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連載:監督として生きる

高橋監督と杉本監督の「中間」スタイルで、1部に復帰を 東洋大学・井上大監督(下)

監督として最初の東都リーグに臨んでいる東洋大の井上監督(撮影・佐伯航平)

今回の連載「監督として生きる」は、今季から東洋大学硬式野球部の監督を務める井上大さん(49)です。2021年春に2部に降格し、新監督はまず1部復帰をめざしています。全3回にわたる連載の最後3回目は、社会時野球を引退後、母校に戻ってきた経緯や選手との接し方について尋ねました。

名将の強い個性に圧倒されながら過ごした4years. 東洋大学・井上大監督(中)

退社から半年後に受けたコーチへの打診

井上監督は東洋大学を卒業後、社会人野球の強豪チーム松下電器(現・パナソニック)で長く中心選手として活躍した。選手引退後はコーチ職を経て34歳のときに一度ユニホームを脱いだが、野球から離れてセカンドキャリアを模索していた際、思わぬ誘いを受けて再び母校の野球部に戻ることになった。

当時、母校を率いていた高橋昭雄監督(昨年9月に他界)から電話をもらったのは、井上監督がパナソニックを退社してから半年ほど経った日のことだった。

「おぉー、お前、今、何やってるんだ?」と近況を聞かれ、「次の仕事の準備をしています」と答えると、「遊んでるんだろう? だったら、ちょっと手伝ってくれ」と話を持ち掛けられた。高橋をサポートしていた福田泰大コーチ(現・武蔵越生高校コーチ)の退任に伴い、新たなコーチを探しているという。言葉はぶっきらぼうだが、高橋流のコーチ就任への打診だった。

退社から約半年後、コーチ就任の打診を受けた(撮影・井上翔太)

社会人野球選手の勲章である都市対抗10年連続出場の表彰を受け、日本選手権では2度の優勝を経験。トーナメントの一発勝負になる社会人野球を、井上監督は「僕の気性に合っていた。すごく楽しかった」と振り返る。自分のプレーに没頭して他人に興味を示さないタイプだったが、ベテランと呼ばれる年齢になると主将を任され、選手兼任も含めて3年間、コーチとしてのキャリアも積んだ。ただ社業に就いてからは、「ずっと真剣勝負をやってきたので、遊びの野球に気が向かなかった」と草野球なども含めグラウンドから遠ざかった。40代となったことを機に会社を辞め、起業のための準備を始めていた。そんなタイミングでの恩師からの電話だった。

退職する際に東洋大を訪れ、「将来的にはまた野球に携わりたい」という雑談はしていたが、さすがに話が急すぎた。野球人として血は騒ぐが、人生の転機だけに迷いもあった。何より大阪に家族がいる。子供もまだ幼かったので、自分の気持ちだけでは動けない。妻に相談すると「ぜひやってほしい」と賛成してくれて、決断した。家族を大阪に残し、単身で上京することになった。

監督と選手の真ん中に立つのが理想だが……

2015年5月のコーチ就任当時、東洋大は2部リーグにいた。井上監督にとっては初めて知る2部の野球だった。

「僕が現役の頃は、1部と2部ではかなり戦力差があったのですが、今はほぼ差がないんだと実感しました。それに僕自身、2部を経験したことがなかったので、戦い方を知らなかった。リーグ戦ですから当然負けることもあるし、極端な話、10勝5敗でも1位になれる。入れ替え戦で勝とうと思ったら12勝6敗です。この12勝が本当に大変なんですよ。リーグ戦を勝つ力と、入れ替え戦を勝つ力の、両方がなくてはいけない。そう考えるとリーグ戦は5敗してもいいはずなのに、1試合も負けられない雰囲気になってくるんです。これがしんどくて」

井上監督はしみじみと言う。コーチとして向き合った高橋監督のプレッシャーもすごかった。こちらの立場は変わっても、高橋監督からしたらいつまでも「教え子」。それは就任した初日にわかった。大人扱いどころか、学生時代と同じように叱られることもあった。「俺、もう40代なんだけどなぁって、自分でも不思議でした」と苦笑する。

攻守交代の間に選手の前で話す井上監督(撮影・佐伯航平)

コーチは本来、監督と選手を結ぶ直線の真ん中が理想の立ち位置とされているが、そうした一般論もなかなか通用しなかった。

「最初は真ん中にいなきゃいけないと思ったんです。でも、それじゃマズいと気づいて、選手側に近い位置に行きました。選手たちを助けてやらないとダメだと思ったものですから。今の時代の学生は、高橋監督の圧に耐えられないんです。助けてあげないと、押しつぶされちゃう。だから選手たちの足りない部分にも、あえて目をつむっていたところがありましたね」

グラウンド上では「厳しさ」求める

その年の秋、2部で優勝した東洋大は駒澤大学との入れ替え戦を制し、1部復帰を果たした。そして翌2017年の春秋連覇を置き土産に高橋監督は勇退。代わって、大学OBでアマチュア日本代表の監督経験を持つ杉本泰彦監督が就任した。

「杉本監督になって、僕も本来の真ん中の位置に戻りました。監督が常識的な人だったので、そうなると選手側に立って彼らを助ける必要もないですから」

杉本監督は就任早々の春のリーグ戦で優勝。翌19年春も優勝と安定した成績を残していたが2020年春、コロナ禍による特例で3チーム総当たりとなった入れ替え戦に敗れて2部に降格。昇格を果たせぬまま5年間の任期を終え、昨秋限りで退任となった。それを受け、今年の1月1日付で井上監督が誕生した。

就任後、最初に選手たちに伝えたのは、「失われた緊張感を取り戻さなきゃいけない」という言葉だった。身だしなみから見直し、髪の伸びている者には短くしてくるよう指示。朝5時半からの早朝練習も始めた。求めたのは「厳しさ」だった。

「今の時代、先輩からのバカげた説教とか、そういうのは絶対にやらせちゃいけない。ウチにそれは絶対にないと自信を持って言えます。ただ学年間の上下関係とか、ある程度のけじめはあってもいいと思っています。寮生活とかは仲良くていいんです。でも、それをグラウンドに持ち込んでしまっている。だから、グラウンドで緊張感がないんです」

高橋監督と杉本監督が築いた指導スタイルの「中間」に立つ(撮影・佐伯航平)

井上監督はよく上級生に「もっとピリッとしろよ」と注意をする。「お前らがダラダラしてると下級生もダラダラするんだ。練習の空気をピリつかせろよ」と。ウォーミングアップでも、「ちゃんと出来ないんだったら2時間でも3時間でもやらせるぞ。なんなら1日中アップしてたっていいんだからな」と檄(げき)を飛ばす。

「やれるまでやるのが練習でしょう。幸い、まだそういう指示をしたことはないですけど。彼らも『井上はやると言ったら本当にやるぞ』とわかっているんでしょうね」

理想は「選手をやる気にさせる」言葉を持つ監督

そうした厳しさは、実は井上監督が理想とする指導スタイルではない。理想の監督像として松下電気時代にチームを率いた島田行雄監督の名前を挙げた。日頃、選手たちにあれこれ言う人ではなかった。ある年のシーズン前、ミーティングで「俺は今年で(監督は)最後だから」と打ち明けた。その瞬間、「絶対この監督を男にして終わらせるぞ」という思いで、チームが一つにまとまった。その年、松下電器は日本選手権に優勝している。

「選手をやる気にさせる言葉がけをする。大阪桐蔭の長澤(和雄)監督もそうだったし、杉本監督も、それに近いところがありました。また杉本監督は、選手の意識を社会人レベルまで上げようとしていました。『それくらい言われなくてもわかるだろう』と、あえて言わずに見守っていたんです。やり方としては、僕は間違っていなかったと思います。なにしろあの高橋監督からシフトしたわけですから、ちょっと極端なくらいでなくては、チームが変わらない」

「僕は高橋監督と杉本監督のちょうど中間で行くつもりです。練習だって、やることをきちんとやっていたら何も言いません。僕自身が練習嫌いなタイプなんだから、『しっかりやったら早く終われるんだぞ』と選手たちには言っています」

「選手をやる気にさせる監督」が理想だ(撮影・井上翔太)

井上監督の大学時代と同様、今も東洋大には全国の強豪校の主力選手や、実績のある好選手が集まっている。2部に甘んじている現状は関係者の誰もが歯がゆい。

「僕が言うのも良くないけど、ウチは選手のレベルは高いです。東都全体でも1、2くらいの戦力があると思っています。選手たちにも言ってます。ただ『メンタルは最下位だから』とも、選手たちに言っています。実際にそうだと思います。だって、勝てないんですから」

細野晴希にあえてかけた厳しい言葉

今季の東洋大には、秋のプロ野球ドラフト会議で上位指名が確実と言われている左腕エース細野晴希(4年、東亜学園)がいる。これまで入れ替え戦などの大事な試合では、好投しながらチームの勝利に結びつかないことがよくあった。昨年末、選手全員と面談する中で、細野には特に厳しい言葉を投げかけた。「お前は自分がエースだという自覚はあるのか? もっとチームを背負ってやれ」という井上監督の言葉に、細野は黙ってうなずいていたという。

中心選手として試合に出場し、プロから注目されたり、社会人で野球を続けられたりするような選手に対しては、無意識に自分の現役時代を重ね合わせてしまう。

「僕も高校や大学でドラフト候補なんて言われて、でも最終的にプロに行けなかったのは、やっぱり僕にはこれという特徴がなかったんです。全部平均。肩が強いわけでも、足が速いわけでもない。ホームランをバンバン打てるわけでもない。身長も低いし。こういう選手は評価されにくい。それはもう、自分でわかっていたから、『なんとしてでも』という気持ちにならなかったんです」

昨年末の面談で細野(右)には自覚を促す言葉をかけた(撮影・佐伯航平)

それは野球への取り組みにも現れていたと振り返る。「同級生の清水隆行(元・読売ジャイアンツなど)はやっていました。僕が遊んでいる時間も、室内練習場で打ってました。だから、あれだけの選手になったのだと思います。昔の自分に言ってやりたいですもん。『本当にプロに行きたかったら、それだけのことをやってるのかよ?』って。今の選手たちを見ても、同じことを感じる子、結構いるんですよ」

「とにかく今は、まず1部復帰」を

延長タイブレークの末に勝ち星を手にした開幕の東京農業大学戦。10イニングを粘り強く投げ抜いて勝利投手となった細野から、監督初勝利のウィニングボールを手渡された。

「とにかく今は、まず1部に復帰すること。もちろんその先に日本一とかありますけど、そこまで見据える余裕もないですね」。井上監督はそう言って少しだけ安堵(あんど)の笑顔を見せた。

監督として生きる

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