。卒業後はアメリカに残って母校で女子のサッカーや女子の水球の代表トレーナーを務めるなど、活動の場を広げていきました。スポーツの超名門校であるUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)にある、世界でも有名なトレーニングセンター「アコスタ」でも勤務しました。「そこで女子バスケと男子バレーを担当させてもらえたのは大きかったです。UCLAに来る選手は本当にトップクラス。当時の男子バレーの監督は、現在のアメリカ代表の監督をされています。また、その後の自分のキャリアに大きく影響を与えてくれたUCLAのトレーナーや素晴らしい方々と一緒に仕事ができたのは大きな自信にもつながりましたし、僕の財産です」

そして昨年4月に日本に帰国。女子バレーのU-20日本代表、Bリーグの京都ハンナリーズや東京ガス硬式野球部などで、トレーナーとして活躍されています。

原田監督が言った忘れられない言葉

史弥さんがトレーナーとして大切していることを聞いてみると、平安高校硬式野球部に所属しているときに原田英彦監督から言われたひとことが、「いまも忘れられない」と返ってきました。

史弥さんは高2のときは公式戦に出場していましたが、3年生の春の甲子園ではメンバーから漏れてベンチ外に。選抜大会のあとは毎日練習に打ち込み「夏こそはメンバーに入るぞ」と、200%の努力をしているつもりだったそうです。。しかし原田監督は史弥さんに言いました。「お前の取り組みは自己満足や」と。言われたときはあまり理解できず、その日の練習を終えて家に帰り、食事をしていると自然と涙が出てきたといいます。

平安で学んだ選手たちは、みんな原田監督の言葉を胸に大人になりました(写真提供・笠川慎一朗)

あとになって、監督の言葉の意味を理解したそうです。「あのころは自分が、自分がという価値観だけで練習してました。自分の感覚だけがすべてじゃない。人がどう見るかも大切。そういう風に僕は受け取りました。その感覚は、いまの仕事にも生きてます」。監督の言葉が、トレーナーとしての史弥さんを支えているのです。

「監督のあの言葉のおかげで、僕の視野が広くなりました。トレーナーとして選手に『こんな動きをしてほしい』と伝えて、選手は言われた通りにやろうとしてるけど、できない、ということもあります。その気持ちを理解できるようになりました。体をしっかり見たら、やろうという意志がなくできていないのか、やろうという意志はあっても求められた動きができない体なのか、分かりますから。できない人の気持ちをまずしっかりと理解することが大切だと思いました」。自分しか見えてなかった経験が、人の気持ちを理解することにつながったと振り返られました。やっぱり原田監督の言葉は僕らの人生に大きな影響を与えて、強く立派にしてくれてるんだなぁと、改めて僕も思いました。

そして史弥さんはトレーナーの先輩である父の佳和さんにも大きな影響を受けています。「父はまだトレーナーという職業がないぐらいの時期に、ブライトボディを立ち上げました。父としてはもちろん、トレーナーとして尊敬してます。父からは体以外の面もしっかり見ることが大切だと学びました。『心と体はつながってる』と、よく言われました」。例えば前屈をするときに大好きな食べ物を想像して伸ばしたら柔らかくなり、逆に嫌いなもの、例えば虫が嫌いな人が虫を想像したら、硬くなるのだそうです。「だから選手にアプローチするときは、心の状態を理解することを意識します」

誰でも失敗はする、とにかく行動を

史弥さんには三つの目標があります。

・トレーナーとしての自分を磨き続けること
・スポーツとITを掛け合わせて現場によりよいシステムを作ること
・未来のトレーナーの育成

「目標を達成するためには、オープンマインドでいることが重要です。だからいろんな人と話すようにしてます。日本には技術的に長けているトレーナー、知識や経験が豊富なトレーナーもたくさんいます。そういう方々のところに、自分からどんどん学びに行ってます」。前向きな姿勢をものすごく感じました。

高校を卒業後してすぐ単身で海を渡り、アメリカで10年間も暮らすのは簡単なことではありません。1年ちょっと留学したり、ワーキングホリデーに行ったりするのとはわけが違い、相当な覚悟と勇気が必要です。渡航先で慣れない環境や挫折にも心が折れることなく、立派なトレーナーとして帰国した史弥さんの言葉一つひとつが、僕に響いてきました。

史弥さんが大切にされていること、それはとにかく行動することです。

「失敗は誰でもします。失敗するものだと思ったら、そのときのためのプランも立てられますよね。日本に帰ってきて思ったことは、知らないことやできないことに悲観的になる人が多いってことです。否定的にとらえなくていいんです。知らないことできないことを分かっただけでも第一歩ですから。日々、僕は自分が安心できないと感じる環境にあえて身を置くことにしてます。自分の不慣れなことや、自信のないことをやるのはすごく勇気がいるし、不安もたくさんあると思います。それでも、そういった自分が不慣れで自信が持てない環境に自分を置いてチャレンジすれば、できなかったことが少しずつでもできるようになっていって、いまより少し成長できるんだと思います」

僕も改めて、行動することの大事さを感じさせられました!

なりたいものがない人や選択肢が多すぎて悩む人。それぞれ不安はあると思いますが、進む道を決めなくても、やりたいと思ったことはどんどんやればいいと僕も思います。まっとうに生きてれば、自分のやるべきこと、やらなきゃいけないことが自ずと見えてくるはずです。

高校までは、人からいろんなことを教えられることが多い中で成長していきます。でも大学からは興味を持ったことを自分で学んでいかないと、先の人生が開かない気がします。それが勉強であっても、スポーツであっても、趣味であっても何でもいいと思うので、迷ったときは立ち止まるより何か行動した方がいいことがあるのかなと僕は思います。

中田史弥さんの話を聞いてると、僕も行動することがいかに大切かを改めて実感しました!
僕にもまだまだやりたいことも達成したい目標もたくさんあります。
立ち止まることなく一生懸命楽しく生きていきます!
そんな人が増えればいいなと思いました!

中田史弥さんありがとうございました!

野球応援団長・笠川真一朗コラム

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