大阪経済大・高代延博監督(上) ジェネギャは前提、選手との年齢差をポジティブに
今回の連載「監督として生きる」は、関西六大学野球連盟に加盟する大阪経済大学の高代延博監督(69)です。社会人野球の東芝から1978年ドラフト1位で日本ハムファイターズに入団。現役引退後は広島東洋カープや中日ドラゴンズなどでコーチを務め、2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではコーチとして世界一も経験しました。大学生選手たちとどのように向き合っているのか。3回にわたって伝えます。
顔と名前を覚えるため、ウォーミングアップ中に声かけ
午前9時半。大阪府茨木市郊外のグラウンドに響く元気なかけ声は、大型トラックが行き交うグラウンド外の府道を歩いていても、はっきりと聞こえてきた。選手の集団がグラウンド内であちこち動き回るたびに、今年1月に就任した高代監督も、選手の近くに歩み寄り、時折声をかけながら、その動きをずっと見つめていた。
「ウォーミングアップが一番大事なんですよ。練習はじめの頃は一番声がかけやすいですし、近くで動きも見られるからね」
今年の5月末に69歳になった高代監督は、ほほえみながらそう言うと、再びグラウンドに目線を送った。ウォーミングアップ後に始まった走塁練習では、ベースランニングを1人5本。始まる前には、走り方やコーナー取りなどを熱心に説明していた。一人ひとりが黙々とベースランニングをこなす中、塁間でつまずいて転ぶ選手がいても、高代監督はホームに戻ってくる選手を笑顔で迎えた。
「1日にできるだけ多くの選手に声をかけたいと思っているけれど、バッティング練習になると、どうしてもリーグ戦に出ている選手に声をかけることが多くなってしまう。100人以上部員がいる中で、1人でも顔と名前を覚えようと思ったら、こういう時に話すのが一番良いんですよ」
「大学生を教えるのが、本当に楽しくて」
高代監督の名前で、ピンと来る野球ファンは多いだろう。奈良県出身。智弁学園高校から法政大学に進み、卒業後は東芝へ。アマチュア野球の最前線を歩み、1978年にドラフト1位で日本ハムに入団し、主に遊撃手としてプレーした。その後は広島に移籍。現役引退後は、中日やオリックス、ロッテなど、多くのNPB球団でコーチとして監督陣を支えた。三塁コーチとして的確な判断力がさえ、2006年に中日をリーグ優勝に導いたことから、「日本一の三塁ベースコーチ」と称された。
09年、13年はWBCで日本代表の走塁コーチを務め、09年には世界一を経験。14年からは阪神で1軍の内野守備走塁コーチに就任。広島のコーチ時代に指導した金本知憲氏が監督に就任した16年からは1軍のヘッドコーチとなり、20年末に阪神を退団するまでの7年間、様々な任務を担当した。
翌年から自身初となるアマチュア野球界にフィールドを移し、1月から大阪経済大で外部コーチとして指導することになった。
筆者は、大阪経済大のコーチに就任したばかりの21年春にインタビューをさせてもらったことがある。その当時、高代氏はこんな話をしていた。
「大学生を教えるのが、本当に楽しくてね。みんな素直だし、意欲も高い。プロの選手はお山の大将のようなところがあるので、それが邪魔をして理解しがたいところもある。でも、アマチュアの選手は僕の話に真剣に耳を傾けてくれて、理解しようとしてくれる。そういう意味では、どんな風に成長してくれるのか、楽しみなんですよ」
「野球人として」より「社会人として」通用する人間に
当時はコーチとして守備と走塁に特化して指導していたが、今年からは監督に。立場が大きく変わり、今はチーム全体を見渡さなければならない。就任すると、まずはあることを徹底させた。
「選手同士の会話を聞いていたら、どっちが上級生なのか分からないような口調で話していてね。雰囲気もダラダラしていて、これじゃ強くならんなと思いました。
そもそも野球だけをやっていたらいいというわけじゃないし、まずはあいさつからきちんとやろうと。特に目上の人に対して、歩きながらあいさつするのはもってのほか。そんなあいさつをしていたら、この先、社会に進んだ時に本人も得はしないでしょう。だからまずは礼儀、あいさつから。野球は二の次やと思ってね」
試合前にきちんとあいさつができない選手は、応援団や保護者の前でも構わずに呼び止め、やり直しを命じた。当たり前のことをいかに当たり前にできるか。野球以前に、まずは人としてどうあるべきか。それを最初に選手たちに伝えたかった。
「選手らがチームの顔になる。それに、いずれは『野球人として』より『社会人として』通用する人間になって欲しいんです」
高代流のチーム再建は、部内にあったなれ合いを排除し、土台から着実に組み立てていくことから始まった。
大阪経済大では、平日は授業を優先して選手それぞれのスケジュールを見ながら、練習に参加できる曜日ごとに選手を振り分け、週3回はグラウンドに出られるようにしている。そのため100人以上いる選手たちが全員そろって練習できるのは、ほとんどが土日。最初は選手の名前と顔を覚えることに苦労したが、上級生はコーチ時代を含めると2年以上指導していることもあり、今は遠くにいても名前がすぐに分かるようになってきた。
高代監督に対し、コーチ時代から矢継ぎ早に質問する選手もいるが、自身から昔話をすることは一切ない。事あるごとにプロと比較するのは良くないと思っているからだ。
「選手から聞いてきたら答えますが、『昔はこうだった』とか、自分から言うことはしないです。今年のWBCの期間中は選手らが逆に気を使ってあまり聞いてこなかったかな。でも普段、興味のある子は聞いてきますから、『あの場面の時はこんなことをした』みたいな話はします」
高代監督が最も大切にしているのは、選手とのコミュニケーションだ。
前述の通り、高代監督は選手たちの表情を見ることから練習をスタートさせる。孫ほどの年の差がある選手たちに自ら歩み寄り、さりげなく話しかける。いわゆる「ジェネレーションギャップ」があることを前提に、上級生、下級生分け隔てなく会話をすることを日課としている。「逆に(年齢差が大きいことは)それはそれでいいんじゃないですかね」とポジティブにとらえている。