陸上・駅伝

特集:第52回全日本大学駅伝

立命館大学 自分で考え成長する選手たち、全日本大学駅伝で初の入賞なるか

左から吉岡、前川、山田。チームを引っ張る3人だ(撮影・藤井みさ)

昨年の出雲駅伝では6位入賞し、関西勢で最も勢いのある立命館大学。今年は「出雲駅伝優勝」を本気で狙って始動した年だったという。これまでのチームの状況と目指すものを、高尾憲司コーチ、吉岡遼人(4年、草津東)、前川紘導(ひろと、4年、網野)、山田真生(まき、2年、中京院中京)に取材した。

去年の結果は「実力通りのものが出た」

高尾コーチが立命館大学陸上部の長距離部門を指導して、今年で8年目になる。大学生は4年で入れ替わるため、「はじめの4年間は、学生がこれまで行ってきたトレーニング方法とは異なるため、なかなか結果が出ない可能性があると思っていた」。次の4年を勝負と捉え、今年にピークが来る想定で考えていたが、「(想定より)1年早く来たんですよね」と去年を振り返る。

一昨年の出雲駅伝で高尾コーチが指導して初めて7位に入賞。昨年は出雲駅伝で3位に入りたいと思って臨んだ。しかし駅伝前のトラックで調子が良かった前川が2区区間12位とふるわず、計算通りにいかなかった。「最低限の順位でした。(過去最高タイの)6番だったけど、喜びというかもっといけたな、ボロが出なくてよかったな」と高尾コーチ。

昨年の出雲駅伝でゴールテープを切る吉岡。過去最高タイの6位も「実力通り」(撮影・藤井みさ)

その後、全日本大学駅伝に向けては各部員が自己ベストを更新するなど勢いがあり、「入賞もできるかな」と考えていたという。しかし今度はアンカーのエース・今井崇人(現・旭化成)が実力通りの走りができなかった。

「そういう状況だったので、2018年に出雲で7位になった時のほうが『よう行けたな! まぐれか!』という感じでしたね。去年は普通というか実力通りというか、『こんなもんやな』と。もうちょっと欲を出したかったというのはありましたね」

チーム全員で取り組んだ「地球一周ラン」

昨年の状況を踏まえて、「出雲駅伝優勝、全日本大学駅伝入賞」を目指ししっかり強化しようと始まった新シーズン。質の高い練習が積めており、4月の大会で5000m13分台、10000m28分台をそれぞれ5人揃えられる、というぐらいまでの状態になっていた。その矢先のコロナ禍。4月3日からグラウンドが使えなくなり、その状況は7月中旬まで続いた。

グラウンドが使えない間は、各自でロードを走るなどして工夫して練習した。部員はマネージャーを除くと15人と少数で、全員が同じ寮に暮らす。そのため、「授業に行かない(オンラインになった)ぐらいで、生活はそんなに普段と変わらなかった」と前川は言う。「自分たちでコースを探しに行って信号や車の通りが少ないところをみつけたり、1000mのインターバルをやったりしていました」

そうは言っても大会がいつ開催されるかもわからず、どういう方向性にモチベーションを持っていくかがわからなくなっていた頃。6月23日に「これから70日間で、スタッフもマネージャーも含めて全員で地球一周しよう!」と決める。そこから一気に全員が距離を踏み出した。

高尾コーチはチームを「家族みたい」だと表現する。いいことも悪いことも何でも言い合う仲だ(撮影・藤井みさ)

高尾コーチも7月は500km走った。しかし「スタッフも全員で」と言っても、監督や女子マネージャーが人数割した平均の距離、月間750kmを走るのは難しい。そのため地球一周=4万kmを達成するために選手たちは必然的に、月間900km程度の走行距離が必要になった。吉岡は7月は800km台後半、8月は1000km。山田は7月900km、8月は860kmと、いままでの立命館史上最も走り込んだ、というぐらいとにかく走った。

ただ距離を踏むだけではなく、夏は妙高で1カ月間合宿を行い、質の高い練習に取り組めた。「みんなで一つの目標に向かって、この状況でも楽しくうまくやってた感じですね」と高尾コーチ。「それで練習を積みまくって動けなくなるぐらいになってたんで、全日本インカレはまったく走れなかったんですけどね」と笑う。

今年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、全日本インカレの出場者数が例年より絞られた。吉岡と山田は5000mのA標準を突破していたが、高尾コーチは外れるのではないか? と考えていて、選手たちも全日本インカレのことは考えずにいた。出場が決まったのは8月28日だった。「2人は全カレ多分無理だから、後ろから1、2番だけ取らなければいいやと(笑)。実際(レースの)途中、そんな状況でしたけど(笑)」

日本インカレ5000m、最後尾を走る山田(左)と吉岡。夏合宿の疲れが大きかった(撮影・藤井みさ)

結果は完走した17人のうち、吉岡が12位、山田が15位。「でも僕らの中ではそれは全然ショックじゃないんです。吉岡や前川は実業団が決まってるし、ここでなんぼ強くなってもその先で強くならないと生きていけない。まだまだ今まで練習の量が少なかったんで、実業団に行ってから苦労する選手も多いですね。ある程度(練習を)やらせないと(その先に)行ってから苦労するので。そういうのもあってみっちりやってます」

この1年間、1週間以上故障している選手はいない

とはいえ、ここ1年ほど部内では1週間以上故障している選手はいないという。2018年の出雲駅伝前からトレーナーが参画し、体のケアの相談にのってくれるようになったことも大きいが、一番は選手の意識だと高尾コーチは言う。

「僕の、コーチの仕事は『故障させないこと』ではなく、目標としているものに対して叶えてあげるストーリーを作ってあげることなんです。日本一になりたいんだったらそのための道筋を描いてあげる。君たちの仕事はその練習をこなすことと、故障しないことだよと。あとはそれをコントロールするのが僕の仕事です。その意識がお互いあるので、高い次元の練習ができてるかなという感じはしますね」

吉岡も「練習で無理をしないというよりも、無理をする上でどれだけ次の練習につなげていけるかを考えてます」という。「練習ではとことん追い込んで、終わってからの時間の使い方だったり、睡眠だったりを常に意識しながらやってます」。選手たちに意識が浸透しているからこそ、ここまで力を高めてこれた。

頑張った評価は自分を超えることで見せられる

高尾コーチは常々、「自己ベストを出すことが大事」と選手に言い続けている。毎年9月から部内のランキングが発表され、大会ごとに更新。ベストを更新した選手の名前は黄色に塗られる。最終的に全員の名前が黄色になるのが目標だ。「だから一人だけベスト出してないとかだと、プレッシャーだと思いますよ。でもみんなゲーム感覚でやってると思います」

自己ベストが大事、というのは個人の競技者としてレベルを上げていけ、ということなのだろうか。そう問いかけると「努力って測れないですから」と返ってきた。「大会に出ると頑張りの結果が『順位』という形で現れます。でもみんなそれなりに頑張っていても、その大会で1位になれるのは1人だけ。自分が頑張ったのを何のものさしで測るかというと、『自分を超える』ということになるんです。自己ベストは自分を超えた証拠ですから」

去年の全日本では3区を走った前川。関東とはチームの層の厚さに違いを感じたという(撮影・藤井みさ)

「みんな(自己ベストが)出るまで必死でやるし、それに応えようと学生もやってくれます。今年はこのコロナの状況だからこそ、みんなで自己ベストを更新しよう、と言っています」。選手も指導者もお互いそれを求めている。とにかく自己ベストが出るまで徹底して記録会などに連れて行って、走らせもするという。「昨シーズンも1人だけ12月までに更新できなくて、1月の記録会にも連れていきました。そこで記録を出せて、全員が無事更新できました。プレッシャーをかけまくったり、アホなこともするけど、いろんなやり方でやってますね。4年間競技を続けて、自己ベストを更新せずに卒業する選手はいません」

少人数ということもあり、コーチと選手が家族のように信頼しあっているからこそできることでもある。ふざけるときは一緒に遊び、陸上になるとしっかり言うことは言う。切り替えがはっきりしている、「ほんとに面白いチームですよ」と高尾コーチは笑う。

出雲駅伝中止にも「やることは何も変わらない」

この取材をお願いしたときに、高尾コーチは「モチベーションは下がりましたが、今は前向きに過ごしている」とメールをくれた。モチベーションが下がったとは? とたずねると、「僕はいい指導者じゃないので」と切り出した。「誰でもそうなんですが、目標ってあると思うんです。僕は指導者として、出雲駅伝で優勝したかった。それが中止になってモチベーションが下がってしまって……これじゃだめだ、彼らのほうがもっと落ち込んでるだろう、と思って『落ち込むな』と選手たちに送ったんです。そうしたら、『やることは一緒だから』と返ってきまして」

「立命館のポーズとかないですか?」と聞いてみると「R」のポーズをとってくれた山田(撮影・藤井みさ)

高尾コーチからメッセージが来る前に、出雲駅伝の中止を受けてすでに吉岡と前川は「自分たちの中では何も変わらないよな」と2人で話していたのだという。「それが今のチームの雰囲気の良さ、強さ、意識の高さだなと。指導者がいくら言っても、学生がしっかりしないと意味がない。そういう意味では、うちのチームは彼らのほうがモチベーション高くやっていると思いますね」

「大人ですね」と思わず声に出してしまったが、そういう風に考えられるのは、なぜなのだろうか。前川は「自分はどっちかと言ったら、目の前のことを一つひとつ消化していくタイプなので」。遠くのものがなくなったとしても次の練習に向けて調整するだけだと考えている。「仮に駅伝がなくなったとしても、実業団に行っても陸上を続けるので、その準備期間にあてられる」と考えている。

吉岡もまた「駅伝は目標であって、そこはゴールじゃない」という。「一つ大会が減ったからといって、最終的に影響するかと言えばそこまでではないです。大会がないからこそ地球一周企画だったりとか、走り込みもできたり、普段できない練習ができるとプラスに考えています」。そう考えられるようになったのは、一昨年に出雲駅伝で入賞してからだ。「1回生のときは関東と差が開きすぎてて自覚を持ててなかったんですが、2回生で結果を残せて、取り組み方や意識が大きく変わりました。もっと上に行くためには距離を踏む、そのためには故障しない体を作る、ケアをする、と意識が高まりました」

山田は昨年の全日本で4区を走った。11.8kmは長かったと感じた(撮影・安本夏望)

山田は1回生のときからAチームの練習に合流していたが、はじめはついていくので精一杯だった。「でも他の人達はその練習を淡々とこなしていて、その人達の練習に対する取り組み方だとか準備を見てきて、少しずつ吸収して考えて取り組めるようになりました」。先輩の姿勢は確実に後輩に伝わっている。

「苦手」の全日本 関東との差を感じながらも

次の大きなレースは全日本大学駅伝となるが、高尾コーチは「コーチ目線からは苦手です」と本音をもらした。「出雲で入賞するまでは、全日本では一生入賞できないと思ってました。距離が長いですね。うちに来てくれる子たちは、高校時代は無名の選手たち。そういう子たちはなかなか10kmを超えるロードを走れない。人数が少ないので替えもいないし、どうしても守りに入ってしまいます」

昨年はアンカーの今井が苦しい走りになった(撮影・藤井みさ)

選手たちの印象はどうか。卒業後はマラソンをやっていきたいといい、長い距離も得意とする吉岡は「距離に対する耐性がチームとしてまだまだないなと毎年感じさせられます」。昨年は7区(17.6km)を走って区間7位、チーム順位を12位から10位まで上げたが「入賞を狙う気持ちもありましたが、後半失速してしまいました。まだまだ(関東と)差があるなと。だから今年の走り込みにつながってます」と前向きだ。

吉岡とは正反対、トラックが得意でスピードタイプだという前川は「ほんとに距離ですね」と苦笑する。2年で初めて全日本を走り、トラックとロードの違いをまざまざと感じた。「スピード重視でやってきてた分、筋力が足りないとロードを走れないというのをすごく感じました。関東に勝てない理由が、距離もそうですけど選手層を底上げができていないなと。去年、僕は3区を走ったけど(区間13位)、関東のチームは僕レベルの選手が5区、つなぎの区間を走ってます。勝つためにはまだ底上げが足りないです」と分析する。

昨年4区11位だった山田は「やっぱり関東との力の差を感じたところだなと。出雲だと前半飛ばして、ちょっと我慢して最後上げたらどうにかなるんですけど、全日本の11kmだと中間が落ちちゃうなと。まだまだ力が足りないなという感じです」と力不足を認める。

「面白かったこと思い出してください」と声をかけると、3人とも自然と笑顔になった(撮影・藤井みさ)

率直に力の差を語る選手たち、高尾コーチも「大変厳しい」と語りながら、それでもチームとしてまず入賞を目指してやっていくつもりだ。「前半の区間に選手をドバっと並べて上位を走ってテレビに映って、『立命が入賞するかも!』と言われながら最後、ごぼう抜かれするとかね(笑)」と冗談を交えて言う高尾コーチだが、「意外とそう(前半でいい順位)なったらいったりするんですよね、駅伝は流れと勢いですから」とも言う。

先日、9月26日の中国実業団記録会では、前川が5000mの自己ベストを6秒近く更新する13分50秒63。4年の岡田浩平(洛南)がそれまでのベストを13秒あまりも更新する13分51秒02で走るなど、好調ぶりがうかがえる。チーム力を底上げし、伊勢路を面白くする存在になるか。そして大学史上初の入賞に手が届くだろうか。

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