陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

西山雄介が駒澤大で得た財産、世界陸上マラソンの経験を生かしてパリ五輪へ

世界陸上マラソン日本代表・西山雄介選手にお話をうかがいました(写真提供・トヨタ自動車陸上長距離部)

今回の「M高史の陸上まるかじり」はオレゴン世界陸上男子マラソン日本代表の西山雄介選手(27、トヨタ自動車)のお話です。伊賀白鳳高校(当時・上野工業、三重)時代に全国高校駅伝(都大路)1区区間賞など活躍。駒澤大学では4年間で3大駅伝にフル出場し、出雲駅伝優勝や全日本大学駅伝連覇にも貢献しました。トヨタ自動車入社後さらに成長を続け、世界の舞台に挑んだ西山選手にお話をうかがいました。

中学から陸上へ、「楽しさ」から夢中に

三重県出身の西山選手。小学校までサッカーをしていましたが、中学から陸上部に。1年1500mでは県大会で優勝。「楽しさを知り、より陸上に夢中になれました」。中3では800m、1500m、3000mで県大会は優勝も飾り、ジュニアオリンピックにも出場しました(予選落ち)。都道府県駅伝にも出場し、三重県の入賞に貢献。「いろんな種目をやらせてもらえて、短距離、砲丸投げの試合に出場したこともありました。陸上競技の楽しさを知る中学時代でしたね」と、楽しく競技に取り組みました。ちなみに一つ上の兄・凌平さんも陸上部で、現在はトヨタ紡織で競技を続けています。

中学時代の西山選手(左端)。陸上の楽しさを知りました(写真は本人提供)

高校は伊賀白鳳高校へ。1年生の国体では少年B3000m2位になり、「自信になりました。上を目指すきっかけになりました」と意識が変わっていったそうです。西山選手の二つ上に中村匠吾選手(現・富士通)が在籍。「ずっと中村さんの背中を追いかけていました。高校時代から中村さんはすごくストイックでしたね。ストイックさでいったら誰もかなわないんじゃないかと思います」と、先輩から刺激を受けていました。

駒澤大学×中村匠吾「スピード持久力」を磨きつかんだ世界、背中を見て続く後輩たち

3年生になるとインターハイ1500m3位、5000m7位。国体は少年A5000m2位(日本人1位)。都大路1区では区間賞と全国の舞台で活躍。特に都大路ではチームの目標である3位に大きく貢献する1区区間賞となりました。「その年に恩師の町野(英二)先生がお亡くなりになり、町野先生にメダルを届けたいという思いで、自分が1区で流れを作ろうと走りました」。天国の恩師に捧げる激走でした。

「競技より人間的に成長できましたね。感謝の気持ち、当たり前のことを当たり前にする、掃除やシューズを並べるといった基本的なことなど、練習よりもそちらの方を徹底している高校でした」。心身ともに成長できた高校3年間となりました。

伊賀白鳳高校のチームメートと(前列左から3人目が西山選手、写真は本人提供)

駒澤大学で3大駅伝フル出場

高校卒業後は駒澤大学へ。高校の先輩、中村匠吾選手をはじめ、強い先輩や同期に囲まれて大学生活がスタートしましたが、1年目から3大駅伝にフル出場(2年生の出雲は台風で中止)。

デビュー戦となった出雲駅伝では5区区間2位の走りでチームも優勝。続く全日本大学駅伝では2区を走り、1区区間賞の中村匠吾選手と襷(たすき)リレー。「中村さんと襷をつないだことがなくて、ずっとつなぎたいという気持ちもあって、襷リレーが楽しみでした。2区では(服部)勇馬さん(当時・東洋大学、現・トヨタ自動車)に抜かれて、個人としては悔しい結果になりましたが、1年生で主要区間を走らせてもらっていい経験となりました。優勝に関しては嬉(うれ)しかったですが、自分がうまく走れなかったので嬉しさ半分、悔しさ半分でしたね」と、出雲と全日本の優勝メンバーに名を連ねました。

初めての箱根駅伝では復路の7区を任されました。「こんなに沿道の声援が多いのかと驚きました。同じ区間で(服部)弾馬(当時・東洋大学、現・トーエネック)と一緒で、弾馬に負けたくないと意識して走ったのですが、そこで離されてしまい、チーム的にも追いつくのが難しい状況を作ってしまったので、悔しい気持ちが大きかったですね」。1年目の箱根駅伝は総合2位でした。

高校時代から競い合っていた平和真選手(早稲田大学〜カネボウ)と(写真は本人提供)

以後、4年間で開催された3大駅伝すべて出場(2年生の出雲は台風で大会が中止)。強い先輩・同級生・後輩がそろう中でメンバーに入り続けた秘訣について、「ケガをしないことですね。あとは、練習をしっかり外さないことを意識して取り組んでいました。4年間選んでいただいたことはありがたいことですし、自分自身いい経験になりましたし、財産ですね。ただ、チームにあまり貢献できていなかったので、選んでいただいたのに申し訳なかったなと思います」と、教えていただきました。

3大駅伝で特に印象に残っているのは4年生の箱根駅伝。西山選手は1区を走りました。「最後なので自分の力を出し切ろうと思って臨んだ箱根でした。それまであまりうまく走れなかった分、最後くらいチームに貢献する走りがしたいと思っていました」。レースはスローペースで進み、ラスト1kmでもまだ8人前後の集団を形成。「出ようと思ったのですが、今までの実績などで消極的になって勝負どころを迷っていたところ、(服部)弾馬たちがスパートしたんです。最後離されないようについていこうと走りましたが、悔いが残るレースでした。実業団では悔いのないようにやらないといけない、と思ったレースでしたね」。トップと8秒差の区間6位で襷をつなぎました。

「社会人になってから、大学の時にああすれば良かったといろんなこと思います。でもそれは大学で経験しないと分からないです。失敗も成功もたくさん経験できたから、今の自分があります」。たくさんの経験を積めた4年間と言います。

世界大学クロスカントリー選手権の日本代表で団体銀メダルも獲得(右から2人目が西山選手、写真は本人提供)

恩師・大八木弘明監督の存在について、「たまにほめられると嬉しいですね(笑)。激励の言葉など、すごく選手のことを一人ひとり考えてくださいます。大八木監督から『本当の勝負は実業団だから』とずっと言われていました」。ちなみに、オレゴン世界陸上でもレース中、沿道から大八木監督の声は聞こえていたそうです!

また、同級生の中谷圭佑さん、大塚祥平選手の存在も一番身近で大きいものでした。「中谷は自分たちの代のエースで、試合も外さないですし、意識していました。大塚は長い距離やロードに強く、追いかける立場でした。身近にそういう存在がいたので自分も最後まで諦めずにできました」。仲間と切磋琢磨(せっさたくま)し、刺激しあった4years.となりました。

駒澤大学の卒業式にて(2列目左端が西山選手、写真は本人提供)

トヨタ自動車でさらなる挑戦

大学卒業後はトヨタ自動車に入社。「社会人になってから、ポイント練習以外はジョグなど自由だったので、大学までの練習内容を一回リセットして、もう一回作り上げてみようと試行錯誤から始めました。試合の調整、普段のジョグも見直しました。トヨタは色々な考えを持っている先輩がいて、毎日が勉強の場所です。ずっと今も学ばせてもらっています」と、新たなスタイルも模索し構築していきました。

「以前は練習でも離れてしまった時に一気に落ちてしまうクセがあったのが、最低限抑えることを意識。最低限のレベルが上がってきて、それがレースで出せるようになってきました」と、手応えを感じていた西山選手。

2020年のニューイヤー駅伝では3区で区間新記録を樹立し、区間賞を獲得しました。「ずっとメンバーになれなくて悔しい思いをして、ようやくつかんだメンバー入りでした。自信はありましたが、まさかあそこまでいくとは思っていなかったです。やってきたことが形になる楽しさを知りました」

2020年のニューイヤー駅伝では3区で区間新記録の快走でした(写真提供・トヨタ自動車陸上長距離部)

ニューイヤーの快走について、一番の転機は2019年のMGCだったと言います。チームの先輩・服部勇馬選手、高校・大学の先輩・中村匠吾選手が東京オリンピックマラソン代表を決め、「自分の考えの甘さなど自分自身思うことがありました。この先輩方とこの舞台で一緒に走りたい、勝負したいという思いが強くなりました」。より試行錯誤を重ねて、形になったのがニューイヤーだったそうです。

2020年には5000m13分41秒81、10000m27分56秒78、ハーフマラソン1時間00分55秒とすべて自己記録を更新。「社会人5年目か27分台を出した次の年にマラソンに挑戦したい、と元々自分の中で思っていました」。夏合宿に40km走をやってみたところ、すんなりと走れたそうで、佐藤敏信監督(現・総監督)からも「マラソンいいんじゃない」と勧められたそうです。

夏合宿の40km走を終えて、佐藤敏信監督(現・総監督)からもマラソンを勧められました(写真提供・トヨタ自動車陸上長距離部)

別大で優勝し、世界陸上へ!

初マラソンの別府大分毎日マラソンでは大会新記録となる2時間07分47秒で優勝を飾りました。「35kmまでは絶対動かないと決めていました。相手の動きに合わせることだけ、途中で誰かが出ても追いつける範囲で射程範囲でレースを進めようと思っていました」。39kmで追いついて3人になり、「ラスト2kmで絶対スパートすると決めていた」というスパートでの優勝でした。

「大会記録よりも初マラソン日本最高記録(2時間07分42秒)を狙っていました。5秒足りなくて、マラソンの5秒は少ない誤差ですが、結果的に5秒足りないのは事実です。そこは悔しい気持ちですし、マラソンでも1秒を大切にしないといけないと感じました。優勝して嬉しいですが、上には上がいる、強い人は国内だけでもたくさんいるんだなと」。大会新記録で優勝してもなお、兜(かぶと)の緒を締めました。

別大の結果により、今年のオレゴン世界陸上のマラソン日本代表に選ばれました。学生時代に世界大学クロカンの代表は経験していますが、シニアではこの世界陸上が初めての経験でした。

初マラソンとなった別府大分毎日マラソンでは大会新記録で優勝を飾りました(写真提供・トヨタ自動車陸上長距離部)

「陸上競技をやっている選手としてオリンピックや世界陸上は夢の舞台ですし、一番の目標の舞台だったので決まってからすごく嬉しかったです。ただ、そこでいかに結果を出すかが大事なので、そういう思いが強かったですね」。やるべきことをすべてやりきり、練習もほぼほぼパーフェクト。「別大の時よりもいい準備ができました。自信を持ってスタートラインに立てました。緊張よりもワクワク、楽しみでした」と、順調な仕上がりで初の世界陸上に挑みました。

レースでは周りを見ながら、「自分の歩幅だとどの選手が後ろについたら楽かなと思って走っていたら、アメリカのラップ選手でした」。ゲーレン・ラップ選手の歩幅やリズムがしっくりきたそうで、そこからはラップ選手をマークして走っていました。

「気候も涼しくて、高速になると思っていたのですが、遅かったので30kmから絶対上がると思っていました。それに対応するために前の方で準備しようと心がけていました。それまでも駆け引きがあって、1kmのラップだけを見るとそこまで大きな変化はなくても、100mごとに上がったり下がったりして、そういったところでも脚を使ってしまい、32kmで急激に上がったところでは対処ができなかったです。いい準備をして、自信を持ってスタートラインに立てて、レースが動くところもある程度予想できて準備していたにもかかわらず離されてしまった部分が、今回は悔しかったです。話を聞いているだけでは分からないですし、今後に向けていい経験ができましたね」

2時間08分35秒で13位と入賞には届きませんでしたが、世界陸上では日本人最高記録を更新。それでも西山選手は「正直タイムはあまり気にしていなくて、条件も違いますし、他の大会と別の気候なので比較できないですね。それよりも何分でもいいので、入賞というのが一番の目標でした。レースを経験するのとしないのでは全然違います。次に走ったら今回みたいにはならないと思いますし、ある程度対応できるのではないかと思います」と、すでに前を向いています。

今後の目標は「一番はパリオリンピックがメインですね。そのためのMGCが大きなターゲットです。そこでまずは代表権を勝ち取ることですね。パリオリンピックでは今回得た経験から課題を克服して、強化して、その舞台でリベンジしたいですね!」。大学、実業団と陸上競技を追求し、挑戦し、現状打破し続ける西山雄介選手。さらなる活躍に注目ですね!

M高史の陸上まるかじり

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