中央大で箱根駅伝6区3年連続区間賞の野村俊輔さん! 陸上大好き営業マンの第二の夢
今回の「M高史の陸上まるかじり」は野村俊輔さん(39)のお話です。中央大学で箱根駅伝山下り6区に4年連続で出走し、3年連続で区間賞を獲得。13年間の実業団での競技生活、現在の野村さんについてもお話をうかがいました。
小学校の文集に書いた「箱根6区」
兵庫県出身の野村さんが走るきっかけとなったのは小学3年生の時。「父が走っていて、親子ペアマラソンに勝手に申し込まれていたのがきっかけでした(笑)。正月の箱根駅伝は家族それぞれ別のチームを応援していました(笑)。父は日本大学、兄は山梨学院大学、私は大東文化大学を応援していました(笑)」。中央大学については「白いユニホームがあるなとは思っていましたが、まさかその時は中大に進むとは思っていなかったですね(笑)」と、少年時代を語られました。
「走るのが好きで長い距離ならいろんな人に勝てる。そこから好きという気持ちになっていきました。小学校の卒業文集で20歳の自分を書く欄には『箱根6区を走る』と書いていたんですよ」。当時から山下りを走る目標を描いていたんですね! のちに有言実行で4度も山を駆け下ることになるとは陸上の神様も驚きですね!!
中学でも陸上部に。「遠征に行ける楽しさもあって、結果を出したいと思いましたね」。3年生の全中では1500mで10位、3000mで9位に。「1500mは決勝に残れてラッキーでした。3000mはラスト1周の時に5位だったのが、(フィニッシュでは)9位で悔しかったですね」と入賞には届かなかったものの、中学時代から全国で戦ってきました。
2つ上のお兄さんが報徳学園高校(兵庫)だったこともあり、中学生の頃から報徳学園で練習する機会も。「高校生に勝ちたいという気持ちで練習していたので、それも良かったかもしれないですね」。全国高校駅伝(都大路)で優勝したあとだったこともあり、憧れの先輩方との貴重な経験となりました。
心身ともに鍛えられた報徳学園での3年間
中学卒業後は報徳学園高校へ。キツい練習も無心でこなしていき、1年生の時から5000m14分台をマーク。その後は自ら申し出て大牟田高校(福岡)の合宿に武者修行に行かせてもらうなど、視野も広がっていったそうです。2年生ではインターハイに出場。都大路では4区を走りました。
迎えた3年生では「前年にインターハイに行っているという変なプレッシャーもありました。もしかしたら負けるかもと不安な気持ちでした」。結果的に近畿大会ではインターハイ行きを逃し、自分で自分を追い詰めたのが負けた原因と振り返ります。
兵庫県高校駅伝では野村さんが3区で区間賞を獲得するも、それ以外の区間では西脇工業高校が区間賞を獲得し、都大路の切符は西脇工業高校が手にしました。「西脇工業の選手とは試合以外では仲が良かったですね」。切磋琢磨(せっさたくま)して良きライバルだったそうです。
都道府県駅伝では5区で区間賞を獲得。「本当は1区を走りたかったのですが、練習もしっかりできていましたし、一番自信がつきました」。都大路に出場できなかった悔しさを晴らす区間賞獲得となりました。
高校3年間は「キツいイメージしかないですが、今となればいい思い出ですね。キツい高校を選んで良かったなと思います。当時はキツくてもOBで集まると今ではネタになっています(笑)」と充実ぶりを振り返ります。
中央大で4年連続山下り
高校卒業後は中央大学へ。「僕が入学前に(箱根駅伝で)下っていた永井順明さんは報徳の先輩でした。報徳OBで山下りを途絶えさせたくないという気持ちで走っていましたね」。小学校の文集で書いた箱根駅伝6区が1年目から現実のものになりました。
野村さんの山下り攻略法とは? 「実は、上りは非常に苦手でした(笑)。最初の2kmの平地で貯金を作って、上りは余力を残さず全力でした(笑)。下りに入ってからは5kmから10kmを休憩と思って走っていましたね。体はキツいけど気持ちはリラックスしていました。10kmからヨーイドンのつもりでした」。野村さんによると、10kmから15kmの方が表情も動きも良くなっているそうです。当時からの駅伝ファンの方にとっては動画で振り返ってみたいお話ですね。
「今の選手たちに比べて上りが1分くらい遅かったです。5kmから10km、10kmから15kmまでそれぞれ5kmを12分台で行くことを意識していました。そこの下りの区間は今の選手にも負けていないと思います」。ここ数年はトレーニングやシューズの進化などもあってか箱根駅伝6区の記録も飛躍的に向上していますが、野村さんの下り坂のスピードは異次元でしたし、当時のライバルチームにとっては脅威の存在でした!
1年生の時は59分49秒で区間3位。「60分前後でいければと思っていました。上りがこんなに遅かったのにいけるんだと思いましたね(笑)」と1年目から好走。2年生では58分54秒で区間賞を獲得。「箱根1カ月前に(10000mで)28分台を出せたので、自分が強くなっていると実感でき、自信を持って臨めました。走り方、フォームは4年間の中で一番きれいに走れた年でした」。雪がうっすら積もる路面で、記録も出にくい中での好走でした。
3年生では高校・大学の先輩である永井順明さんの大学記録(58分35秒)を上回る58分29秒で2年連続となる区間賞を獲得。「箱根1カ月前の記録会では10000mが29分54秒もかかって、前年よりも1分悪かったんです。そこで『練習するしかない』と逆にいい発奮材料になり、しっかり練習を積めた年でしたね」
ただ、この年は予想外のハプニングがあったそうです。「7km地点で腕時計のボタンを押し間違えてゼロにしてしまったんです(笑)。自分がどれくらいで走っているか分からず、気を抜いたら遅くなるので、それが逆に良かったですね。箱根湯本を過ぎてからラスト動かなかったので58分半くらいかなと思っていました。区間記録(当時は金子宣隆さんの58分21秒)までは届いていないだろうなと」。時計が止まったにもかかわらず、ほぼ体内時計通り、58分29秒での区間賞獲得となりました。
4年目の箱根駅伝は「12月に故障して1週間ほど走れない期間がありました。不安もありつつ、経験もあるので下りならなんとかなるだろうと思って走りました。風もキツかったですが、1kmごとのラップを気にしすぎて、何秒遅れているとか気にし過ぎましたね。途中からこの走りだと無理かなと思い、10km以降少し気持ちが切れてしまった部分もありました」。それでもラスト3km頑張ろうと走りきり、3年連続となる区間賞を獲得。この年の6区は風の影響もあり全体的に記録が出ず、野村さんは60分01秒という記録でした。
「箱根に出るために大学に行かせてもらって、親に箱根を走っている姿を見せたいという気持ちが一番強かったですね」。大学3年生の時に函嶺洞門でご家族から応援してもらったのが一番印象に残っているそうです。
実業団へ、大阪ガスではフルタイム勤務で競技を継続
大学卒業後は実業団のJR東日本へ。「正直、箱根で成し遂げたという気持ちもあったのかもしれないです。目標以上のものを得てしまったような感じでした。ニューイヤー駅伝を走りたいという気持ちもありましたが、これくらいの記録を残しておけばチームに残れるといった気持ちも、今思えばあったかもしれないですね」と当時を振り返ります。
JR東日本には4年間在籍し、その後は大阪ガスに移籍。当時、フルタイム勤務での競技生活となりました。「限られた時間で、1回1回の練習をすごく大事にするようになりました。練習に対する気持ちで強くなれるのを実感しましたね」
フルタイム勤務しながらの練習ということで、朝練は40分集団走のみ。仕事を終えて夜は20時からポイント練習でしたが、競技場が21時までだったため「1000mのインターバルですと7本か8本。ペース走ですと中途半端ですがギリギリ14000mまででしたね。それでも限られた時間で集中していました。練習に行きたい、遠征に行きたい、結果を出したいなどアスリートとしての本来の気持ちに戻れました」。その結果、5000m、10000m、ハーフマラソンとすべて学生時代の記録も更新。レースでも積極的に前で進めるなど、元チームメートからも「変わった」と言われたそうです。
「やっぱり箱根が原点にあって、実業団では厳しさを知ったのが一番でしたね。自己責任が強かったですし、引退してそれが分かりましたね。今思うと楽して強くなれるわけじゃないですし、皆さんが感謝、感謝という気持ちも当たり前じゃないことに気付かされますね」。大阪ガスでは9年間、2017年まで競技を続けました。
陸上が好きだからこそ、第2の夢は指導者
現在は社業に専念しながら、仕事や育児の合間に時間を見つけて走っています。
「ほぼ朝練がメインですね。朝5時前に起きて、6時くらいまでには終わるようにしています。現役の時よりも朝練の内容は濃いですね(笑)。今は自分の好きなように追い込めて楽しく走っています。追い込むことも楽しいと思えるようになりました。朝は8kmペース走をするのですが、速い時はラスト1kmは3分10秒台まで上がります。ジョグとポイント練習を混ぜているような練習ですね。現役時代の朝練よりも速いです(笑)」。現役引退後もフルマラソンやリレーマラソンなどの大会に出場されています。
「陸上の経験が仕事でも生きていますし、社会人として仕事させていただいてます。人と人とのつながり、まわりの人がいて競技ができたこと、感謝の重みを実感できますね」と、現役時代のありがたみを今でも感じています。
今後、挑戦してみたいことについてうかがったところ、「陸上がずっと好きなので、指導したいという気持ちは思い続けるだけ思い続けたいですね。同世代の指導者が多くなっていますし、もし自分ならこうやりたいなとか、こういうアドバイスしてみたいなとかいう思いもあり、やってみたいという気持ちがありますね。第2の夢ですね」
箱根駅伝6区を極めた野村さんがどんな選手を育成するのかも見てみたいですよね。新たな夢を描き、現状打破し続ける野村俊輔さんに注目です!