バスケ

連載:私の4years.

上には上がいる、だから今も現在進行形 元筑波大バスケ部・青木太一5

青木は2019-20シーズン、B3の東京サンレーヴスでプレーした。2月24日の試合をもってレギュラーシーズン終了となり、チームは9位だった(写真はすべて本人提供)

今回の連載「私の4years.」は、筑波大学を卒業後、バスケットボール・Bリーグの熊本ヴォルターズ、そして2019-20シーズンは東京サンレーヴスでプレーした青木太一(24)です。5回連載の最終回は、プロバスケYouTuberとしても活動している現在についてです。

エースになれない自分がバスケでできることを 元筑波大バスケ部・青木太一4

一つの役割にとらわれず、どんな時も諦めず

世界のスポーツ競技人口で、バスケはNo.1のスポーツと言われています。なかなか日本では最近まで普及しなかったバスケですが、野球やサッカーに負けないスター性のあるスポーツだと思っています。そして子供達が参加するミニバスは、なんと千葉県船橋市が全国No.1の競技人口数らしいです。千葉県の出身で小学1年生からバスケを始め、市立船橋高校、筑波大学へと進んだ私は、いつのころからかbjリーグ、NBL、Bリーグのコートでプレーするのは当たり前の目標となっていました。

昨年2月、私は筑波大を卒業するギリギリのタイミングで、特別指定選手としてB2の熊本ヴォルターズと契約しました。プロとしてブースターに最大限喜んでもらえるよう、プレーもファンサービスも心がけました。2番ポジション(シューティングガード)だけでなく、3番ポジション(スモールフォワード)の役割も積極的に。スリーポイントシュートだけでもなく、例え外しても何度も打つ。諦めず強いハートを持つ。

19-20シーズン前には3x3(スリー・エックス・スリー)のSANKAK.EXEに所属し、5対5とまったく違う戦術や考え方を経験しました。その昨シーズンはSANKAK.EXEのご縁からB3の東京サンレーヴスでルーキーイヤーを経験させてもらいました。心の余裕がないとプレーで成功できないと感じました。だから、プレーで負けない自信を持つためにしっかり準備する、練習する、整えておく。

また世代別日本代表や国体を含めても、外国籍選手と同じチームで一緒にプレーするのは人生で初めてでした。外国籍選手がいると、必然的にそこがファーストオプションになる。私はポイントガードじゃないので、ボールを持っている時間はとても少ないです。だからキックアウトからの数少ないシュートチャンスやディフェンス、ファーストブレイクなどで貢献するしかありません。昨シーズンはシーズン中にも関わらず、チーム内の選手が10人も入れ替わったこともあり、アジャストが大変でした。

ルーキーイヤーはコロナ禍の影響で今年の2月24日以降、試合ができなくなり、本当に悔しい思いをしました。それでも体力維持や強化、シュートの確率をもっと上げ、夢の続きであるB1チームでプレーすることに挑戦し続けます。まだまだ、現在進行形なので。

「プロバスケ選手として何を残しましたか?」

選手である一方で、私はInstagramやTwitter、YouTubeなどのコンテンツで積極的に情報発信しています。私はプロアスリート(現・3×3 LEOVISTA BB.EXE所属)として、少しは影響力を持っている方だと思います。エンターテイメントを発信する意味を考えると、そんな選手が情報発信をしていくことで、それを見た大勢の方へワクワクドキドキするような感動を届けられたらいいなと思っています。またそういう発信をしていくことで、私のアスリートとしての価値だけでなく、人間としての価値も高まっていったらうれしいなと考えています。

日本でバスケYouTuberの元祖とも言える「早朝シューティング部」のJUNJUNさん(右)と

正直、まだまだバスケ選手としては未熟者ですし、何もなし遂げていません。つい最近も、筑波大の吉田健司先生とお電話させてもらった際に、「あなたはYouTuberとしての青木太一ではなく、プロバスケ選手として何を残しましたか?」とお言葉をいただいて、改めてまだまだと感じました。

バスケの実力・知識では上には上が絶対います。もう本当に見えないくらい上がいます(笑)。でも自分は下だからダメだとか、そんなことを考え始めたら何も行動できません。こんな自分でも、私の発信を見てくれた人に対して何かを頑張ろうとか何かを考えようとするきっかけになれるのであれば、それだけでも価値があるんじゃないかと思っています。

いつかは引退する、その時に何が残っているか

あくまでも私の場合ですが、SNSを発信せずにバスケだけをやっていたら、引退時には何も残らない人間になってしまうんじゃないかという考えがありました。アスリートにはけがはつきものだし、急にスポーツができなくなることもあります。急に引退しなければいけなくなったとして、自分に何が残っているだろうかと考えると、今はまだ何も残せていないですし、まだまだ何もできないです。

「アスリート」って世間的には響きがいいように聞こえますが、社会的にはスポーツしかやってこなかったという風に捉えられてしまうことがあります。筑波大を卒業していても、実際に就活や就職をした経験はないですし、社会人としての知識やスキルもないに等しいです……。

だったら今できることをドンドンやって、自分自身の価値を高めなければいけないなと考えました。その行動の一つがSNSでの発信です。継続していくことで、自分自身の知識や考え方が変化していく、少しずついろんなことができるようになっているのではないかな、と思います。

あと、発信ということにも勉強が必要です。誰でも気軽に発信できる時代だからこそ、マナーや知識を学ばないと取り返しのつかないことになってしまいます。

YouTuber・SBヒーローズのユッケさん(左)とのコラボも実現

選手がプロファイルを残していく意味

私がSNSを通じて発信したことは、次第に私自身のプロファイル(輪郭・横顔・分析結果・略歴など)となり、良くも悪くも私をかたどっていきます。現時点でYouTubeの「あおきっくすチャンネル」は、私に興味がある人や、友人、知人しか見てないと思います。あ、あとアンチの方もいるかもしれません(笑)。しかし継続して発信していくことで、少しでも青木太一がフォーカスされた時に興味がある人が増えていれば、そういう方が私の過去の記事や投稿を探してくれる。私がどういうプロファイルかを知ってもらうことで、そこでファンになってくれるかもしれない。

デート、友達の付き合い、会社の接待など、たまたまバスケの試合を見に来た人が、その一試合だけを見てその瞬間にファンになってくれる確率は低いかもしれない。本来ならばプロとして引きつけなければならないのですが……。でも、あるきっかけで少しでも私に興味を持ってもらった時に私のSNSでの投稿があれば、それを見て、そこで私のプロファイルを知ってもらえ、より身近に感じてもらい、応援しよう、とファンになってもらえることもあるかもしれない。

その日のパフォーマンスやワンプレーだけでファンになってもらえるなら、それはすごいことです。でもそれだけでは無理があると思いますし、それまでのプロファイルがあった方が、より共感してもらえるんじゃないかなと。

人と人のつながりは、楽しかったこと、うれしかったこと、つらかったこと、悲しかったことを共有することで、深い絆になると思います。これからもYouTubeやInstagram、Twitterなどのコンテンツにそういった私のプロファイルを残していき、それが私自身の財産となり、ファンの方達と共感し合えることで、一緒に現在進行形で突き進んでいきたいと思っています。あくまでも今の私の考えなので、時間が経てば考えも変わるかもしれませんし、これがすべて正しいわけではありませんが、少しでも誰かの参考になれば幸いです。

新会社ではアパレル・エンターテイメント・バスケを三本柱として、様々な情報やサービスを展開していく

また6月28日、私の24歳の誕生日に創業した「株式会社ing(アイ・エヌ・ジー)」の由来についてもここで話させてください。

人生は成功した勝ち組と、諦めた負け組に分かれてしまう。でももう一つの判定結果もある。それがまだ途中組です。バスケ選手であり大卒2年目の社会人である私は、まだ途中組。だから現在進行形の「ing」と命名しました。アパレル・エンターテイメント・バスケを三本柱として、企画・マネージメント・プロデュースする会社です。今後はプロバスケ選手・YouTuber・代表取締役と3足のわらじで活動して参ります。今後も面白そうなことにチャレンジしていきますので、これからも青木太一をよろしくお願いします!

私の4years.

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