大学バスケ

連載:私の4years.

試合に出られない歯がゆさ、でもバスケを楽しんでこそ 元筑波大バスケ部・青木太一3

私の4years.
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筑波大2年生の時、青木はストリートバスケのチームにも参加した(すべて写真は本人提供)

今回の連載「私の4years.」は、筑波大学を卒業後、バスケットボール・Bリーグの熊本ヴォルターズ、そして2019-20シーズンは東京サンレーヴスでプレーした青木太一(23)です。日本初のBリーガー YouTuberとしても活動しています。5回連載の3回目は筑波大2年目についてです。

強豪・筑波大ではい上がる前に訪れた人生初の苦悩 元筑波大バスケ部・青木太一2

「腐らない」と決めたのに……

大学2年生だった2016年、私は「腐らない」という抱負を掲げました。通常の筑波大バスケ部Aチームの年間スケジュールはこのようになっています。

2月 新チームスタート
4月 筑波大学・日本体育大学バスケットボール定期戦(日筑戦)
5月 関東大学選手権大会(スプリングトーナメント)
6月 関東大学バスケットボール新人戦(1、2年生)
8月 夏合宿
9~11月 関東大学リーグ戦(オータムリーグ)
12月 全日本大学選手権(インカレ)
1月 全日本総合選手権(天皇杯)

青木が2年生だった時、筑波大は3冠を達成した

今振り返っても16年はすごいメンバーが揃っていました。スプリングトーナメント・オータムリーグ・インカレ優勝で3冠をなし遂げた代です。20年5月時点での現役Bリーグ/Gリーグで見てみると、4年生はキャプテンの生原秀将選手(横浜ビー・コルセアーズ)、満田丈太郎選手(名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)、小原翼選手(横浜ビー・コルセアーズ)。3年生は馬場雄大選手(テキサス・レジェンズ)、杉浦佑成選手(サンロッカーズ渋谷)、青木保憲選手(川崎ブレイブサンダース)。2年生は玉木祥護選手(京都ハンナリーズ)と私(東京サンレーヴス)も一応。1年生は牧隼利選手(琉球ゴールデンキングス)、増田啓介選手(川崎ブレイブサンダース)、村岸航選手(アイシンAW)。なんと11人が活躍しています。この先輩、同期、後輩、ものすごくとんでもないメンバーが筑波大の強さを支えていました。

ただ、当時の私はまだベンチで盛り上げ役。「腐らない」と決めたのに、こんなにもプレータイムをもらえないことへのイラ立ちが続きました。中学校時代は先輩もこんな思いをしていたのだろうか。高校時代の同級生もこんなに悔しかったのだろうか。当たり前だった40分フル出場なんてできなくていい、せめてあと5分でいいから自分を試合に使ってもらえないか。何をしたら毎回もっと試合に出してもらえるのだろう。監督やコーチと仲良くなればいいのか。もう少し目立たなく真面目を演じればいいのか。自分はこのメンバーで一番劣っている選手なのだろうか。そんなことが頭の中をグルグル回っていました。さらに、練習だと入るスリーポイントシュートが試合になるとなぜか焦って決まらない。数字での結果が残せない日々が続きました。

背番号を7番に戻した際、オリジナルのアームバンドを作った(右が青木)

この年から背番号を75番から7番へ戻しました。左腕にするアームバンドが青木スタイルとして少しだけ浸透していたので、それまでしていたNIKE市販のものではなく、オリジナルの7番入りアームバンドを作ってみました。多分これがオリジナルグッズ作製のスタートで、今取り組んでいる自己ブランドやアパレル製作につながっているのだと思います。悩みながらでも自分から何か変化をしなければ、と考えてのアクションだったと思います。

ストリートバスケで知った「楽しむ」大切さ

そんな時、3x3形式のストリートバスケリーグであるSOMECITYから誘ってもらい、大学生チームとして出場しました。川崎のライブハウス「CLUB CITTA'」の暗闇の中、スポットライトと音楽を浴びながらするバスケ。本来ストリートバスケは大好きでしたし、運営会社である株式会社アウトナンバーが掲げている「世界一バスケを楽しみながら、世界中の人にバスケの喜びを提供する」という考えにも共感しました。それに、明成高校(宮城)時代に八村塁選手もウインターカップで優勝した時に、「バスケットは楽しまなくっちゃ」と言っていましたし。

「そうだ! 自分ももっとバスケットボールプレーヤーとしてアスリート人生を楽しもう、自分なりにバスケの喜びを伝えていこう」。当時はまだしっかりとした形ではありませんでしたが、今思えばこの時に、私の中で新しい使命が芽生え始めたように思います。

ストリートバスケを通じて、改めてバスケの楽しさをかみしめた(前列左から2人目が青木)

今、自分に何ができるのか。チーム内のポジションはなんなのか。当然練習はサボらず、試合に出られなくても腐らず、出ている選手へポジティブな言葉を贈る。そして、いつ自分にチャンスがもらえるか分からないので謙虚でいる。準備を怠らないのは当たり前。そう自分に問いかけながら自らを律していました。

しかし、それだけだとフラストレーションが溜まってしまう。だったら自分をブランディングすることで、もっと自己達成感を高めよう。それがバスケ界を盛り上げるアクションにもなるのであれば、いつかは社会的意義にもつながっていくのではないか。そんなことを考え、私は現実と戦いながら新たな可能性を模索していました。

コートに立てなくても今の自分ができることを一生懸命やる、と心に決めた(中央が青木)

ちなみにですが明日6月28日、私の24歳の誕生日に、これまで個人でやってきたスニーカー・アパレル・エンターテイメントの事業を新しい会社「株式会社ing(アイ・エヌ・ジー)」でスタートします。思うようにバスケもできないこんな時期だからこそ、何ができるか考えて準備してきました。もしよかったらのぞいてみてくださいね。

エースになれない自分がバスケでできることを 元筑波大バスケ部・青木太一4

私の4years.

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