浦和レッズ・宇賀神友弥(下)プロ入りを「即決」した流通経済大時代、天皇杯での一戦
今回の「プロが語る4years.」は浦和レッズのMF宇賀神友弥です。3月10日時点でJ1リーグ293試合、J3リーグ64試合、通算357試合に出場。2017年には日本代表に選出され、FC岐阜を経て、今季は3年ぶりに浦和レッズへ復帰しました。前後編連載の後編は、プロで通用すると自信を深めた流通経済大学時代、天皇杯でのガンバ大阪戦を掘り下げます。
大学生相手にレギュラーをそろえてきた王者
「前の日ですか? 明日の試合で自分の人生が決まると思った記憶があります。緊張はなかったですね。相手が格上だったことがあり、天皇杯の良さというのか、失うものはないって感じでした」
2009年10月11日、第89回天皇杯全日本サッカー選手権の2回戦。場所は大阪・万博記念競技場。宇賀神は流通経済大の一員として、前の年にACLを制し、リーグ戦も好調だったガンバ大阪と対戦した。
このとき浦和レッズの特別指定選手となっていた宇賀神。しかし本当にプロとしてやっていけるのか。確固たる自信がなかったのかもしれない。
この日のことは、その後、経験するリーグでの大一番や天皇杯決勝、ACL決勝とはまた違う感覚があったという。
「(天皇杯決勝、ACL決勝とは)背負うものが違いました。(ガンバ大阪に)勝てば、歴史に残りますが、自分の活躍だけを考えればいいので自分次第。プロになれないわけではなかったので、自分の人生がどちらに転ぶんだということだけにフォーカスしました。自分の活躍で勝たせられれば一番ですが、メインは自分の人生が決まるかどうかでしたね」
メンバー表を改めて見返すと2回戦とはいえ、ガンバ大阪はレギュラークラスをそろえた。
【ガンバ大阪】
GK藤ヶ谷陽介
DF加地亮・中澤聡太・山口智・下平匠
MF武井択也・明神智和・二川 孝広・佐々木勇人
FWルーカス・ペドロ ジュニオール
ベンチには17歳の宇佐美貴史がいた。
「改めてすごいメンバーとやっていたな~」と宇賀神。ただ、流通経済大のメンバーも負けていない。
【流通経済大】
GK増田卓也(広島)
DF石川大徳(広島)・山村和也(鹿島)・比嘉祐介(横浜Fマリノス)
MF中里崇宏(横浜FC)・宇賀神友弥(浦和)・千明聖典(岡山)・金久保順(大宮)・ロメロ フランク(水戸)
FW細貝竜太(HondaFC)・船山貴之(栃木)
※カッコ内は大学卒業後に加入したクラブ
HondaFCに加入した細貝以外、卒業後はみなJリーガーとなった。
「自分がガンバに通用する姿を見せられた」
当時、流通経済大はJクラブで出場機会に恵まれていない、いわゆるサブチームと練習試合を組む機会が多かった。そのため、選手にJクラブへの気負いや気後れはなかった。ただ、ガンバ大阪のこのメンバーに「どれだけできるのか」「相手はどこまですごいのか」と心躍ったことを覚えている。
左MFで起用された宇賀神がマッチアップしたのは、代表経験があった29歳の加地亮だった。「お~、加地亮だ~」が試合の第一印象。「できなくて当たり前って記憶しています。(プレーは)サイドチェンジをバンバン蹴って、パスを通していましたね」。宇賀神は年月が経っても事細かに覚えていた。
試合は前半を2-3。流通経済大は劣勢ながらも食い下がったが、後半に播戸竜二、ルーカスに決められ、2-5で敗退した。
それでも宇賀神は「前半から自分たちで押しこんで、自分がしっかりガンバ相手に通用するんだという姿を見せられました。結果を含め、プロに行けると思いました。もう即決でしたね」と振り返った。
自己評価じゃなくて自己分析
プロ行きのターニングポイントとなった試合だが、そのターニングポイントにも出現の条件があった。
「学生生活で目標や夢があれば、1歩、2歩と近づくことで必ずチャンスが訪れます。でも、目標も夢もなければ、絶対に訪れない。やはりいろんな経験をしないとわからない。失敗しないといけないし、失敗しないとどれが成功なのかすら、わからないから」
失敗を失敗で終わらせない。失敗から得るものはそれ以上にある。
「自己評価じゃなくて自己分析すること。何が足りないのかを考えれば、おのずとやることは見えてくる。周りから「頑張っているね」と言われて初めて評価される。そのことに満足することなく、そこをクリアしたら次の目標を立てていくことが大事」
この自己分析を続けたからこそプロになれ、息の長い選手になれたと言える。
天皇杯に隠されたもう一つのストーリー
このゲームにはもう一つの物語がある。
試合が終わり、両チームともベンチに下がる際、スタンドからひときわ大きな声が響いた。「宇賀神選手!!」宇賀神が声の方向に目をやると、一人の少年が身を乗り出すように声をかけていた。
少年はこう言った。「僕も宇賀神って言うんです。一文字違いなんです」。少年の名は宇賀神友汰さん。試合前日、たまたま目にした新聞で同じ名字の選手を見つけた。どんな選手なのかと、父親と一緒に観戦していた。
ファンになった少年はファンレターをしたため、送った。その後、加入当時の背番号「35」のユニホームを身につけ、関西で開催される浦和戦にいき、自身のヒーローの活躍を楽しみにしていた。
宇賀神少年はその後、サッカーの強豪・興國高校(大阪)に進学。卒業後は大阪社会人リーグ1部の豊中FCに加入。ポジションはサイドバックを任された。
そんな彼には温めてきた夢がある。
高校2年のとき、興國高校がプレーモデルとしたバルセロナFCに研修旅行で訪れた際、心に決めた。「いつかこの国でサッカーを学びたい」「このスペインでサッカーがしたい」。そして、かなえた。
2021年夏、世界中がコロナ禍にある中「行かなければ、一生、後悔する」とスペインに渡った。あれからもうすぐ3年。25歳となった現在、宇賀神さんはスペイン4部リーグのクラブチームで選手兼分析官のアシスタントコーチを務めている。
自身にとってターニングポイントとなった試合の、あのスタンドで自分の名を呼んだ少年が、いまは遠いスペインで夢をかなえている。
少年のいまを知った宇賀神はこう話した。「宇賀神が世界で活躍しているってことですね(笑)。引退したら、ヨーロッパに渡って勉強したいので、お会いする機会があれば」。2人の人生が交差する瞬間がいつかどこかで訪れるであろう。