サッカー

連載: プロが語る4years.

浦和レッズ・大久保智明(下) 相次いだ故障、心の支えになった「客観視」する姿勢

浦和のレギュラーに定着した大久保(撮影・藤野隆晃)

今回の「プロが語る4years.」は、浦和レッズのMF大久保智明です。東京ヴェルディの下部組織からトップチーム昇格をめざしましたが、かなわず、中央大学に進みました。後編では浦和の特別指定選手となった後に味わった大けがや、大学での経験がプロの世界で生きていることについての話です。

浦和レッズ・大久保智明(上) 中央大学で得た気付き、槙野智章さんに認められるまで

左ひざの骨挫傷、気持ちで乗り越えていたが……

大久保は中央大3年だった2019年8月9日、浦和の特別指定選手として承認された。そこから長く苦しい戦いが始まるとは、本人も思わなかっただろう。翌9月3日、その出来事は起きた。ルヴァンカップ準決勝、鹿島アントラーズとのファーストレグ前日だった。

大久保の左ひざに鋭い痛みが走った。

ミニゲームでボールの取り合いの際、相手の足がひざに入った。スパイクのポイントが食い込んでしまった。悶絶(もんぜつ)する大久保。赤く腫れあがったひざを治療し、帯同メンバーに加わった。鹿島戦で出場はしなかったが、プロでのかすかな一歩を踏み出した。

後に出た診断は、左ひざの骨挫傷だった。

中央大に戻った大久保は、けがのことをすっかり忘れて、普段通りプレーをしていた。浦和での日々は、プロの空気を味わい、楽しくも気ぜわしい毎日だった。中央大の練習で味わう多少の疲れは心地よく、気持ちで乗り越えられた。

ただ体は正直だった。

あのとき痛めた左ひざが、再び痛み出した。初めは「たいしたことない」と感じた。ピッチに出れば、アドレナリンが出ていたのだろう、不思議と痛みは消えていたからだ。しかし痛みは日を追うごとに増してきた。ひたりひたりと恐怖が迫るように。ピッチにさえいれば、ボールを触っていれば、痛みは治まっていたのに、ついに我慢できなくなった。

中央大では当時から大きな存在感を放っていた(提供・関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子)

出場を余儀なくされた事情

本当はここで休めばよかった。しかし、そうもいかない事情があった。

当時の中央大は全日本大学サッカー選手権(インカレ)出場に照準をあわせていた。関東からの出場枠は6。中央大は行けるか行けないかの位置だった。主力の大久保は休むことができなかった。

中央大は第5代表としてインカレに出場した。2回戦は仙台大学、3回戦は大阪体育大学に勝ち、準決勝で桐蔭横浜大学に1-3で敗れた。ひざの故障を抱えた大久保は2、3回戦こそ出場したものの、準決勝はベンチ外となった。

痛みが引かないまま、2020年が明けた。

大久保は1月に行われた浦和レッズのキャンプに参加。アピールの場にしたかったが、リハビリの日々だった。合宿が終わり、大学に戻り、改めて検査すると医者から「軟骨が危ない」「走るのは絶対禁止」と言い渡された。

同じタイミングでコロナウイルスの影響を受け、チームの活動が止まった。大久保は治療に専念する期間に充てた。長年、浦和の選手の体をみてきた野崎信行アスレチックトレーナー(現・FC岐阜)と連絡を取り合い、痛みの状況を確認した。野崎トレーナーから言い渡されたことは二つのことだった。

「体を動かしてはいけない」「痛みのない生活を過ごすこと」

「1カ月くらいでしたか……。サッカーはもちろん、筋トレもほとんどしませんでした。すると、脚がどんどん普通の人の脚になったんです」と大久保。10年以上も毎日のようにボールに触り、支え続けた脚がやせ細っていく。これまで培ってきた様々なものが波にさらわれる感覚だ。それと引き換えに痛みはなくなり、ひざが曲げられるようになった。

当時のチームには出場を余儀なくされる理由があった(提供・関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子)

左ひざをかばった負担が右足首に

春を迎えた頃、体を動かし、少しずつメニューをこなし、6月にはプレーできるまで回復した。7月開幕する関東大学リーグにむけ、トレーニングに熱をこめた。約半年間、サッカー選手として、まともに動かさなかった左脚を再びアスリートの脚へ。日を追うごとに太くなり、以前できたことが増えてきた。

開幕戦の専修大学戦は残り10分のみの出場となったが、次節の・駒澤大学戦で先発出場。1ゴール1アシストの活躍を見せた。大久保は「ほとんど痛みがない。動きはじめに違和感がありますが、温まってしまえば違和感もありません」と回復途上の状態だった。一方で「今度は体全体のバランスがバラバラになってしまった」と振り返る。

無意識に左ひざをかばっていた。負担は右足首にのしかかった。9月に右足首を負傷。浦和で検査した際、遊離軟骨が見つかり、翌10月下旬に除去手術を受けた。また振り出しに戻った。

残りのリーグ戦は、後半からの途中出場で「思い出じゃないですが、出させてもらいました」。けががあったにせよ、大学4年間を締めくくるには不本意だったはずだ。悔しさを抱えつつ、2021年1月、プロサッカープレーヤーとして、浦和レッズの一員としてキャンプに参加した。

不本意に終わった大学時代の悔しさを抱えつつ、浦和へ(撮影・清水優志)

自分の体と対話するようになったプロ3年目

けがが相次いだ1年半の間、焦りや不安はなかったのか? 大久保はこの問いに「焦りはなかった」と言い切る。

「大学3年の夏、骨挫傷前に練習参加していたときの1カ月はすごくプレーが良くて、帯同メンバーにも入れて、やれるぞ!って思っていました。だからコンディションさえ戻れば、できると感じました。ただ(プロ)1年目のはじめのころ、あの8月のプレーのように動けなくて、そのときは焦りました。しばらく全然戻りませんでしたが、トレーナーのかたから『大事なのは1年間、プレーすること。コンディションが戻れば、筋力は戻るから』と言われました」

継続的に記したサッカーノートで過去の自分と照らし合わせ、自身を客観視できたこと。そして「お前、良いドリブル持っているな」と槙野智章さんら、チームメートから高い評価を受けたこと。これらが大久保にとって心の支えとなった。

大久保はルヴァンカップグループステージ開幕となった湘南ベルマーレ戦(3月2日)で公式戦初出場初スタメン。その後3カ月、途中出場をはさみながら、天皇杯2回戦のカターレ富山戦(6月9日)を境に起用が増えた。

昨季はリーグ折り返しの17節・名古屋グランパス戦(6月18日)から先発起用され、今季はここまでリーグ全8戦で先発と主力格となった。大久保は大学で経験した大きなけが以降、故障をすることなく、着実に出場機会を増やしていった。

AFCチャンピオンズリーグにも出場(撮影・伊藤進之介)

「自分の体と対話するようになり、プロ3年目の今年はより対話ができています。1年目、2年目は『やらなきゃダメ』と思いすぎ、やっていました。たとえば『体のキレが落ちているな』とか、疲労を感じたら『2、3日で抜けるな』とか、また『ここで刺激を入れないと体がパキッとしないな』とか。今はトレーニングではもちろん制限なくいきますが、今日はやりすぎたなと感じたら、いつもよりケアを多めにしたり、コンディションを保っています」

ロドリゲス監督からの賛辞

プロとしての大久保にとって、最初の指揮官となったリカルド・ロドリゲス監督は昨季限りでの退任が決まり、最後の試合を終えた後、大久保にこう伝えたという。

「君の良いところは試合に出ようが出まいが、常に誰よりも練習をしていたところだ。たとえ顔に出ていなくても、悪い態度がなかった。向上心、野心がある。そこが良いところだ」

トップ昇格できず、中央大でもまれ、自分の武器を見つけ、誰のせいにもせず、現状を見つめ、常に客観視してきた。そして1年半のけがを乗り越えた。大学時代から数えて丸6年。ロドリゲス監督から贈られたこの上ない賛辞だった。

浦和で監督を務めたリカルド・ロドリゲス氏(撮影・伊藤進之介)

プロが語る4years.

in Additionあわせて読みたい