ラグビー

連載:4years.のつづき

チーム消滅乗り越え女子ラグビーの発展を 九州産大女子監督・豊田将万3

日本代表に選ばれた豊田将万(左)。トンプソン ルークと(撮影・斉藤健仁)

2021年4月から九州産業大学女子ラグビー部を指導する豊田将万(まさかず)監督(35)。早稲田大学で3度の大学日本一に貢献した後、2009年から加わったのは地元・福岡のコカ・コーラでした。連載の最後は社会人となり日本代表での活躍などを振り返り、指導者としてこれから何を目指すのかです。

グラウンドに帰ってきた元日本代表、九州産大女子ラグビー部監督・豊田将万1
早大で日本一3度「やばいっす」連呼、九州産大女子ラグビー部監督・豊田将万2

強くなれるチームへ

早大で1年生からレギュラーだった豊田は、トップリーグの上位チームからも熱心に誘われた。ただ、豊田は決して強豪とは言えなかったコカ・コーラウエスト(当時)に入団することに決めた。その理由を「大学時代は常勝チームでした。地元だからというより、今から強くなるチームにいきたかった」と説明した。チームはトップリーグに昇格して4年目、最高成績は9位で、これから上位に進出するという期待感や気概を持っていたことに惹(ひ)かれた。

豊田は社会人になったばかりの09年5月、「JK」ことジョン・カーワンHC(ヘッドコーチ)が率いていた日本代表に招集され、5月のシンガポール戦で初キャップを獲得、その数字を9まで伸ばした。翌年の春まで代表に呼ばれたが、秋はケガで辞退。結局、指揮官の信頼を得ることはできず、11年ワールドカップのメンバーに選ばれなかった。豊田は「JKは大きなFWが好きだったので、菊谷崇さん、谷口到さん、そしてリーチ マイケルも来て、(身長189cmの)自分と同じくらいのサイズ(の選手)に負けて選ばれなかったのは悔しかった」と唇を噛んだ。

日本代表キャップは9。ワールドカップ出場はかなわなかった(撮影・斉藤健仁)

コカ・コーラウエストでは、入社した2009年度はトップリーグで7勝6敗と勝ち越し8位となった。ただこれが最高成績となってしまう。10年度は10位と踏みとどまったが、11年度は14位で、翌年は下部リーグへ降格してしまう。「最初は負けてもこんな感じでいいのか……と違和感もありました。外国人選手もいますし常勝ではないチームで自分は何ができるのか。1~3年目はチームのことに目がいきがちでしたが、下部に落ちてからはラグビー選手として自分にフォーカスするようになりました」

降格、昇格味わう

下部に落ちると、OBで同じポジションでもあり影響を受けた指導者の一人、山口智史HC(翌年から監督)の下、豊田はキャプテンに指名された。HO(フッカー)有田隆平(現・神戸製鋼)、FL(フランカー)山下昂大(現・早稲田佐賀高監督)、SH(スクラムハーフ)榎本光祐(現・三菱重工相模原)ら早大の後輩も入部しており、「日本代表に選ばれるのは二の次、また一からやりなおそう」と決意を新たにしていた。

そして1年でトップリーグに復帰し、豊田はチーム名がコカ・コーラとなる14年シーズンまで、3季キャプテンを務めた。チームはこの後、6シーズン、トップリーグで戦ったものの、14~16位と常に下位に沈み、18年度は入れ替え戦で敗れてしまい、再び降格してしまった。

コカ・コーラではラファエレ(左)や桑水流(左から2番目)らともプレーした(撮影・斉藤健仁)

豊田は「完敗する試合もあったが、中身を見ると競った試合、惜しい試合はたくさんあった。15年シーズン以降もCTB(センター、ラファエレ)ティモシー(現・神戸製鋼)、(CTBウィリアム・)トゥポウら2019年ワールドカップに出場した代表選手もいたが、チームとしては勝てない苦しいシーズンが続いた。エディー・ジョーンズ(現・イングランドHC)の影響でトップリーグの強化のスピードも上がり、選手層というところでも勝てず、結果が出なかった」と、今も選手かのような悔しそうな表情を見せた。

負け越すことが多く、入れ替え戦に何度も出場したトップリーグ時代に学んだことを聞くと、豊田は「社会人は負けてもラグビーができるので、気持ちを切り替えていかにポジティブに取り組んでいくか。人生は順調にいかない。半信半疑のままではなく、自分のやるべきことをやって準備することです」と語気を強めた。

豊田は再び降格が決まった後、19年3月で現役引退を決めた。右ひざの後十字靱帯が切れていたが、大きな手術はせずにボロボロになった軟骨を取ったり、血を抜いたりしてなんとかプレーを続けてきた。「年々、右ひざが悪くなってきましたが、2019年ワールドカップに出るため、日本代表になる可能性が0.01%でもあれば、そこまで頑張ろうと思っていました。2018年度のシーズンが終わり、日本代表に選ばれる可能性がなくなったので引退を決めました」(豊田)

衝撃の知らせにも前を向く

そこから2年間、社業に専念し、21年春、社業とともに九産大女子ラグビー部の監督に就任して早々、豊田は衝撃のニュースを耳にした。10年間、プレーを続けたコカ・コーラの廃部が決定した。営業として働いていたこともあり、コロナの影響で、売り上げが減少していることは知っていた。強化の縮小や外国人選手が獲得できなくなるといううわさもあった。それでも「トップカテゴリーには参加できないだろうが、新リーグに加盟する」と聞いてやや安堵(あんど)していたが4月、一転、新リーグ加盟を断念するだけでなく活動終了が決まった。

チームの後輩に勇気をもらい気に掛かる(撮影・斉藤健仁)


豊田は「経営層の判断でしたが、ショックすぎましたね……。僕はスタッフでも選手でもないですが、知っている選手もたくさんいましたし気力がなくなりました。九州産業大の監督をやっていなかったら、会社を辞めていたかもしれない……」とその衝撃の大きさを口にした。同じ福岡の宗像サニックスの強化縮小の報道もあり、追い打ちをかけるようにコカ・コーラの廃部が決まり、ネガティブな気持ちになっていた。だた、そんな豊田を救ったのは、コカ・コーラの残された選手たちだった。「みんなポジティブでした。なかなかできない経験だし、今後の人生も長いので、これをきっかけに次のステップで頑張ると話していました。僕はウジウジしていましたが、お尻をたたかれた気分でしたね」と前を向いた。

そして、「現役のときに培ったメンタリティーじゃないですが、僕たちが何をやっても100%変わらない。文句を言うのは簡単ですが、残された選手たちに悪影響を与えてしまうかもしれない……。僕は今やれること、九州産業大女子ラグビー部の指導を頑張りつつ、車で10分くらいの距離なので、残された選手たちに練習の場がない、指導者の道に進みたいという選手がいれば『いつ来てもいいよ』と言いました」と、かつての仲間をサポートしつつ、自らも気持ちも切り替えた。

監督として初めて参加した大会で選手と。女子強化の一翼を担う(撮影・朝日新聞社)

「福岡で女子ラグビーの流れを」

来年から始まる新リーグで、宗像サニックスだけでなく、九州電力もトップカテゴリーに参戦できないことは明らかで、豊田は「九州にトップチームがないことは寂しい」と話す。そんな中で、今は九産大の指導に専念している。

2019年、同じ福岡県にある日本経済大にも女子ラグビー部の創設が発表され、コカ・コーラで元上司だった元日本代表SO淵上宗志氏が監督に就任した。また同年、久留米大学を練習拠点にするクラブチーム「ナナイロ プリズム福岡」も創設された。福岡には女子代表選手を数多く輩出している福岡レディースもあり、豊田監督は「九州、福岡で女子ラグビーが完結する流れができている」と感じており、その一助を担っていく。

4years.のつづき

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