大学バスケ

連載:私の4years.

強豪・筑波大ではい上がる前に訪れた人生初の苦悩 元筑波大バスケ部・青木太一2

青木(中央)は筑波大1年目からベンチ入りを果たした(すべて写真は本人提供)

連載「私の4years.」から、筑波大学を卒業後、バスケットボール・Bリーグの熊本ヴォルターズ、そして2019-20シーズンは東京サンレーヴスでプレーした青木太一(23)です。日本初のBリーガー YouTuberとしても活動しています。5回連載の2回目は筑波大1年目についてです。

「リアル桜木花道」と呼ばれ、泥臭くボールを追った 元筑波大バスケ部・青木太一1

市船で先を見すえた指導を受けて

筑波大学入学前に学んだこと。船橋市立船橋高校(千葉)の近藤義行先生は必ず、2つ先、3つ先のことを言ってくれました。「将来、お前はこうなるから、今の内にこうしておけ」と下級生の時から教えてくれていました。軍隊のようなチームを作ることは、近藤先生の信条ではなかったと思います。 ただ、勝った時にいろんな人から絶対後ろ指を指されないようにする、ということは肝に銘じられました。

また、近藤先生は常に選手の将来を指導してくださり、大学やトップリーグでの伸びしろを広げてくださったように感じています。そんな中でも、先生なりの見極めで大学以降のプレーが厳しいかもしれない選手には、高校で一度は花を咲かせてあげようと思っていたそうです。

私はどちらだったのか分かりませんが、常にオールラウンダーとして成長することを望まれていました。大学に進学して、今までと同じポジションを与えてもらえるとは限りません。高校生の時には5番(センター)を任されていても、大学に進学したら身長的に2番(シューティングガード)や3番(スモールフォワード)を任されることはよくある話。だからいつコンバートされても大丈夫なように、すべてのポジションを経験するように指導されました。

インターハイ前や、ウインターカップ予選を優勝してウインターカップまでの期間は、すべてのナチュラルポジションを変えて練習していた記憶があります。これまであまり経験していなかったガードポジションを任され、案の定、うまくこなせませんでした。でもそのような経験をさせてもらえたことで、私のバスケ人生は大学入学後に大きく変化していきました。

筑波大で知ったハードなバスケと生活

筑波大は明治5年に日本で最初に設立された師範学校が前身。体育の先生になるなら、西の広島大、東の筑波大と言われているそうです。地元のエースが集まっていた高校とは違い、関東大学バスケ1部の筑波大には全国の強豪校からスターが集まります。当時のAチーム16人中、なんと11人が現プロバスケ選手になっています。そんな大学スター選手の中に入り、私はまた一からAチーム→ベンチ入り→シックスマン→スターターを目指すことになりました。

歴史ある大学の全国のスターが集うチーム。青木(右から2人目)はこれまでとは違う戦いになることを肌で感じた

つくば市へ引っ越し、新しい生活がスタートしました。初めての一人暮らしで自炊はしていたものの、今思えばもっとアスリートとして栄養バランスを考えた方が良かったのかもしれません。私は幼いころから太れない体質だったんですが、絶対に当たり負けしないよう、体を大きくしようと太ることに努力しました。その結果、入学したころは身長186cm、体重75kgだったのが、3年生の時には85kgへと増量しました。

筑波大の練習はハードです。こんなに練習したことがないと思うくらい、レベルの高い練習メニューだったと思います。実際はメニューというよりも、一緒に練習をしているメンバーの質とレベルの高さがもう……(苦笑)。

幼稚園の先生は何でもしてくれる親と一緒、中学校の先生は相談もできる友達関係になれる、高校の先生は人生の恩師、大学の先生はアドバイスをくれるが大人としての関係、なんてことを聞いたことがあります。私は指導者に恵まれて今がありますが、大学からはすべて自己責任。自分の判断で歩んでいかなければならない、と痛感しました。

デビュー戦、スリーポイントシュートが決まらない

伝統ある定期戦として毎年春に開催される「日筑戦(日本体育大vs筑波大)」。ここが私にとって大学バスケのデビュー戦となりました。ウインターカップの感動大賞をいただけていたおかげでしょうか。「期待のルーキー」としてパンフレットにも掲載してもらい、意気揚々とコートに立ちました。

「期待のルーキー」と呼ばれ、日筑戦で大学バスケデビュー。早速、壁にぶつかった

私の高校時代のポジションは4番(パワーフォワード)でしたが、大学からは2番へコンバートされ、シューターとなるのが私のミッションとなりました。それまでのようにゴール下でリバウンドを競る、飛び込んでリバウンドを取りに行くことをしてはいけないわけではないんですが、それぞれのポジションには役割が当然あるので、それまでとは違う動きをしなければなりません。

いやー、そんな簡単に入らないですよね、スリーポイントシュートというものは(苦笑)。それまでフィジカルだけできてしまったバスケ人生。ハンドリングやピック&ロール、スリーポイントシュートをもっともっと練習しておけばよかったなー、と後悔しました。あれだけ高校時代に指摘されていたし、準備期間もあったのに……。

キャラが立った性格が災いし

そして、春のトーナメント大会で筑波大は準優勝を果たしました。なんとかベンチには入っていましたが、プレータイムはほとんどなかったです。ベンチで盛り上げることが続きました。トーナメント大会が終われば1、2年生が出場する新人戦。実はこの時にいろんなことがあり、私は出場できませんでした。挫折。私にとって人生初の苦悩期間にこのころから入ります。

1学年上には、スター選手として知られた馬場雄大(右端)と杉浦佑成(中央)がいた

誹謗中傷。めちゃくちゃ言われましたね。この時はまだ今のようにアパレルブランドのプロデュースなどはやっていませんでしたが、キャラ枠的な存在で名前が先に売れてしまい、プレーで結果を出せないと周りから色々言われてしまいました。当時は少し気にしていましたけど、今はもう、何を言われてもブレないです。

当時、中学生のころから親交があった中村友也選手(2019-20シーズンは埼玉ブロンコス、現・3×3江東フェニックス)や、当時はNBLだったつくばロボッツ(現・茨城ロボッツ)でプレーしながら筑波大学院で勉強されていた元プロバスケ選手の中川和之さん(現・IPU・環太平洋大学女子バスケ部監督)に相談してアドバイスをたくさんいただけたので、今の自分があると思っています。

しかし、私の苦悩期間はまだまだ続くのです。

試合に出られない歯がゆさ、でもバスケを楽しんでこそ 元筑波大バスケ部・青木太一3

私の4years.

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