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連載:あなたにエール

國學院大の小川龍成内野手 前橋育英の経験胸にお互い次のステップを 兄より

多々良クラブで。後列右端が父・修弘さん、前列右から4番目が兄・駿輝さん、同6番目が小川龍成(写真はご家族提供)

学生球界屈指の遊撃手、國學院大學4年生の小川龍成内野手は今年、主将としてチームを引っ張ります。ともに前橋育英高校(群馬)で鍛えた兄の駿輝さん(24)は、第95回(2013年)全国高校野球選手権で初出場初優勝のメンバー。母校に戻り後輩たちの指導にあたる駿輝さんから、学生最後のシーズンに臨む3つ下の弟へのエールです。

生後7カ月頃の小川龍成、兄と

父の影響で始めた野球

僕も龍成も、野球を始めたのは父(修弘さん=48)の影響です。父は高校時代、太田商(現・市立太田=群馬)で野球をやっていて、社会人になってからも会社の軟式野球部でショートを守っていました。国体にも出たことがあるそうです。父の野球があるときは、家族でよく応援に行きました。

僕は小学3年生から多々良クラブという少年野球チームに入り、本格的に野球を始めました。練習や試合のときには、母(直美さん=51)と一緒に龍成も来ていましたね。龍成はまだ年長だったんですけど、僕らの練習をいつも黙ってじーっと見ていたらしいです。それを見た当時の監督さんが、本当は3年生からじゃないとチームには入れないんですけど、特別に1年生から入れてくれたそうです。当時、僕はピッチャーかキャッチャーをやっていました。人数が少なかったこともあるんですけど、僕が5年生、龍成が2年生のときの新人戦には、龍成も同じチームの2番・セカンドで試合に出ていましたね。守備は確かにうまかったです。

少年野球の時から守備は光っていた

テレビゲームで負け特訓、野球ではなくサッカー

強気な性格ではないと思うんですけど、僕には結構負けん気を出してきますね。2人とも今、身長は172cmぐらいかな……、ほぼ同じなんですけど、たまに会うと「駿輝より俺の方が背は大きい」と言い張るんです。「そうかぁ?」って並んでみると、ほぼ同じ、ドングリの背比べなんですけど(笑)。小学生のころは、2人でよくサッカーのテレビゲームをやっていました。野球じゃなくて、サッカーです。最初のうちは僕の方が強くて、それが悔しかったみたいで、1人で特訓していましたね。僕に負けた日は、龍成の部屋から夜遅くまでゲームの音が聞こえました。

前橋育英高で全国制覇し、高橋光成投手と抱き合う兄の駿輝さん(撮影・朝日新聞社)

全国優勝した兄を超える!

僕が甲子園で優勝したとき、龍成は中学3年生。高校の寮に入っていたので、龍成が進学のことを考えていたころには、特に誘ったりもしていないし、話もあまりしていませんでした。龍成は館林ボーイズという硬式野球チームにいて、守備はやっぱり評価されていたみたいです。

兄がいた高校、しかも全国優勝したチームに入るということでプレッシャーはあったと思います。実家に帰って話したとき、「高校で、俺は駿輝を超える」って言うんです。「いや、全国優勝は超えられないでしょ。並ぶことはできるけど」って言ったんですけど、「春夏連覇すれば、駿輝を超えられる」って。なるほどなぁと思って、僕は「やってみろよ!」みたいなことを言いました。

卒業してすぐのころ、高校のグラウンドへあいさつに行ったとき、1学年下の光成(高橋投手=埼玉西武ライオンズ)がいたので、「弟をよろしく頼む」って話をしたんですけど、光成も「龍成、守備うまいっすねぇー」みたいなことを言ってました。

高3の兄(右端)を応援に来た中3の小川龍成と両親

春夏連覇はできなかったですけど、高3の夏、龍成はキャプテンとしてチームを引っ張って、しっかり甲子園に出ました(2016年夏、初戦の沖縄・嘉手納戦に3-10で敗れる)。甲子園には家族で応援に行きました。結果は残念でしたけど、あの守備のいい龍成がエラーをするという貴重な場面を生で見ることができました。打球を捕りにいって、トンネルというか、ボールをちょっと蹴ってしまったような場面があったんです。龍成がエラーするところなんて群馬大会でも見たことがなかったんで、貴重な瞬間を見たなぁと思います。

主将で前橋育英を3年ぶりに夏の甲子園に導いた小川龍成(撮影・朝日新聞社)

コロナ禍、実家で3時間の野球談義

高校、大学と野球部の寮にいましたから、2人で野球のことを話すことって、ほとんどなかったんです。今年の春、新型コロナウイルスの影響で野球部の活動が停止になって、2人とも実家にちょっと帰って来ていて、そのときに珍しく、3時間ぐらいかなぁ……ぶっ通しで野球の話をしました。今、高校生を指導しているんですけど、僕は内野手をやったことがほとんどないので、「どういうふうに捕球してるの?」「どうやってバウンドに合わせるの?」とか、内野手の守備についていろいろ聞いたんです。東都1部であれだけやれて、大学ジャパンまで経験しているだけあって、やっぱり龍成の話は参考になりましたね。

弟がドラフト候補と言われるぐらいの選手になって、兄として誇らしい気持ちはあります。今年は春のリーグ戦が中止になって、アピールする機会がなくなってしまったので、不安な気持ちはあるはずです。ドラフトで正式に指名を受けてプロ入りを果たしたとしても、そこから相当厳しい道になると思います。でも決めたことは絶対にやり通すタイプの人間なので、心配せずに応援していこうと思っています。

今季は主将としてチームをまとめる小川龍成(写真はご家族提供)

それぞれの道で、それぞれの目標に向かって

自分は甲子園で優勝させてもらって、こういう、なかなか味わうことのできない経験を、子どもたちに伝えていきたいと思って教員を志すようになりました。今年、夏の甲子園大会の中止が決まったときは、3年生の選手たちに何て声をかけようか悩みました。ところが、練習を再開して2カ月間ぶりにグラウンドに集まったとき、3年生はみんな、気持ちを切り替えて生き生きと練習に入ってくれました。想像していた以上に、3年生の選手たちは大人だったんです。グラウンドで野球ができることが楽しくて仕方ない、そんな気持ちが伝わってきました。

教員になって3年目、教えているというより、選手たちからいろいろなことを教えてもらっているという感じです。恩師である荒井直樹監督のもとで指導者としての勉強を積み重ねて、自分もいつか監督として選手たちを甲子園に連れていけるようになりたいと思っています。遠い目標ですが、最終的な目標は、前橋育英の監督として選手たちを甲子園に連れて行くことです。

龍成はこれからもプレーヤーとしての成功を追求して努力を重ねていくことになるでしょう。自分は指導者の道で、この目標に向かって頑張っていきたいと思います。

あなたにエール

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