順天堂大・長門俊介監督 個別性を重視して選手を伸ばし、来季は箱根駅伝優勝を
順天堂大学は箱根駅伝総合2位となり、2007年大会の優勝以来の3位以内を達成した。15年前の優勝メンバーでもある長門俊介駅伝監督は、「青学大とは10分51秒差。総合優勝は難しかったです。万全なら往路優勝はあったかもしれませんが、枚数が少し足りなかった。駅伝力のある選手がもう少し欲しかったですね」と結果を分析した。
三浦の2区後半のペースダウンが「想定内」だった理由は?
往路優勝は1区に東京五輪3000m障害(SC)7位入賞の三浦龍司(2年、洛南)、2区に関東インカレ10000m5位の野村優作(3年、田辺工)を起用できたときに可能性があった。だが野村が12月に入って不振に陥り、区間配置の構想変更を余儀なくされた。その詳細は後述するが、区間11位(1時間07分44秒)だった三浦の2区の走りは、指揮官からはどう評価できる内容だったのだろう。
「順大の2区は三代さん(※)も塩尻(※※)も、そんなに速いペースで入っていません。今回の三浦も最初に落ち着いて入って、藤本君(珠輝、日体大3年、西脇工)と一緒だったこともあって、良いペースを刻んでいました。終盤で離されてしまいましたが、トレーニングの内容を考えれば後半のペースダウンは想定内です」
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※三代直樹:現富士通コーチ。99年大会で1時間06分46秒と当時の区間記録を更新。01年世界陸上10000m代表
※※塩尻和也:現富士通。19年大会で1時間06分45秒と当時の区間歴代日本人最高。16年リオ五輪3000mSC代表
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三浦は1年生だった昨年は1区で区間10位。三浦自身もインタビューで話したように、今年の2区は苦手としてきた箱根駅伝の距離で成長を感じさせる内容だった。ただ、トレーニングの流れを1年時と2年時を比較すると、単純に2年時の方が良かったとは言い切れない。
1年時は7月に3000mSCを8分19秒37の日本歴代2位で走ったが、新型コロナ感染拡大で帰省していた時期(3~5月)にも長い距離を走り、「年間で言えば距離を踏めていた」(長門監督)という。だがコロナ禍で特殊日程となった12月の日本選手権に向け、東京五輪代表を狙うため3000mSCに特化した練習になった。さらに、その過程で右脚を打撲をしたため、11月中旬から12月中旬まで駅伝の練習はできなかった。トレーニングは「年間では距離を走っていたが、箱根の準備はできなかった」という流れで箱根駅伝に臨んだのだ。
それに対して2年時は、5月のREADY STEADY TOKYO、6月の日本選手権と3000mSCで日本新を出して東京五輪代表に選ばれた。7月末の東京五輪までは3000mSCのための練習に集中した。8月の夏合宿から持久的なメニューに取り組み始めたが、「距離を踏むと(大きな疲れなど)反動が出て、練習が点と点になってしまい線にならなかった」という。2区で区間賞と快走した全日本大学駅伝後も、「1週間から10日間くらい練習を休んだ」という。
そんな三浦を2区に起用できたのは、野村の不調というチーム事情もあったが、「三浦の能力と順大のノウハウがあったから」だという。他の選手と同じ練習の流れにはできなかったが、順大得意の個別練習を「12月に入ってからパーフェクトにできた」のだ。「2区を三浦で行く構想ができてきた」という。チームとしては不測の事態になったが、三浦個人としては箱根駅伝に積極的に挑戦できる状態になっていた。
8区で2位浮上も9、10区の不振で“復路の順大"はお預けに
順大はかつて、“復路の順大”と言われていたチームだ。1980年代に総合優勝した6回のうち3回が、復路で逆転していた。99年と2001年も復路逆転での総合優勝だった。
今回、12月に入って野村の2区が難しくなり三浦が2区と決まったとき、往路の他の区間にはしっかりした候補選手がいた。1区は出雲2区で区間2位、全日本1区で区間賞と20秒差の平駿介(3年、白石)。3区は関東インカレ10000m6位の伊豫田達弥(3年、舟入)、4区は関東インカレ5000m9位の石井一希(2年、八千代松陰)、そして5区は全日本8区区間2位の四釜峻佑(3年、山形中央)。野村を無理に、往路の他の区間に起用する必要はなかった。
「9区を考え始めたのですが、そのあたりから野村の調子が2区でも大丈夫かと思えるくらいに戻り始めたんです。だったら“勝負の9区”にしよう。9区、10区と力のある選手を並べて、“復路の順大”王道の選手起用ができると思ったんです」
だが、7区に入る予定だった吉岡智輝(4年、白石)が、9月の日本インカレ10000m8位入賞後に「腓腹筋の肉離れ」があり、練習がつながらず起用が難しくなった。1月2日の往路の結果を受けて長門監督は、10区に予定していた西澤侑真(3年、浜松日体)を7区に起用することを決断した。
「初日が終わって(2位と7位が2分12秒差と)混戦だったので、6、7、8区で流れを作らないといけなかった」
西澤も区間7位と悪くはなかったし、6区の牧瀬圭斗(4年、白石)と8区の津田将希(4年、福岡大大濠)が区間賞を取った。8区終了時点で総合2位に浮上し、「復路優勝もイケるんじゃないか」という勢いだった。9区の区間記録は1時間08分01秒(篠藤淳・中央学院大、08年)だったが、野村も「1時間8分台前半で行く力」は十分あった。
だが、その野村が1時間10分39秒の区間13位と振るわず、10区の近藤亮太(4年、島原)も区間14位で9、10区はまったく見せ場を作れなかった。9区では青学大の中村唯翔(3年、流経大柏)が1時間07分15秒の区間新で復路優勝を大きく引き寄せた。青学大は10区の中倉啓敦(3年、愛知学院愛知)も区間新で復路の大会記録を更新した。
順大も2位に上がったことで一部メディアでは“復路の順大”の見出しも載ったが、復路順位は結局5位に終わっている。9、10区が振るわなかったこともあり、自身も9区を4年間走った長門監督は「“復路の順大”ではありませんでしたね」と認めている。
2区の三浦もトレーニング内容からは合格点の走りではあったが、期待以上の“駅伝の走り”はできなかった。「プラスアルファは出せませんでした。もっと上位の、良い位置で走ったら出せたかもしれませんが」
順大の2位は健闘ではあったが、持てる力を出し切った戦いはできなかった。
五輪代表を2人輩出も、長門・順大の箱根駅伝は4位が最高だった
力を出し切れなかったのに15年ぶりの3位以内を実現できた。これは順大の底力が上がっているからに他ならない。
07年大会の優勝後は予選落ちも2回していた順大だが、12年7位、13年6位と立て直した。しかし14年は16位、15年は12位と連続シード落ち。16年大会から長門監督が指導を任されるようになった(1年目はコーチ)。長門体制での箱根駅伝戦績は以下の通りである。
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16年=6位(往路7位・復路8位)、予選会4位
17年=4位(往路3位・復路6位)
18年=11位(往路8位・復路13位)
19年=8位(往路7位・復路13位)、予選会2位
20年=14位(往路14位・復路15位)
21年=7位(往路7位・復路8位)、予選会1位
22年=2位(往路5位・復路5位)
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1年毎に選手が入れ替わる学生スポーツの宿命で、“長門・順大”も右肩上がりではなかった。1年目の15年シーズンは、16年リオ五輪3000mSC代表になる塩尻が1年生で、東京五輪5000m代表に成長する松枝博輝(富士通)が4年生のシーズンだった。箱根駅伝は19年大会までの4年間、2区は塩尻が走った。同じ3000mSC五輪代表でも三浦と違い、塩尻はロードへの適性も早くから見せ、箱根駅伝でも1年時からエースとして期待できた。
しかし1、2年時にチームは6位、4位と好成績を残したが、塩尻の3年時には11位でシード権を逃している。塩尻が卒業した翌年(20年)は14位と戦力ダウンは明らかだったが、21年7位、今年2位と塩尻クラスの大エースが不在でも優勝を狙う戦力になってきた。
昨年末の記事で紹介したように、順大は個別性を重視した強化が伝統になっている。代表選手は育ったが、「個を大事にすることで多少の弊害もあった」と長門監督は言う。
「みんなで渡れば怖くない、じゃないですけど、10人全員が同じ練習なら、苦しくても我慢できる心理状態になる。それが別々の練習になると“自分にこの練習は無理”、という心理状態になることも多かったと思います。伸びる選手と伸びない選手がはっきりしていました」
そのチーム状況で塩尻が卒業し、順大は大エース不在のなかどう戦うか、考えざるを得なくなった。
徹底した個別強化でインカレ全種目入賞
そこで長門監督が採った指導法が順大らしかった。短絡的に“みんなで渡れば”の方向に舵を切らず、個の練習をさらに徹底したのである。
「塩尻の頃は3~4グループだった練習の分け方が徐々に多くなって、今では十人十色と言えるくらいになっています。選手の意識が高いことが大前提ですが、このタイプの選手はこの練習で行くよ、と細かく分けるようになりました。一人ひとりをしっかりチェックしないといけないので、練習は必ず見るようにしています。練習場所も違ってきますから、スケジューリングするマネジャーも大変です」
そのやり方が「回り始めた」と長門監督が感じているのは20年シーズンだ。箱根駅伝予選会を大会新記録で1位通過し、全日本大学駅伝を8位、21年の箱根駅伝でも7位と健闘を続けた。トラックでも10000mの平均記録が28分51秒まで上昇した。
その年に新型コロナ感染拡大で非常事態宣言が発令された。選手たちが地元に戻って練習しないといけなかった状況も、長門監督はプラスに変えていた。
「各選手の練習環境を聞いて、その環境ならこの練習がいいよ、と一人ひとりの練習を組んだんです。大学に戻ってチームで練習を再開してからも、それを参考に練習パターンが増えることになりました」
以前の順大は練習場所は1つにして、メニューやタイム設定、グループを分けることが多かったが、今は練習場所も違っている。スタッフのやることは多くなるが、それに対応することで結果が出るようになった。
インカレにもその成果が現れていた。昨年5月の関東インカレは1500mで三浦が優勝し、小島優作(4年、仙台育英)が4位、5000mで三浦が2位、10000mで野村5位&伊豫田6位、ハーフマラソンで四釜4位(日本人1位)&津田7位、3000mSCで服部壮馬(1年、洛南)2位と、1500m以上の距離の全種目で入賞者を出した。
関東インカレは駒大や青学大などが2部のため、順大や早大が出場する1部とは別レースになる。だが全大学が参加できる9月の日本インカレでも、順大は1500m以上の全種目で入賞した(ハーフマラソンは実施されない)。
個を重視する強化スタイルを徹底してチーム強化が進んだが、塩尻の頃の順大の強化法方もしっかり機能していた。多くの順大OBが各実業団チームで主力に成長していることからも、それは間違いない。ニューイヤー駅伝最長区間の4区(22.4km)を、区間3位タイの藤曲寛人(トヨタ自動車九州)を筆頭に栃木渡(日立物流)、聞谷賢人(トヨタ紡織)、作田直也(JR東日本)の4人が走った。大池達也(トヨタ紡織)、松枝、塩尻、藤曲が長距離選手の勲章の1つ、10000mの27分台をマークし、マラソンでも聞谷が2時間7分台で走り、作田はびわ湖マラソンで日本人トップを占めた。
箱根駅伝の16年大会は塩尻2区、松枝3区、栃木4区、聞谷9区、作田10区だった。そのメンバーで6位だったことが不思議なくらいだが、卒業後に力を伸ばしているから見る側にそう思わせるのだろう。
「順大の選手はこの練習でなければ伸びない、という固定概念がないんです。だから卒業後にどんな指導者、どんな環境でも自分で考えてトレーニングができる。指導者依存型の選手じゃない、ということです」
箱根駅伝は卒業生の実績や成長ぶりにも注目することで、より面白く見ることができる。
箱根駅伝優勝のために埋めるべきタイム差と必要な爆発力
今回2位になったことで順大は、次の箱根駅伝は総合優勝が目標になる。優勝の青学大、3位の駒大も主力選手が残り、現時点では3チームの争いが予想されるが、長門監督は次のような計算をしている。
「青学大との比較でいえば、今回は約11分差がありました。デコボコ駅伝だったこちらのマイナスがなければ4分くらいの差だったと思いますが、青学大も修正できる部分があったことを考えると、5分の差だったのかな、と思います。単純に言えば1人30秒ずつ埋めれば追いつきますが、それだけで勝てるとは思いません。今回のように気持ち良く走らせてしまったら分は悪くなる。まずはミスなく走れるように取り組み、その中で爆発する区間を1つか2つ出さないと勝てません」
順大にプラスとなる材料としては、前述のインカレ全種目入賞など選手個々が勝負にも強いことが挙げられる。そして箱根駅伝を2位で戦い終えた順大の学生たちは出雲、全日本、箱根の駅伝3冠を目標に掲げている。
3冠は90年シーズンの大東大と00年シーズンの順大、10年シーズンの早大、16年シーズンの青学大しか達成していない。21年シーズンもいくつかの大学が3冠を目標にして戦い、結果的に出雲は東京国際大、全日本は駒大、箱根は青学大と、別々の大学が優勝した。どの大学もしっかり強化をしている今、3冠は極めて難しい時代になっている。
だが順大はインカレで活躍した選手が距離の短い出雲を走り、その6人が距離を伸ばしても走れるようにしたところに、同レベルに成長した2人を加えて全日本を走る。そして全日本の8人が距離を伸ばし、そこにまた同程度の力を付けた2人が加わって箱根を戦う。その強化スタイルが伝統としてあるので、インカレから3つの駅伝の流れを有効に使っていける。
21年シーズンも順大が全日本に勝つのでは、という見方は多くあった。三浦、野村、伊豫田が残る22年シーズンも、どの大会で勝っても不思議ではないし、3大会全てに勝つことも不可能とは言い切れない。だが箱根駅伝だけはトラックの延長では難しいので、長門監督の言うように爆発する区間がないと苦しくなる。
爆発する候補も三浦、野村、伊豫田というトラックのトップ選手たちだけでなく、今回区間5位で走った四釜の5区にも期待できるだろう。順大は初代“山の神”の今井正人(トヨタ自動車九州)を輩出した大学で、長門監督は今井と同学年だった。
青学大も強豪となってからの年数は浅いが、3代目“山の神”神野大地(セルソース)を生んだチームで、“駅伝男”も何人も輩出している。駒大も00年前後の順大との“紫紺対決”時代から常勝チームを維持し、大八木弘明監督は駒大を7度の箱根駅伝優勝に導いた。どの大学も自分たちのスタイルをさらに突き詰めて戦わなければ勝機を引き寄せることはできない。
順大はやはり、個を重視したスタイルに行き着く。インカレから出雲、全日本とつなげていく流れでも個別指導は有効だろう。箱根も「特徴のある区間が多いので、各選手の特徴を引き伸ばすことが大切」になる。ただ、三浦に関しては本職の3000mSCでは国際大会で“爆発”を期待するが、箱根駅伝での“爆発”は求めない。
「3000mSCに関しては超右肩上がりできていますが、駅伝に関しては一歩一歩、できることが増える形で力を発揮してほしい。全日本と箱根の2区を経験したことで、駅伝の経験値は上がっています。それをどう広げて“三浦の駅伝”をしていくか。学年を追うごとにグレードアップしていってほしいですね」
これも年末の記事で触れたが、3000mSCでは三浦にとってノビシロの残る走りをしても、第三者からはマックスの走りに見えた。そんな走りを駅伝でもできたとき、三浦の区間が順大の16年ぶり優勝へ“爆発する区間”となる。