ラクロス

連載:ラクロス応援団長・おばたのお兄さんコラム

おばたのお兄さんが今でも強く思う「ラクロス部に入ってよかったこと」

日体大を卒業した今でも、ラクロス部との縁は続いている(撮影・全て齋藤大輔)

2021年、あけましておめでとうございます。日本中、いや世界中のみんなにとって激動の2020年が明け、2021年がスタート。このコラムを書いている時、2020年の内に東京オリンピックが開催されていたら、その半年後の今はどうなっていたのかなぁと考えた。

運動離れが進む子どもたちはスポーツに興味を持ってくれたのかなぁとか、日本の経済はどうなっていたのかなぁとか、そもそも聖火ランナーで選ばれていた僕は、聖火ランナー芸人として今頃何か関連のネタをやっていたのかなぁとか。おせんべい持ちながら、越後“せいか”ランナー! とか? 新潟出身だし。ね? ダメだ却下。まぁそんなことを考えながら、厳しい現状だけどなんとか2021年、オリンピックが開催されることを願っている。

おばたのお兄さんの「ラクロス4years.」

新年早々、大学時代の仲間と「いつもの光景」

そんな年明け、仕事終わりにスマホを見ると、LINEのグループ内でビデオ通話がされていた。参加者は5人。日本体育大学ラクロス部同期のLINEグループだ。僕もすぐさま参加した。


「あけおめ~」
「こんな時間まで仕事かよ~」
「おい、しんむらが参加してないぞ」

僕らにとっていつもの光景だ。でも、卒業して離れ離れになって10年経つのに、ここに「いつもの光景」があることは幸せなことだ。こんな時代だしハッピーに生きたい。だから今日は、ラクロスでできた僕の最高の仲間がくれたハッピーをつらつらと書こうと思う。何を隠そう、きっと日体大ラクロス部に入らなかったから、こうして芸人としてコラムを書くこともなかっただろうから。

仲間とゼロからラクロスを始め、いつでも一緒だった

2007年、新潟の魚沼から出てきた僕は、日体大ラクロス部に入部した。ラクロスをやろうと思った理由は、4years.のコラムの一発目に書いているのでそちらを見てほしい。

おばたのお兄さんが「ラクロス人」になるまで、今思う大学スポーツの面白さ

僕らの代はスタート時は17人ほどいた。男子ラクロス部がある高校は全国にほとんどないため、日体大は全員が大学からラクロスを始める。野球、バスケ、サッカー、陸上、バドミントンなど、様々な競技をしてきた奴らが、初めてのラクロスに四苦八苦する。大学生ともなれば自分たちでうまくなる方法を考え、教え合う。ルールなんかもややこしいため、部活が終わってからも授業の時も休みの日も、一緒にいて切磋琢磨(せっさたくま)する。

当然、それだけ一緒にいるので仲も良くなる。17人いた同期も4年生になるころには10人になっていたが、途中でやめてしまった仲間も変わらず同じ時間を過ごしていた。これは少し特殊だから、僕らの代は特に仲がいいのだと思う。

「出しもの大会」、みんなでイタいを共有

ラクロスはカレッジスポーツであり、日本では歴史の浅いニュースポーツなため、運営もほぼ全てを学生で行う。他大学同士も手と手を取り合い親交を深め、とにかく全体でラクロスを盛り上げよう! となっている。そのため、大学1年生を対象とした多大学合同合宿「フレッシュマンキャンプ」や、公式戦ではない全国から大学が集まる合宿型のオープン大会も多くあり、その都度に「出しもの大会」がある。

「出しもの大会」では率先して役割を担ってきた

例えば2泊3日の大会であれば、2日目の夜に参加している全大学全選手が集まり、各大学ごとに出し物をする。はやりのダンスを踊ったり、ひょうきんな奴らがものまねをしたり、まぁ僕は“それ”だったわけだ。これだけ見たらなかなか痛々しい(笑)。しかしこれが青春なんだ。

もちろん僕は4年間、ことあるごとに、日体大の代表としてこれに参加した。ことない時もやっていた。面白いかはどうかは別にして、僕は明るかった。そして「激イタ」だった。同期の仲間たちはそんな僕を御輿(みこし)に乗せて、一生懸命担いでくれた。担ぐというより、一緒に御輿に乗って、タイヤをつけて、ペダルをつけて漕(こ)いでいた。そう、奴らもまた、イタかった。でも大学生なんて、イタいくらいがちょうどよかったのかもしれない。死ぬほど楽しかったもん。これにより僕は鍛えられ、気がつけば今や小栗旬とJ.Y.Parkのハイブリッド芸人になっている。

「才能ある人が夢を叶えられるわけではありません」J.Y.parkに学ぶ夢の叶え方

初単独ライブに日体大ラクロス部6世代が大集合

僕が芸人になってから今まで、同期の彼らは僕の単独ライブには必ず来てくれる。「いつもありがとう!」と言うと、「かず(僕のこと)のおかげでこうやって集まる機会ができる」と言ってくれる。初単独ライブの時なんか、同期はもちろん、2年後輩から3年先輩まで日体大ラクロス部だけで6世代、総勢20人以上が来てくれた。客席の上の方は、日体大ラクロス部OB会になっていた。テレビに出始めたころは、僕が出ているテレビの写メを撮ってグループLINEに流してくれたり、ネットニュースになれば共有してくれたり、週刊誌に載ればそれを笑いやがるのだ。間違いなく、今もこれからも僕の心の支えだ。ラクロス部しか勝たんぴえんである。

苦楽をともに味わってきた仲間に、今でも支えられている

新年1発目のコラム、思い出コラムを書こうと思ったわけではない。僕の仲間は、今この時間のきっかけを与えてくれて、支えをつくってくれた。ラクロス部で過ごした時間に改めて感謝している。

「ラクロス部に入ってよかったことは何ですか?」
「最高の仲間ができたことです」

このコラム、掲載前に彼らとのグループLINEに流そうと思う。2021年もよろしくお願いいたします。

ラクロス応援団長・おばたのお兄さんコラム

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