宗像サニックスの藤井達哉、記録に残る選手から記憶に残る選手への飛躍
最後のシーズンが始まったラグビー・トップリーグで大物外国人選手の活躍とともに目につくのが若手のはつらつとした動きだ。宗像サニックスブルースで2年目のSH(スクラムハーフ)藤井達哉(20)もその一人。開幕から3試合連続で先発し、主力としての期待も大きい。
初のフル出場、ヘトヘト
3月6日のサントリーサンゴリアス戦は後半26分で濱里耕平(32)と交代したが、1、2戦目はフル出場だった。「開幕戦(2月20日、クボタ)が人生で初めて80分出た試合。本当にきつくて。終わった後、疲労感が全然、違った。次の試合にもっていくのが大変でした」
ルーキーの昨季はコロナ禍で打ち切りになるまでの6試合全てに出場したが、フル出場はなかった。「去年はキックなどスキル面でまだ足りない部分があった。今季はそこら辺を修正できている」。自ら成長への手応えがあり、長くなった出場時間は首脳陣から信頼の証しでもある。
今季、同年代では東福岡高からパナソニックワイルドナイツに入ったFW福井翔大(21)がインパクトを与えている。藤井は「1回、あたってみたいですね。でも、まあ。向こうは知っているかわかんないですけど」。同じ福岡のちびっ子ラグビーから育ったが、東福岡高2年で高校日本代表に選ばれた福井のようなエリートではなかった。宗像市のサニックスのグラウンドを使う玄海ジュニアラグビークラブで小学1年生から競技を始めた。長くサニックスの監督を務め、日本代表ナショナルチームディレクターに転じた藤井雄一郎さん(51)の次男だから自然な流れだった。高校は地元の、ラグビー部はできて間なしの東海大福岡へ進んだ。
高校卒業前にNZへ
中学生のころから本場でラグビーをやりたいと思うようになり、高校卒業前の2018年2月にニュージーランドへ渡った。「高校4年目をもう1度やったみたいな感じ」(藤井)と、ダニーデンのジョンマグラシャンカレッジで授業を受けながらラグビーを続けた。カレッジのチームがオタゴ州の大会で決勝まで進んだこともあり、ハイランダーズU18やオタゴU18に呼ばれた。翌年は語学学校で学び、ラグビーの技を磨いた。「試合中のコミュニケーション能力や状況判断を学んだ」と振り返り、19年秋にサニックスへ戻ってきた。
新人の昨季は開幕から先発SHに抜擢(ばってき)され、3試合目のNTTドコモレッドハリケーンズ戦(20年1月25日)で初トライを挙げた。当時、19歳10カ月10日だったため、パナソニックのFWベン・ガンター(23)が17年にマークした19歳11カ月20日を1カ月余り更新するトップリーグの最年少トライ記録を作った。しかし、伸び盛りの19歳にとってこれから楽しみという2月、新型コロナウイルスの感染拡大でリーグは中止になった。
ベテランSOからの学び
長かったオフシーズン。昨秋からは実家を出て一人暮らしを始めた。父とラグビーの話しをするのは嫌いではないが、「グラウンドで父とあい、家でも父とはちょっと」。料理を作るのも苦にならず、パスタや肉料理に挑戦している。
チームには日本代表WTB(ウイング)レメキロマノラヴァ(32)らが新たに加わった。藤井には、ハーフ団を組む元日本代表SO(スタンドオフ)小野晃征(33)の9季ぶりの復帰も大きい。15年ワールドカップで南アフリカを破った時の日本の司令塔で、「全部見えて、全部指示してくれるから。やりやすいです」と藤井。試合の組み立て方などを学んでいる。
チームは開幕から3連敗。特に第2節(2月27日)に地元で三菱重工相模原ダイナボアーズに逆転負けしたのは痛かった。「ショックでした。勝てる試合だったから。レベルは上がっていますが、後半にふと抜けてしまった」。23-13と前半リードしながら、後半は無得点と失速し、23-30で敗れた。
宗像「生え抜き」の自負
3月13日の難敵・トヨタ自動車ヴェルブリッツ戦は今シーズン最後の地元・宗像での試合になる。「ホームでは勝ちたいです。玄海ジュニアの関係者の方もいっぱい来てくれるので、変な試合はできない」。日本代表で活躍したWTB福岡堅樹(パナソニック)らが巣立った玄海ジュニアから初めてサニックス入りした「生え抜き」選手の自負がある。昨季、最年少トライを記録したのは同じグローバルアリーナだった。15日が誕生日、20歳最後の試合で意地をみせられるか。