浦和レッズ・宇賀神友弥(上)現役でいられる原点、流通経済大で続けたサッカーノート
今回の「プロが語る4years.」は浦和レッズのMF宇賀神友弥です。3月10日時点でJ1リーグ293試合、J3リーグ64試合、通算357試合に出場。2017年には日本代表に選出され、FC岐阜を経て、今季は3年ぶりに浦和レッズへ復帰しました。初回は流通経済大学時代、どんなときも書き続けたサッカーノートに迫ります。
毎年のようにライバルが現れた当初
プロ15年目。ここまでのキャリアを振り返れば、戦いの連続だった。
最初の浦和時代、宇賀神のポジション・左サイドには関口訓充(現・南葛SC)、橋本和、駒井善成(現・北海道コンサドーレ札幌)、菊池大介、荻原拓也(現・ディナモ・ザグレブ)、山中亮輔(現・名古屋グランパス)といったライバルが毎年のように現れた。
以前、こんなことを吐露していた。「クラブは僕のポジションをウィークポイントと考えているのねと。そうですか、わかりましたと(笑)」
たとえシーズンはじめにポジションを明け渡したとしても、最終的には取り戻し、定着した。さらに2022年、33歳で加入したJ3・FC岐阜での2シーズン。フィジカルコンタクトの強いカテゴリーでもけがで長く欠場することはなく、また多くの若手選手がいる中でもレギュラーは譲らなかった。
昨年の夏に岐阜の練習場を訪れた際、こう胸を張った。
「おじさんで元気なのは僕とTJ(田中順也)だけ。しっかり違いを見せられているし、まだまだ若い選手に負ける気はしませんよ」
高校からプロをめざしたが、かなわず流通経済大へ
もともと、とびぬけた才能やセンスがあったわけでも、体格に恵まれていたわけでもない。なぜ宇賀神友弥は、現役を長く続けられているのか。
その理由は自身が「とにかく長かった」と振り返る流通経済大学での4年間にある。
出発点は、高校3年の夏に味わった挫折だ。当時、浦和レッズユースに所属していた宇賀神は3年でレギュラーとなり、その後はトップチームの赤いユニホームを着て、埼玉スタジアムのピッチに立つことを目標にしていた。しかし、昇格したのは堤俊輔、西澤代志也、小池純輝(現・クリアソン新宿)の3人。宇賀神は認められなかった。
そこで心に決めた。
「大宮アルディージャに加入してさいたまダービーで浦和を倒す」
「昇格させなかった浦和のクラブフロントを絶対に後悔させる」
この気持ちひとつで流通経済大学に進学。リベンジの日々が始まった。
ただ、一般的に感情を長く持ち続けることは難しい。はじめは志を強く持っていても、時間とともにその気概は薄まるものだ。どこかで諦めたり、目標を見失ったり、あるいは、どうでもよくなったりすることだってある。そうなってもおかしくない環境に宇賀神は置かれていた。
部員は200人以上。しかも大半は強豪校やユース出身者ばかり。うまい選手がトップに上がる単純かつ問答無用のヒエラルキーの中、宇賀神は当初、最下層のチームにいた。
トップチームなど夢のまた夢。給水の準備やピッチの芝刈り、ボール拾いなど雑用の日々。後輩に先を越されることもあった。試合に出られない選手は練習に参加できなかった。
「そこをどれだけ耐えられるか。その4年間でした」
サッカーノートは4年間で6冊に
悔しさを持ち続けた宇賀神を支えたもの。その一つがサッカーノートだった。
きっかけはプロ行きが絶たれた高校3年、プロになれる選手となれない選手の違いを考え、書き始めた。就寝前に10分から15分、ノートに向き合う。その日にあった出来事を思い浮かべ、印象に残ったことのいくつかを書きつづった。
練習メニューや試合で良かったプレー、悪かったプレー。なぜそうなったのか。
そして、そのときどきで抱いた感情も書き残した。億劫(おっくう)なときも必ず1行、2行は書き記した。
「目標を設定することが大切。僕は一度、浦和に裏切られていますから、大宮に入る! その気持ちだけを強く持って4年間、続けられました。つらくなったとき『自分の目標はどうなの?』と振り返るためにノートをつけていました。最初の自分の気持ちは何なのか、どうだったのかを確認でき、サッカー選手として厳しいかなと思うとき、気持ちがブレないようにやっていました。ノートをつけていたからこそ、そのときの気持ちを振り返ることができます。とにかく決めたら継続する、その意識でした」
気が付けば、サッカーノートは4年間で6冊となった。
読み返せば不思議と当時の心境が思い出される。サッカーノートはいわば「心のログ」である。このサッカーノートで紡ぎ出された自身の体験談を宇賀神は後輩たちに伝えている。
プロになる上で大事な四つのキーワード
浦和在籍時の2019年。自身が所属していた浦和レッズジュニアユースの選手60人に向けた講話が開かれた。この講話で挫折の意味について、以下のように話している。
「失敗することの怖さはある。でも、失敗して気づくことはたくさんある。挑戦しないと失敗することすらできない」「挫折から逃げない。挫折は決して恥ずかしいことではない。大事なのはそこから何を考えるか。挫折はマイナスではない。人として強くなれるきっかけになる」
また、プロになる上で大事な四つのキーワードを伝えた。
他人の言葉に耳を傾ける「傾聴力」。
他人の話を聞いたうえで、どういった意味があるのかを考える「思考力」。
この二つをもとに自分の思っていること、考えを周囲に伝える「主張力」。
最後は困難に対して強い気持ちを持ち、克服する「リバウンド・メンタリティー」。
これらを言語化できたのはプロになってからだが、もとになったのは間違いなく大学で味わった体験だ。「この四つができたから、長く現役を続けられる。その答え合わせができました」
思い続けること。ブレないこと。逃げないこと。一度決めたら、続けること。考えること。伝えること。簡単に負けないこと。
この意志の強さが、少しずつ実になっていった。
一番下を知る選手は強い
宇賀神が流通経済大のトップチームで試合に出始めたのは大学3年時の途中から。ただポジションは本来の左サイドだけでなく、いままで一度もやったことがなかった右サイドバックだった。
そこに落胆はなかった。「すべてのことには意味があるはず。だから受け入れてみようと。できないと思うんじゃなくて、与えられたところでどれだけできるか。まずは自分のものにしてみようと。『無理だ』と思っても、やってみなければ、本当に無理かわからないですから」
この考えはプロになっても変わらない。
左サイドバック起用も、大事な試合でのミスも。控え選手からレギュラーになる過程も。毎年のように出現するライバルたちの存在も。そしてFC岐阜への移籍も。
すべてに意味がある。
「僕は底辺の底辺でしたから。一番下を知る選手は強いなって改めて思います」
その底辺だった宇賀神が、大学4年になり、左MFのレギュラーをつかむこととなる。そしてプロ行きを決心した、ターニングポイントが訪れる。