陸上・駅伝

特集:第98回箱根駅伝

山口賢助「自分の特長」を追い求めて鶴丸から早稲田大へ、箱根駅伝の先に見すえる世界

山口はチームが目指す「箱根駅伝総合優勝」のために力を尽くす(撮影・藤井みさ)

SNSなどで使われる応援ハッシュタグは「#鶴丸高校が走ってますよ」。山口賢助は東大・京大合格者も多く出している進学校・鶴丸高校(鹿児島)から早稲田大学に進んだ、いわゆる「一般入部組」の選手だ。3年生だった昨年に全日本大学駅伝と箱根駅伝に、ラストイヤーの今年は全日本大学駅伝に出場し、全てアンカーを務めた。最後の箱根駅伝を前にして思いは1つ。「チームの目標が総合優勝なので、総合優勝できるように最大限貢献する走りをする、それだけが目標です」

早稲田大・相楽豊監督“全員駅伝”で箱根優勝を 千明龍之佑が率いる個性の強いチーム

都大路常連校ではなく、県内トップクラスの進学校へ

伊集院北中学校(鹿児島)では当初、軟式野球部に所属していたが、1年目のオフシーズンに駅伝メンバーとして陸上部に駆り出され、駅伝を走る楽しさを知った。「もともと長距離は得意で自主的に走ってはいました。野球ももちろん好きだけど、自分がもっと上を目指せるのは陸上かなと」。2年生に上がるタイミングで陸上部に転部。3年生の時には3000mで全中とジュニアオリンピックに出場し、ともに予選敗退ではあったが、陸上に対する思いはより強くなった。

高校進学にあたり、同じ鹿児島県には全国高校駅伝(都大路)常連校の鹿児島実業高校もあったが、山口が選んだのは鶴丸だった。都大路を走る自分の姿を思い浮かべることはあった。だが同時に、“走る以上の姿”が思い浮かばなかった。「都大路を走る人は何人もいるわけで、自分がはたして出場することで喜べるのかと考えると、それよりは鶴丸に進んで活躍できた方が、自分的にはやりがいを感じられるかなと思ったんです」

鶴丸高校陸上部は強豪ではないものの、山口の2つ上には国体で三段跳び4位に入った田坂裕輝など、短距離種目や跳躍種目には実力者も数名いた。長距離種目には全国を目指す雰囲気こそなかったが、1つ下には5000mが15分30秒と力がある選手がいたこともあり、山口は日々の練習も張り合いをもって挑めていたという。また鹿児島工業の監督が山口のことを気にかけてくれ、ポイント練習に加えてくれることもあった。「鶴丸の顧問の先生もすごく理解がある方で、練習の送迎をしてくださったり、あまり試合や記録会などに出ない部だったにもかかわらず連れていってくれたりと、人にかなり恵まれたおかげで陸上をやらせてもらえたなという感じでした」

学校の授業では課題や予習も多く、山口は周りの友だちから刺激を受けながら、隙間時間も活用して勉強時間を確保していた。陸上の方も少しずつ力をつけていき、3年生では南九州インターハイ5000mで8位につけたが、インターハイ出場(6位まで)には届かなかった。ちなみにその南九州インターハイで優勝したのは、後に早稲田大で一緒に走ることになる井川龍人(3年、九州学院)だった。だが駅伝では2、3年生の時に都道府県対抗駅伝のメンバーに選ばれ、全国の舞台を経験している。

話題のルーキーたち引っ張られながら成長

大学進学にあたり、箱根駅伝出場校からも声をかけられたが、山口は中学生の時から早稲田大に進学すると決めていたという。「大学でも陸上を続けるのであれば箱根を目指したいし、箱根に出場している中では早稲田がいいなと思っていました。伝統もあって目立つし、シンプルに勉強も頑張っていけるかなって」。指定校推薦で進学したが、指定校推薦があることを知ったのが3年生の半ばで、それまでは一般受験での進学を考えて勉強していた。

1年生での学生ハーフで初めてハーフマラソンを走り、1時間05分02秒でチーム内2位の90位だった(撮影・藤井みさ)

2018年、山口と同じく早稲田大に進んだ選手には、中谷雄飛(佐久長聖)や半澤黎斗(れいと、学法石川)、千明(ちぎら)龍之佑(東農大二)、太田直希(浜松日体)など、高校陸上界で注目を集めた選手がそろっていた。「どの大学に比べてもうちには強い選手が集まっていたので、自分はこのまま飲まれずにやっていけるのか不安はあった」と山口は言う。しかし今振り返ってみると、逆に彼らの存在が力になったと感じている。「ハイレベルな中だったからこそ、自分も彼らに引っ張られながら成長することができたのかなと思っていますし、仲が非常にいい学年なので、このチームでやってきて良かったなと思っています」

10カ月ぶりのトラックレースで自己ベスト

Bチームの中で距離への耐性をつけることから始め、時には日々の練習で同期と競い合う。「あれがターニングポイントだった」と山口が言うのが、昨年9月末、夏合宿明けに挑んだ早稲田大学競技会5000mだ。

昨年は新型コロナウイルスの影響を受け、2月下旬から遠征禁止、3月下旬には埼玉・所沢の合宿所を出ての解散が決まった。山口も鹿児島に帰省して練習に取り組んでいたが、時を同じくしてけがをしてしまい、7月に学内で始まった1次合宿ではジョグしかできなかった。遠征ができるようなった3次合宿ではある程度状態がよくなっているのを感じ、負荷の高い練習にも取り組んだ。

そして早稲田大学競技会5000mで14分01秒15と自己ベストをマーク。約10カ月ぶりのトラックレースで、地道に積み重ねてきたことが確実に力になっていることを実感した。翌週には10000mでも29分19秒01と自己ベストを更新。Bチームから初めてAチーム入りを果たした。

11月の全日本大学駅伝ではアンカーの8区を任され、学生駅伝デビューを果たした。7区の鈴木創士(現3年、浜松日体)から5位で襷(たすき)を受け取り、そのまま5位でゴールをしたが、前の走者が見えていた中で追い上げができなかった悔しさが残った。

前回の箱根駅伝で山口(左)は総合3位まで順位をあげると心に決めてスタートしたが、それが果たせず、武士文哉主務の顔を見て涙を堪えきれなかった(撮影・藤井みさ)

3週間後の早稲田大学競技会10000mでは28分20秒4で再び自己ベストを出し、自身初の箱根駅伝に向けて調整を続けた。そして今年1月、箱根駅伝でも10区のアンカーを担った。9区の小指卓也(現3年、学法石川)から7位で襷を受け取り、ラスト4kmあたりで早稲田大と順天堂大学、帝京大学、國學院大學の4校で6位争いになり、最後は競り勝って6位をつかんだ。しかし競り勝った喜びよりも、前を追えなかった悔しさの方が山口には大きかったという。

駅伝でも序盤から攻める走りを

ラストイヤーもまた、昨年と同じような流れでここまできている。箱根駅伝が終わってから約半年、山口はけがで走れない状況が続いた。そのため夏合宿は1~3次全てBチームで過ごし、自分の状態を見極めながら練習を積んだ。練習自体はこなしていたが、山口の感覚的にはまだ本調子ではなかったという。だが9月末の早稲田大学競技会5000mでは14分03秒09、その2週間後の早稲田大学競技会10000mで28分42秒77をマークでき、状態が上がっていることを実感した。

全日本大学駅伝の3週間前に走った10000mの時の方がコンディションが良く、狙った大会にピークを合わせる難しさを痛感した(撮影・佐伯航平)

10月の出雲駅伝には間に合わなかったが、11月の全日本大学駅伝では前回と同じくアンカーの8区を任された。チームが掲げた「優勝」という目標を自身の走りで引き寄せたいと考えていたが、明治大学を抜いたが國學院大には抜かされ、チームは出雲駅伝と同じ6位となった。「全然チームに貢献できない走りになってしまったので、箱根で取り返さないといけない」とすぐに気持ちを切り替え、再び走り始めた。

これまでの3つの学生駅伝では最後に競り勝つ場面が続き、ラストの強さに自信を深められた。その一方で、前半を速いペースで入れず、そのままのペースで後半までいってしまうことに課題を感じてきた。

トラックレースを振り返ると、前半から積極的な走りをしたレースでは自己ベストなど好記録を出してきたが、駅伝では特にアンカーという順位が決定する区間を任されたこともあり、守りに入ってしまったと山口は感じている。「もっと前半の部分でタイムを稼ぐことができれば、全体としていい走りができるんじゃないかという反省がありました。箱根に向け、最初から速いペースで入ってそのまま耐えるようなレースを意識した練習もしています」。山口自身、今年は長く続いたけがに苦しんできたが、夏からは走り込みができ、記録も出始め、「ようやく戻ってきた、という手応えをつかめました」と自信を持って答える。

箱根駅伝はこの同期たちとともに戦う最後の大会となる(左から、中谷、半澤、千明、山口、太田、撮影・松永早弥香)

トヨタ自動車九州から世界へ

過去3大会でアンカーを担ってきたが、山口自身、アンカーに強いこだわりがあるわけではなく、「確かに最後の競り合いには自信はあるけど、別にアンカーが向いているからとかではなくて、それまでは偶然任されている感じはあるのかな」。最後の箱根駅伝で希望するのは1~4区。「卒業後も競技を継続する身なので、復路の区間じゃなくて、強い選手が集まるような往路でしっかり勝負ができるようにならないといけないと思っています」

3年生の時には「100%一般就職」と考えて就職活動を始め、何社かインターンも経験した。しかし考えれば考えるほど、自分が本当にしたいことは何なのか分からなくなってしまった。自分が本当にしたいこと……。頭に浮かんだのは「陸上」だった。「安定はしないかもしれないけど、やりがいとか、自分で目標を見つけて頑張れるのは何かと思ったら、やっぱり陸上しかないとすごく感じました」。来春からは実業団のトヨタ自動車九州に進み、今井正人らとともにマラソンで世界の舞台を目指す。「今でも自分のこの選択が正しいのか不安はあるけど、この選択を正解にできるよう、気持ちをもっと入れて頑張ろうと思っています」

山口は小さい頃から周りに染まることを嫌い、「自分の特長」を大事にしてきたという。陸上強豪校ではなく鶴丸に進んだのもそう。「自分より足が速い人や自分より勉強ができる人は無限にいるけど、その中で自分なりの特長を持ってないと駄目だなと思ってきました」。陸上でも勉強でも、逆境を乗り越えて結果が出すことにやりがいを感じてきた。並大抵の努力ではない。だからこそ、一生をかけて挑むだけの価値を山口は感じている。

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