大学野球

連載:野球応援団長・笠川真一朗コラム

特集:2020年 大学球界のドラフト候補たち

同志社大・小川晃太朗「負けたまんまで終われない」俊足巧打の男の本気

小川は今年秋のドラフトでも注目されるひとり。今の思いを聞いた(写真提供・すべて同志社大学野球部)

新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、通常通りの春季リーグ戦の開催は厳しいという判断を下した関西学生野球連盟。今後行われる臨時常任理事会で改めて決定される予定だ。

2010年春から2011年秋までの4連覇以来、優勝から遠ざかる同志社大学。9年ぶりの優勝とプロ野球の世界を目指す、小川晃太朗外野手(4年、龍谷大平安)に自慢の俊足を生み出した経緯や現在の取り組みなどを電話取材で話を聞いた。

ドラフト注目の俊足巧打者

右打ちながら一塁到達タイムは4秒をゆうゆうと切り、50m走は5.69秒と、俊足と広い守備範囲が大きな魅力の小川。180cmの身長と長い手足、体格にも恵まれている。リーグ戦では2年時の2018年秋に打率.333・盗塁4の好成績を記録し、ベストナインを獲得。3年時の2019年春には打率.313・盗塁8を記録。2度目のベストナインに輝いた。昨年は大学野球日本代表選考合宿にも選出され、50m走、30m走、10m走ではトップの数値を叩き出した。ドラフト候補として立派に名を連ねている関西屈指の好打者だ。チームでは副主将を務めている。

注目を浴びる俊足も、最初から特別に速かったわけではない。「平安にいた頃も僕より速い人なんて普通にいましたから」と小川は言う。転機になったのは高校1年の秋、「柔軟性が欠けている」と指導者から助言を受けたのがきっかけだった。それから週に2回ほど全体練習から抜けて、グラウンドの片隅でトレーナーとマンツーマンで2時間のトレーニングに励んだ。主に股関節の筋肉を柔らかくする種目と腸腰筋を鍛える種目が中心。他の選手がノックやバッティングの技術練習に取り組む中、小川はひとり黙々と汗を流しながら地道なメニューを懸命に繰り返した。

地道なトレーニングが今の小川をつくった

継続すると効果が現れた。股関節の詰まりが徐々に消え、可動域が広がった。同時に腸腰筋も強くなっている手ごたえも感じた。足の回転数が見事に上がり、タイムも以前とは比にならないほど伸びた。その後もトレーニングに励み、凄まじい走力を身に付けた。

不安な気持ちがあるからこそ準備できる

チームとして活動できない時期が続く中、小川は自宅でこのトレーニングに継続して取り組んでいる。「試合も練習もできないのは正直、不安です。『これで大丈夫なんかな?』とも思いましたし、実戦から遠ざかるのもちょっと怖いですね。生きた球が見られていないので。でもそれは仕方がないです。僕だけじゃないので。もし仮にすぐグラウンドで練習ができるようになっても簡単にうまくはいかないと個人的に思ってます。だからこそ、とことん身体と向き合うようにしました。ケガはそんなにしないんですけど、張ることはあるので。股関節、腹筋、肩甲骨周りを中心にトレーニングをして最大限の準備はしてます。不安を解消するには、それ以上のことをするしかありません。何の心配もないくらい良い時間の使い方をしていくだけです」

不安な気持ちを正直に口にした小川。その不安を感じたうえで最大限の準備をすることに尽力を注いでいる。逆に言えば、不安な気持ちがあるからこそ準備ができているとも捉えられた。そう思えば、不安になることも悪いことばかりではないなと、話を聞いて感じた。

不安だからこそ、しっかりと準備ができるともいえる

「もともと大学から先の野球人生をそれほど深く考えていなくて。大学の授業に慣れるのにも大変でしたし、野球ばっかりしてられないと思う時期もありました」と入学当初を振り返った。それから徐々に大学生活にも慣れ、「このままじゃ何しに大学に来たかわからない」、そう思ってからは練習量も増え、試合に出て結果を残せるようになった。野球と勉学の両立もうまくできるようになった。

悔しさが自分を変えた

小川がプロ野球の世界を目指す大きなきっかけになったのは、初めて大学野球日本代表候補として選出された大学2年生の時だ。結果は落選。小川は「あの時の悔しさで完全に火がつきましたね。『負けたまんまで終わりたくない』って本気で思いました。とにかく悔しかったです。あの合宿を経験して、自分の中にある闘争心みたいなのがどんどん出てきました」と当時を振り返る。

大学球界のトップが集う選考会。第一線で戦う選手のレベルの高さを自らの目で見た。それを土産に関西に帰った小川は実際に打席で経験したトップレベルの投手の球をイメージしながらバットを振り、守備・走塁でも一歩目のスタートを強く意識した。細かい部分にも目を配り、改めて自分を分析して、人の意見にも耳を傾けた。

以前は自分のことばかりだった。悔しさが小川を変えた

「以前は自分のことばっかり考えていました。『自分が結果を出すために』、それだけしか考えていなかったです。気性も荒くて、結果が出ないと態度にも出てました。そういう人としての部分も変われた実感があります。高校の時から原田監督(英彦・龍谷大平安高監督)に『お前ほど周りに指示を出さないセンターは見たことない。自分のことばっかりやんけ。スポーツマンらしくない』と言われてたことも思い出したりして。それに気付いて他人にも目を向けるようになったら、自然と自分自身のことに対しても視野が広くなりました。技術的なことでも難しく考えすぎている部分があったので、根本的なところから分析してみました。打席でもシンプルに考えられるようになって。打ちにいく球を選び過ぎてたんですけど、初球から攻められるようになりました。大きく構えて、ゆったり間を取る。自分のスペースを作れるようになりましたね」。悔しい経験が、技術的にも人間的にも変われるきっかけになった。小川は確実に成長していった。

上には上がいる、でも

そして翌年。小川は大学野球日本代表選考合宿に残った。「手ごたえは初めて参加した時よりはるかに感じました。アピールもできましたし、少しだけ自信になりました。でも、まだまだです。上には上がいます」。そう語った。上には上がいると感じたのは同じ外野手のドラフト候補、中央大・五十幡亮汰(4年、佐野日大)だ。「周りの人から『足だけじゃないよ』と聞いていたけど、実際見てみたら評判通りものすごい選手でした。足だけじゃない。三拍子揃っていて圧倒されました。衝撃受けましたね。僕も意識が変わりましたし。あんなやつ見たことないです(笑)」と五十幡への印象を素直に語った。

負けたまんまで終われない。その気持ちこそ、小川の原動力だ

しかし、そのあと小川はこう言った。「でも……やっぱり負けたくないんですよね。諦めたり、投げ出したり、自ら白旗を絶対にあげたくないです。相手にも自分にも、負けたら悔しいじゃないですか。そういう向かっていく強さは自分自身にあると思っているので。勝ちたいです」。野球になれば人が変わるような気の強さが小川の魅力だ。口調に気持ちが表れていて気迫を感じた。しんどいことも辛いことも苦だと感じないと言う。

最後に小川は興奮気味に言った。「ピッチャーとかほんまに凄かったですよ! 苫小牧駒大の伊藤(4年、駒大苫小牧)、早稲田の早川(4年、木更津総合)、日体大の森(4年、豊川)、慶應の木澤(4年、慶應義塾)。ものすごい球で。関西ではあんなの見たことなかったです。でもそれを経験してから僕は変われました。だからこそ、負けたまんまで終わりたくないですよね」

「負けたまんまで終われない」。

かっこいいと純粋に思う。
勝負にこだわる負けん気の強い男が、どこまで行けるか楽しみだ。

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