大阪経済大・高代延博監督(中) 知識やスキルにばらつきがある選手との向き合い方
今回の連載「監督として生きる」は、関西六大学野球連盟に加盟する大阪経済大学の高代延博監督(69)です。社会人野球の東芝から1978年ドラフト1位で日本ハムファイターズに入団。現役引退後は広島東洋カープや中日ドラゴンズなどでコーチを務め、2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではコーチとして世界一も経験しました。3回連載の2回目は、現在の指導スタイルについてです。
同じことが二度と起きない、野球の難しさ
高代監督の指導のスタンスは「基本に忠実に」。それはプロ野球界にいた頃と変わらない。
走塁の大前提となるのは「準備」だ。プロの世界で三塁ベースコーチを務めていた頃は、相手投手の分析、相手外野手の肩の強さ、守備位置、風向きまですべてを頭に入れ、味方のベンチに伝えていた。1球ごとにランナーへ指示を送り続けたが、とっさの判断が求められるあまり失敗も多かった。減らすためには、少しでも相手を見る力が問われる。
「野球の試合で難しいのは、今起きたことが二度と起きないことです。対戦相手が翌日も同じでも、投げる投手も含めたプレーする人間や風向きも、同じではありません。分析の結果『これはこうだよ』と言い切ったら、それしかしない。でも、状況によって違うケースが出てくる。そのケースに応じて考えて動ける選手は、それなりに結果が出ます」
塁上での第2リードの取り方、ベースのコーナリングなどは、走塁練習を繰り返すうちに少しずつ身につく。「走塁は意識が大事」というコーチ時代のポリシーと同様、監督となってチーム全体を見渡す今も、「うまくなりたい」「試合で勝ちたい」と思っている選手に、どんなヒントを与えるかを大切にしている。
現有戦力をコンバートしながらでも、チームを活性化
ただ、最近はある悩みがあるという。
「僕が伝えたことを最初は『はい』って言ってすぐに取り入れてくれても、数日後に敢行しなくなった選手がいて、何があったのかを尋ねると、プロで活躍している著名な選手のYouTube企画を見たから、『それも参考にした』と言われたんですよ。ただね……そういう一流の選手は、色んな経験をして苦しい思いも繰り返した上で、基本がしっかりしたから、結果的に自分で見いだした形で打てるようになっている。苦しい時期を飛び越えて、今だけまねしようとしてもね。見るなとは言わないですが、良いところ取りしても上達はしません」
大阪経済大に入学してくる選手は、甲子園に出場した選手が少なく、私立、公立に関係なく関西圏を中心とした「中堅校」の選手がほとんどだ。一般受験を経て入部してくる選手もおり、様々な背景を持った選手たちが集まる。
そのため、野球に対する知識やスキルにもばらつきがある。
「強豪校出身で、ベンチに入っていなかった子も多いんですよ。細かいプレーを分かっていない子もいて、もっと指導を受けたい子もいる。コーチ時代からそうでしたけれど、もっと教えてあげないといけないなと思いました。高校時代の指導者うんぬんとかは全く思わないですよ。でも、今知らないことはどんどん教えてあげないといけないですよね」
高代監督自身は野手の出身で、これまで走塁に重きを置いて教えてきた。指導には楽しさを感じる一方、監督としての難しさもある。「全員に何とか伝えていきたいけれど、うまくいかないこともあるよね。各ポジションの選手も決して層は厚くないので、現有勢力でコンバートをしながらでも、チームを活性化させていかないと」
試合前の姿勢から勝負が決まっているようでは……
平川隆亮コーチや山田武副部長ら、スタッフの力も借りながら、練習で選手たちにかける言葉にも力がこもる。
練習では意識付けや普段からの取り組みの大切さを説いてきたが、試合が始まると、試合でしか分からないこともある。まず、高代監督が驚いたのは試合におけるチームのモチベーションの低さだった。
コーチ時代はスタンドから試合を見ていたが、当時からずっと感じていたことがある。
「大商大(大阪商業大)と試合をする前、ノックからもうビビッているからね。大商大は本気でプロをめざす、レベルの高い選手が集まっているけれど、ウチは10人いたら8人が、卒業後に一般就職する。社会人野球から声がかかるほどの選手も少ない。でも、試合前の姿勢から勝負が決まっているようではダメでしょう」
今春のリーグ戦では初めてベンチに入り、監督として指揮を執った。最後まで優勝争いを繰り広げたが、最終節で大商大に敗れ、リーグ優勝はならなかった。試合後、高代監督はこれまでの懸念がさらに明確となったことを嘆いた。
「やっぱり意識の問題なんです。試合後、選手らに『こういう(優勝できる)チャンスは滅多にないんだぞ。でも、それを自ら手放してしまったんだから。1死満塁のピンチでゲッツーを取れなかったことや、劣勢の場面での声かけがない。それが敗因だ』と伝えました。戦うという闘争心が相手より劣っていたということ。はっきりと敗因が分かったんだから、それは良かった。ただ、秋はこういう思いはしないでおこうと言いました」