バレー

連載: プロが語る4years.

五輪延期も前向きに、高校からバレーを始めた僕が証明する パナソニック山内晶大4

覚悟と責任を胸に、山内は今、世界と戦っている(写真提供・パナソニックパンサーズ)

今回の連載「プロが語る4years.」は、バレーボール男子日本代表としても活躍するミドルブロッカーの山内晶大(26)です。2016年に愛知学院大学卒業後、Vリーグのパナソニックパンサーズに進み、チームの中心選手として戦っています。4回連載の最終回は日本代表としての活動を通じて芽生えたもの、そして東京オリンピックに向けての思いについてです。

注目され期待される中、仲間は変わらずにいてくれた

一躍その名が知れ渡ったのは、大学4年生だった2015年の秋。初めて出場したワールドカップだった。前年の14年に日本代表へ初選出され、その年のアジア大会にも出場したが、韓国開催だったこともあり、バレー界の中では知られても世間ではまだまだ。しかし、連日ゴールデンタイムで生中継されるワールドカップとなれば話は別。

女子バレー日本代表は12年、ロンドンオリンピックで銅メダルを獲得したことで、人気も実力もともに先行していた。しかし男子バレーは15年のワールドカップで、山内とともに初出場した石川祐希(現・アリアンツ・パワーバレー・ミラノ)や柳田将洋(現・サントリーサンバーズ)など、スター性を備えた選手が活躍。6位と好成績を収めたこともあり、人気が爆発した。

それまでは関係者しかいなかった東海大学リーグにも、山内見たさにファンが足を運ぶようになり、大学を歩いていても声をかけられる機会が増えた。それだけ注目されているという証拠であり、ありがたいと思う反面、いささか居心地が悪い。だがどれほど世間の反応が変わろうと、まるで変わらず普段通りに、むしろ取材のカメラが来ればうれしそうにアピールしようとする大学の同期の存在は救いでもあった。

「注目されるようになると、今までのように自分のペースでできない難しさや、恥ずかしさもありました。代表合宿へ行けば毎日緊張して気が休まることがない。それでも、大学に帰れば変わらない仲間がいる。それはものすごくありがたかったし、そういう仲間のおかげで最後まで頑張れたと思います」

学生ラストゲーム、やり切ったと思えた

もっとうまくなりたい、とは常に思い続けてきた。それにプラスして、代表に選ばれるようになってからより強く思うようになったのは、「結果がすべて」ということ。

「どれだけいい練習ができたと実感できても、勝たないと意味がないと代表で思い知りました。過程も大事ですけど、届くのは結果なので、結果にフォーカスしないといけない。だから大学でも絶対勝ちたいと思ったし、勝たなきゃいけないと思っていました」

とはいえ、壁は厚い。日本代表がどれほど力をつけても、15年のワールドカップではアメリカやブラジルなど世界のトップと称されるチームに及ばなかったように、戦力や意識で上回る関東や関西の上位チームは強い。ワールドカップを終えて間もない、大学最後のインカレ。3回戦で早稲田大学に敗れ、山内の大学バレーは終わった。

「悔しかったですが、納得もしていました。最後、強い関東1部の相手と戦って負けたこともそうだし、自分たちができることはやれた、とやり切った感もありました。最後まで自由に、大学生活も大学バレーも楽しむことができました」

逃したリオ五輪、先輩の姿に責任と覚悟を思い知った

右も左も分からず始まった14年の春から季節はめぐり、リオデジャネイロオリンピック最終予選や世界選手権、2度目のワールドカップも経験した。思い通りにいった試合もあれば思うようにできず悔しさを味わった試合もあり、不完全燃焼のまま終えた大会もある。様々な経験を重ねる中、日本代表として戦う「責任」や「覚悟」も、痛いほど分かった。

とくにオリンピックの重さが身に染みたのは、リオデジャネイロオリンピックの最終予選で敗れた4年前だ。

リオデジャネイロオリンピック最終予選が終わってから、山内(左上)はオリンピックという大会の重みを実感した(撮影・朝日新聞社)

「ワールドカップで注目していただいて、リオの切符がかかった最終予選もたくさんとり上げていただいたけれど、正直に言えば、あの時もどこか実感がなかったんです。『オリンピックに出たい』と言葉では言っても、まだ分かっていなかった。本当の意味でそれがどれだけ大事な試合で大事な大会だったのかというのは、最終予選が終わった直後、すごく悔しそうに、涙も見せた先輩方の姿を見て初めて気づきました。でもだからこそ感じるし、思いますよね。リオに届かなかったあの経験、悔しさがあるからこそ、オリンピックがいかに大事で特別か。だから僕は、(東京オリンピックが)延期になったことは残念ですが、もう1年スキルアップのための時間ができたとポジティブに捉えています」

諦めずにバレーを続けていれば可能性はある

想像もしなかった未来が次々現実になり、また次を見すえる。来夏の東京オリンピックへ向けてスキルアップを図ると同時に、若手のミドルブロッカーも次々台頭する中でいかに自分の武器をアピールできるか。課題はいくつもあるが、それだけ伸びしろがある。プラスに受け止めることもできる今は、間違いなく充実の日々でもある。

「オリンピックが延期になって大変な選手もたくさんいますが、試合ができない中学生や高校生なども大変だと思います。でもどんな選手でも、例え全国大会を経験できなかったとしても、僕みたいに諦めずにバレーを続けていれば可能性はある。僕も何か一つ違えば、部員数が足りなくて大会に出られなかったり、バレーを続けなかったりという選択肢もあったかもしれない。でもバレーを続けていたから今、パナソニックという素晴らしいチームでバレーができているし、代表にも入れた。極端に言えば、もしかしたらまだバレーを始めたばかりの人でも、楽しく好きなようにバレーをやり続けていけば、これから何かのきっかけで高校や大学、Vリーグ、日本代表につながることもあるかもしれない。カッコよく言えば、それを僕が証明していけたら、と思いますよね。高校からバレーを始めてもオリンピックに出られる。これだけやれるんだ、と証明したいです」

バレーを始めた高校時代、山内にとって世界どころか全国すら遠い舞台だった(写真提供・パナソニックパンサーズ)

例え今は苦しくても、諦めなければ大きな夢をつかめる未来はゼロじゃない。これからを夢見て、未来を描く学生たちの目標になれるように。あのころは想像すらしていなかった未来を歩む今、山内もまだまだ「もっとうまくなる」と自分を信じ、その先を、進化を続けていく。

プロが語る4years.

in Additionあわせて読みたい