サッカー

連載: プロが語る4years.

なでしこジャパン選出の浦和・猶本光 「すべてが今につながる」筑波大学での6年間

7月のワールドカップに出場する日本代表にも選ばれた猶本(撮影・照屋健)

今シーズン、WEリーグの2代目女王となった三菱重工浦和レッズレディース(以下、浦和)で猶本光は欠かせない存在となった。

猶本が初めて注目されたのは、日本で開催された2012 FIFA U-20女子ワールドカップ。「ヤングなでしこ」と呼ばれた彼女たちは3位に輝いた。その後、浦和の主力として活躍する中、2018年6月、ドイツ・SCフライブルクに移籍。1年半後の2020年1月、浦和に復帰した。

2022‐23WEリーグでは、20試合に出場し7ゴール。数多くのアシストをあげるなどチームの中心となり、リーグ優勝に貢献した。このことが評価され、ベストイレブン、そして7月に開幕するFIFA女子ワールドカップに出場する日本女子代表「なでしこジャパン」にも選出された。これまで縁がなかった日本代表として、世界の舞台で戦うことになった。

ふいに渡された新聞記事

猶本は筑波大学と大学院で過ごした6年間を「すべてが今の能力につながっている」と胸を張る。大学進学を意識したきっかけは、福岡J・アンクラスに所属した高校1年のときだった。

2010年ごろのある日、父親からふいに新聞記事を渡された。そこには筑波大に通いながら、浦和でプレーする熊谷紗希(現・ASローマ)について書かれていた。なでしこジャパンがワールドカップで世界一になる前の年。当時19歳の熊谷は若手の一人として注目を浴び始めたころだった。

記事を読んだ猶本は「こんな道もあるんだなとぼんやり思った」と振り返る。

WEリーグ優勝を決めた一戦では先制ゴールを決めた(右から2番目が猶本、撮影・照屋健)

当時の日本の女子サッカーでトップリーグだった「プレナスなでしこリーグ」はアマチュア。競技一本では生活がなかなかできなかった。

そのため、母親からは「女子サッカーだけではご飯を食べていけないよ。大学はちゃんと出なさい」と繰り返し諭された。さらに中高が私立で金銭的な理由からだろうか、両親からは「大学は国公立に」と言われた。

猶本は反発することもなく「あ、わたしは国公立に行くんだ」と、おぼろげながら進路のことを考えた。世代別の日本代表に選出されながら、人生の分かれ道が目の前に迫っていた。

国内女子トップリーグでのプレーを希望する一方、「今後のサッカーのために学びたいという興味もあって、自分の競技力につながるようにしたかった」。進学先を筑波大の体育専門学群に決め、猶本によれば、関東に上京する情報が浦和サイドの耳に入ったため、交渉が行われ、加入が決まったという。

WEリーグ2代目女王となった三菱重工浦和レッズレディースの選手たち(撮影・照屋健)

陸上の短距離、ハードル、やり投げで身体能力アップ

大学進学後はサッカー選手としていかに成長するか。自らを実験対象として、時間をささげた。

まず取り組んだのはスピード。足が遅かったため、陸上100mの選手に教えを請うた。ただ足が速くなればいいわけではない。ドリブルではいかにボールを足につけながら仕掛けられるか、かつ止められるかが課題となった。そのため一見、サッカーとは関係のない競技に取り組んだ。

体幹と瞬発力向上のためにやり投げを取り入れ、さらに走り方を極めようとハードルの選手とともにトレーニングを積んだ。

やればやるほど、課題が次から次に出てきた。それに絶望するのではなく、新たなドアを開いた先に新たな自分を見つけるように、のめりこんでいった。

筑波大で他の競技にも取り組んだことが、今につながっている(撮影・佐藤亮太)

また前述の熊谷同様、現在はチームメートで、筑波大では助教を務める安藤梢らがドイツに移籍したことで、「海外に行くならドイツ」と人生の選択肢を広げられた時間だった。

「筑波での6年間はいろんなことを学べた大事な時期であり、準備期間だった」

そこには猶本が求めるものがすべてあったといっていい。その後、現在のチームメートの清家貴子や水谷有希らが入学したことでもわかる。

あまりのハードさに「ボールがぼやけて見えた」

一方で苦労もあった。特に1年生の頃はきつかったと振り返る。

当時のスケジュールを聞いて驚いた。朝の5時半に起床。お弁当作りから始まり、6時半には自宅を出て登校した。最寄り駅まで自転車をこいで公共交通機関を乗り継ぎ、キャンパスへ向かった。

5限目まで授業を受けた後、大学から練習場のあるレッズランドまで移動。着いたときには練習が始まっていたという。練習が終わり、帰宅して一息ついたときには午後11時を過ぎていた。睡眠時間は5時間ほど。休むこともトレーニングであるアスリートとしては短かった。睡眠時間を確保するため、一時期は手作り弁当をやめ、市販のお弁当を買った。だが財布の中身と栄養バランスを考え、元に戻した。

あまりのハードさに「練習中、ボールがぼやけて見えた」というほどだった。

学業にサッカー、食事、睡眠といった日常生活のバランスがうまく保てず、コンディションを崩した。また私淑する安藤梢に一度だけ、怒られたことがあった。大学4年のとき、食べる量が少なく、それを聞きつけた安藤から「こんな食事じゃトレーニングする意味がないでしょ」と言われた。「一緒に来なさい」と食事に連れられ「これを食べなさい」と鍋を出されたそうだ。

「(安藤は)普段は怒らないので……。結構、ヤバいくらいでした」。ただ当時の自分をいまの自分が見たら「絶対に怒る」と猶本。「もし進学先が、たとえば経済学部とかだったら、すぐに大学を辞めていたと思う。やりたいサッカーのためにいう強い気持ちがなかったら、とてもできなかった」

成長し続けられるのは、筑波大での6年間があったからだ(撮影・佐藤亮太)

「うまい選手」から「怖い選手」「頼れる選手」に

向上心と情熱が詰まった6年間を送った猶本。2018年3月、筑波大学大学院人間総合科学研究科体育学専攻を修了。3カ月後の同年6月。満を持してドイツ・SCフライブルクへ移籍した。

現在は浦和に復帰して、約3年半が経つ。得点力、力強さ、運動量、プレーの正確さ、メンタルの強さがより備わり「うまい選手」から相手にとっては「怖い選手」に、味方にとっては「頼れる選手」となった。

冒頭に記した「すべてがいまの能力につながっている」の言葉通り、最初に浦和に加入してからの選手生活が12年目となる猶本が成長曲線を描き続けられているのは、筑波大で知識を培い、自身を客観視しながら課題に取り組む姿勢があるからだ。

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