サッカー

連載: プロが語る4years.

浦和レッズ・大久保智明(上) 中央大学で得た気付き、槙野智章さんに認められるまで

得意の左足でクロスを上げる中央大時代の大久保(提供・関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子)

今回の「プロが語る4years.」は、浦和レッズのMF大久保智明です。東京ヴェルディの下部組織からトップチーム昇格をめざしましたが、かなわず、中央大学に進みました。前後編2回の連載の初回は中央大学でレギュラーをつかみ、槙野智章さんに能力を見いだされるまでの話です。

「人間形成に大切な4年間でした」

「一番、プロサッカー選手になるために費やせた時間でした。僕の大学への最初の認識は『遠回り』でした。でも、サッカーやそれ以外でも一生つきあえる友達ができ、いまでも毎試合、見に来てくれる友達がいます。人間形成に大切な4年間でした」

2023年春。桜咲く練習場で大久保は中央大学サッカー部での日々を振り返った。

大久保は中央大3年時の2019年8月、浦和の強化指定選手となり21年に正式加入した。新人選手がそうそう試合に出場できない浦和で、ここまでリーグ49試合(4月15日現在)に出場。3年目の今年は開幕戦から全試合に先発し、小気味よいドリブルを武器に頭角を現している。

中央大の4年間で一生つきあえる仲間ができた(提供・関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子)

ヴェルディで技術と負けん気を培った

プロへの始まりは小学4年、東京ヴェルディの下部組織に入団したところからスタートする。当時は横浜F・マリノスのMF渡辺皓太と同期で、ヴェルディの伝統である相手が嫌がるプレー、勝つためのずる賢いプレー、「相手の裏を取る」ことを9年間、たたき込まれた。

「みんなのなかに勝ちたい気持ちが強くありました。ミニゲームで終わって、チームメート同士でよくケンカになって、練習が終わった帰り道でもケンカしたままで…(笑)」。ヴェルディグラウンドで技術と負けん気を培った。

迎えた高校3年。トップチームに昇格か否か、岐路に立たされた。大久保によれば当時の東京ヴェルディは毎年、下部組織から3人がトップ昇格していた。自分は3番目に入っていると思っており、それなりの自信はあった。しかし昇格は見送られた。

「クラブから『昇格できない』と言われた時、最初は『なぜ?』という気持ちがありました」。釈然としない気持ちがあふれ出るとともに、こうも思った。「そっちの人間じゃなかったと思い知らされました。能力だけでプロになるのは難しいと感じて、より考えるようになりました」

大久保が抱いたプロになるには難しいという感覚。その答えが進学先の中央大学にあった。

プロになるために必要なものを探す4年間でもあった(提供・関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子)

大学で「良い選手とは何か」の基準が変わった

入部早々、大久保は自身の足りなさを思い知らされた。

中央大サッカー部には毎年、全国の強豪校やクラブユース出身の選手が集まってくる。大久保のようにトップ昇格できず、悔しい思いを抱え、やってきた選手も多かったはずだ。彼らと同じピッチで肌を合わせてみた。すると自分より速くて、強くて、でかくて、うまい選手を目の当たりにした。やっぱり上には上がいた。

「自分がプロのレベルまで、達していたかと言えば、もっともっと良い選手がいるな、と感じました」

良い選手とは何か? その基準そのものも変わった。

ヴェルディに限らず、下部組織はいわば少数精鋭の集団だ。そのメンバーで長い期間、同じ時間を過ごす。お互いをより知ることはできるし、連係はより深まる。しかし一方で、その世界しか知らないともいえる。

「僕自身、ヴェルディらしい選手というか、テクニックがあって、ちょこちょこして……。『技術が高い選手がうまい選手』だと思っていました。でもスピードがあって、点を決められる選手がうまい選手とか。いろいろなうまい選手の基準があって、大学に入った時点で自分は昇格できるレベルではなかったことを感じました」

井の中の蛙(かわず)、大海を知らず。

しかし大久保は、大学サッカーという海に出たところでサッカー観が変わり、他を知り、己を知った。「自分は何ができるのか」「何が足りないのか」

100人を超えるセカンドチームで大久保は問いかけた。たどり着いた答えは、得意のドリブルを磨くことだった。

大久保は自らにルーティンを課した。毎週火曜日の夕方、当時4年のDF上島拓巳(現・横浜F・マリノス)を相手に試合と同じ90分間、マッチアップを行った。その間は動画で撮影し、チェックしては指摘を受けた。仕掛けてはチェック。指摘され、もう一度、仕掛ける。これを繰り返した。

プロになってからもそうだが、当時から年齢に関係なく意見を求め、耳を傾け。身につけていった。そのかいあってか、大久保は2年生の4月にリーグ戦デビューを果たし、出場機会を重ね、夏にはレギュラーとなった。

決定機を外して悔しがる浦和の大久保(撮影・金居達朗)

今も続けているサッカーノート

大久保は常に内省的で、自身をどこか客観的に見ることにたけている。それは高校時代から続ける読書のおかげだ。

「一番、最初に読んだのが『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』。読んで、良い考えだなと思って。(内容は)難しかったですが、この本を読んだから反抗期がなかったと思います」

アドラーを出発点にいわゆる自己啓発本を読みあさった。この頃からサッカーノートを記し始め、プロになった今も続けている。

「体の状態もそうですが、『練習中、あのとき、足が運べていなかったな』とか『うまく相手をいなせたかな』とか『重点が浮いていたな』とか……。ホントに細かいことをいうと、手に力が入っていたなとか」。とりとめのないことかもしれないが、気が付いたこと、気になったことを書き始めた。

そして読み返しては合わせ鏡のように。あるいは、あのときの自分と出会うように。現状の座標軸を見定めながら、限りなく自身を客観視する素となった。

自らを客観視することはプロで生き抜くことにも生きている(撮影・藤野隆晃)

大学3年の夏、浦和の特別指定選手に

いつしかプロの目に留まるようになり、浦和のスカウトから見初められ、3年生だった2019年の夏、約1カ月間にわたって練習に参加することとなった。いざ、大原サッカー場へ。勇む気持ちを抑えつつ、いま持っている力を根こそぎだそうとした。すると思うように頭が働き、体が動き、イメージ通りのプレーができた。

8月9日、特別指定選手に承認された。当時の指揮官、大槻毅監督は会見で大久保をこう評価した。

「スキルもあるしスピードもあるし、自分で仕掛けて打開できるところがあるので、そこのところはすごくいいんじゃないですかね。積極的に仕掛けるところは、我々のところにすごく合っていると思います」

大槻監督同様、大久保はいろんな選手たちから褒められたという。中でも印象的だったのが槙野智章だった。

「槙野さんとは練習でマッチアップしました。まったくお話ししていませんでしたが、シャワールームで『おまえ、良いドリブルもっているな』って言われたんです」。プロでやっていける!この2年半が報われる瞬間だった。

プロへの扉は目の前に現れたが1カ月後、大久保には1年半にわたる試練が待ち受けていた。

槙野さんに評価され、努力が報われたと感じた(撮影・清水優志)
浦和レッズ・大久保智明(下) 相次いだ故障、心の支えになった「客観視」する姿勢

プロが語る4years.

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