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連載: プロが語る4years.

なでしこジャパン選出の浦和・清家貴子 大けが乗り越え、耐性つけた筑波大学での生活

なでしこジャパンに選出され、ワールドカップに挑む清家(撮影・佐藤亮太)

「相手を抜き去る楽しさがあって、スプリントで会場を沸かせられるのはうれしい」。WEリーグの三菱重工浦和レッズレディース(以下、浦和)に所属し、サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」のMF清家貴子ならではの言葉だ。

2014年、清家は高校3年で浦和のトップチームに2種登録された。この年は24試合で8得点。翌2015年、トップ昇格すると20試合で9得点を挙げた。「自分は突っ走るタイプ。一瞬、一瞬に勝っていくスタイル」と当時を振り返るように、清家は流れを変えるスーパーサブとして存在感を見せた。

サイドバックに転向し、アシストの喜びを知った

その清家にとって、プレーの幅を広げる転機となったのが森栄次監督(現・浦和ユース監督兼育成テクニカルダイレクター)が就任した2019年。FWだった清家は右サイドバックにコンバートされた。特長のドリブルや縦への推進力、サイド攻撃の活性化が狙いだったが、いかんせん守備はほぼ未経験だった。

「はじめは守備がハチャメチャだった」と森監督は振り返る。しかし、辛抱強く待った。本人はコンバートに違和感がなく、前向きだった。時間とともにおぼつかなかった守備が安定したことで、より清家の良さが生きた。ゴールだけではなく、アシストする喜びに気づいた。「(森監督からは)もう一つ上の段階のサッカーを教えられましたし、サッカーの価値観が変わりました」

2019年の皇后杯準決勝でゴールを決め、ガッツポーズ(撮影・田辺拓也)

2022‐23シーズンのWEリーグ。楠瀬直木監督のもと、清家は右サイドバックから再びコンバートされた。今度は4‐2‐3‐1の2列目。左右のMFで起用されるようになり、よりゴールに関わるようになった。

このシーズン、リーグ全20試合に先発出場した清家はキャリアハイの12得点。ゴールランキングでは14得点の植木理子(日テレ・東京ヴェルディベレーザ)に続く2位。その前のシーズンはわずか3得点だったことを思えば、驚くほどの量産ぶりだ。ベストイレブンにも選出された。

この活躍が認められ、7~8月にオーストラリアとニュージーランドで開催されるFIFA女子ワールドカップの日本女子代表「なでしこジャパン」に選出された。

清家の特長は、抜き去るスピードを兼ね備えた力強い走力と1対1の強さ。そして得点力。母校・筑波大学で培った能力は、ある一言がきっかけとなった。

力強い走力と1対1の強さが清家の武器だ(撮影・清水優志)

「明日、一緒に行ってみない?」「行きます!!」

「明日、一緒に行ってみない?」

清家が高校3年だった2014年夏、全体練習が終わり、夜8時を過ぎたころ、先輩の猶本光から声をかけられた。猶本は浦和加入3年目。主力として出場機会を重ねるとともに、なでしこジャパンに初めて呼ばれた時期。また、筑波大学在学中でもあった。猶本は清家のプレーに期待し、大学で一緒にトレーニングをしないかと誘ったのだ。

三菱重工浦和レッズレディース・猶本光 「すべてが今につながる」筑波大学での6年間

先輩からの誘いに、清家は夏休みだったこともあり「行きます!!」と二つ返事で答えた。その足で猶本の家に泊まり、翌日、大学でのトレーニングに参加。内容はシュートについてだった。このトレーニングが次の試合で生かされ「これだな」と手応えをつかんだという。

高校で学年トップクラスの成績だった清家は、早稲田大学への進学も考えたが、サッカー選手として、アスリートとして成長を得るために筑波大学への志望に切り替えた。

筑波大では原口元気(現・シュツットガルト)や三笘薫(現・ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC)を指導した陸上の専門家に師事。入学直後から練習場の近くにある坂道を使ったダッシュを繰り返し、走力を磨いた。毎週30mのタイムを測定。記録をノートにつけては成長を確かめた。

今ではなでしこジャパンの常連メンバーに成長した清家(中央、撮影・照屋健)

大けがにもポジティブ思考

そんな中、アクシデントに見舞われた。

2015年10月下旬、練習中に右ひざの前十字靭帯(じんたい)断裂と右ひざ内側の半月板損傷という大けがを負った。順調だっただけに相当なショックがあったと思われたが、清家のモットーは「なんとかなる」。けがの直後、心配し声をかけた猶本に清家は「どうせ治るから大丈夫ですよ」と言い、そのポジティブさにあきれられたという。

ただ、ショックは完治したのちに訪れた。「速く走れない感覚があり、なかなか戻らず、きつかった」。バタバタと走る感触で重い感じがする。清家は以前に比べ、足の接地時間が長いことに気付いた。接地時間を短くすべく、清家はこれまでのトレーニングに加えてハードルやジャンプといったメニューに取り組んだ。

さらに「(大学施設内の)ジムに住んでいるんじゃないかと思われるくらい、トレーニングしていた」と言うほど筋トレに励み、相手に負けない、けがに負けない体作りをした。

すると、違和感は自然に抜けたという。

「走っている音自体が全然、違った」

「(走っていて)浮いている感じ」

けがを経て、清家は特長である力強い走力を手にした。そしてけがの経験は、後にも生かされた。

2020年の皇后杯決勝。日テレ・ベレーザ戦で、清家は左ひざ前十字靭帯の損傷で全治8カ月の診断を受けた。だが翌21年9月、WEリーグの開幕戦で先発出場。「(けがをする前)より速く走れるようになった」と言い、1度目に負ったけがの経験を余すことなく生かし切った。

その後も順調に出場機会を重ね、池田太監督のもと、なでしこジャパンメンバーの常連となった。

筑波大の先輩・猶本(左から2番目)らとともに大舞台へ挑む(撮影・佐藤亮太)

初めての大舞台、走力で沸かせる

大学生とサッカー選手の二足のわらじを履いた4年間を清家はこう振り返る。

「(スケジュールは猶本)光さんとほぼ同じような生活でした。光さんに憧れて、光さんと同じような生活がしたくて筑波大学に入りました。自ら望んでいったのでキツいとかは思いませんが、いま振り返ると、よくやったなって思えます」

走力とフィジカル、そしてけがへの耐性、生かし方。

女子ワールドカップ大会直前の国内合宿で行われたオルカ鴨川FCとのトレーニングマッチでゴールこそなかったが、右サイド突破からのクロスを見せ、チャンスを演出した。「見ている人を楽しませるプレーを見せたい」と意気込む清家貴子は初めての大舞台で、その走力を発揮し世界を沸かせる。

プロが語る4years.

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