ラクロス

連載:ラクロス応援団長・おばたのお兄さんコラム

これもそれも「当たり前」じゃねーぞ! おばたのお兄さんが昔の自分に伝えたいこと

おばたのお兄さんは日体大でラクロスをしていた時、その環境を「当たり前」に感じていたところがあると言う(すべて撮影・齋藤大輔)

ついこの間、電車に乗っていたら、大きなリュックにラクロスのクロス(ラケット)と、解体されたラクロスのゴール(長さ180cmの鉄パイプ)を持った学生が、うんとこしょ! どっこいしょ! と乗ってきた。「いやぁ~そうだったなぁ~。大荷物での移動、懐かしいなぁ~」なんて思って見ていたが、「あれ? 俺これ持って電車で運んだことなんてあったっけ?」と首をひねりながら記憶を巡らせた。

おばたのお兄さんの「ラクロス4years.」

マイナースポーツゆえの苦悩

僕は日本体育大学で4年間、ラクロスに打ち込んだ。当時の日体大男子ラクロス部の全体練習は月曜日が17~20時、水・木曜日が朝6時50分~9時、土日曜日が基本的には午前練習もしくは試合、といったスケジュールだった。練習場所は日体大グラウンド。全面人工芝のグラウンドで、グラウンドの横にはラクロス部専用の倉庫があり、ゴールもいちいち解体せずに倉庫脇に置いておける。朝早くから始まる練習も、夜遅くまで続く練習も、準備と後片付けはそこまで時間がかからない。

当時の僕は、というか部員である僕らは、この環境が当たり前だと思っていた。しかし、これはサークルではなく「部」として大学から正式に認められているからであり、大学によってはサークル扱いだったり、部として認められていてもラクロスがマイナースポーツであるがゆえに、練習場所のグラウンドの使用が認められない大学もある。

冒頭で登場した、うんとこしょ! どっこいしょ! の学生は、恐らくラクロス部がその大学からグラウンド使用の許可が得られず、河川敷のグラウンドを毎回借りているのだろう。関東の1部に所属する強豪チームでも、こういったことは珍しくない。このチームの学生は1年生の時からそういったことが当たり前になっているので(彼らが今何年生なのか分からなかったけど)、うんとこしょ! どっこいしょ! が当たり前なのだと思う。

「当たり前」に慣れると負のスパイラルに陥る

誰しもみな、最初に置かれた環境が基準となる。僕は大学時代、雨が降っても人工芝だから練習できることが当たり前だったし、きれいな更衣室がすぐそばにあり、自分のロッカーもあるからシャンプーやらドライヤーやら着替えやらも置いておくことが当たり前だった。恵まれた環境が基準となっていた。だから、土グラウンドでシャワーのない場所での試合の時はブーブー文句を言っていたと思う。これはダメだ。自分が指導者でこんな選手がいたら、一旦お寺にぶち込むと思う。

大学を卒業し、芸人になった今、恵まれた環境を「当たり前」と感じてはダメだと思うようになった

ではなぜ、いい環境や恵まれた環境を「当たり前」に思ってはダメ! のような言い方を僕がするのか。「その環境でずっとできるんだったら別にそれが当たり前と思ってもよくない?」と思う人もいるだろう。僕がそう思う理由は2点ある。

まず1点目。自分の基準よりも悪環境に置かれた時に愚痴が多くなる。「愚痴が多くなる→周りにもフラストレーション→ネガティブな雰囲気」という流れが起きる。

このコラムを読んでくれるような方は、スポーツにおいてどれだけメンタル面がプレーに影響し、デリケートなものか理解しているだろうが、あえてスポーツではなく自分の体験から例を挙げてみる。

あるテレビのロケの現場であるタレントさんがロケ車待機の時に、「なんで待機場所が別室で用意されていないの?」とマネージャーさんに愚痴を吐いていた。僕のような若手はそんなこと慣れっこだしなんとも思っていなかったが、そのタレントさんは手厚くされることが当たり前になっていたのだろう。当然、その後の仕事に臨む気持ちも落ちているだろうし、周りにも影響を及ぼす。スタッフさんも気を遣わなければいけないし、悪循環になる。チームで動いている現場ではいいことなんて何ひとつないのだ。

「当たり前」ではないことに感謝が芽生える

そして2点目。当たり前ではない「感謝」がつくるいい影響。

僕は今、かなりしっかりとした規模のミュージカルの舞台稽古に励んでいる。このコラムが公開されるころには本番を迎えている。「テニスの王子様」や「刀剣乱舞」といった超人気2.5次元ミュージカルを手掛けているネルケプランニングという会社のミュージカルであり、スタッフさんの数も多く、みな超一流である。いわゆる「恵まれた環境」の中でやらせてもらっている。

こんな環境下で仕事をさせてもらえることなんて滅多になく、当たり前ではないので日々感謝し、やる気もみなぎる。意欲的になり、成長が楽しくなる。そして感謝を積極的に「言葉」にすることで、このスタッフや環境でできることが当たり前になっていた演者も、自然と感謝を多く口にするようになり、周りの空間自体がポジティブになる。いいことでしかない。

「当たり前」に思わないことでポジティブになれることもある

いい環境に慣れることはいいことだ。一流になるには一流を知らなくてはならない。しかし、常に自分がプレーできることや活動できることに感謝することで、よりよいものを生み出せることを僕は経験しているから、ここに記した。

みなさんが今できているそれは、その環境は、「当たり前」ですか? 大学時代の僕に、このコラムを見せつけてやりたいものだ。

ラクロス応援団長・おばたのお兄さんコラム

in Additionあわせて読みたい