【私のユニバ】浦和レッズ・長澤和輝 ロシア・カザンでドイツ行きのチャンスつかむ
2年に1度開催され、「学生のオリンピック」とも呼ばれているのがユニバーシアードです。台湾・台北が舞台だった前回、日本は37個の金メダルを獲得し、夏季大会では初めてメダル獲得ランキング1位となりました。今年は7月3日から14日まで、イタリア・ナポリで開催されます。開幕に先立ち、4years.ではこの大会に出場経験があり、大学を出た現在も活躍中の方に当時を振り返ってもらう「私のユニバ」をお届けします。3人目は、2013年のロシア・カザン大会で男子サッカー代表の主将として日本を3位に導いた、浦和レッドダイヤモンズのMF長澤和輝選手(27)です。
専修大のパスサッカーに共鳴
たとえ高校時代に芽が出なくても、大学を経てJリーガーとして花開く道があることは、いまやサッカー界では周知の事実だ。現在、浦和レッズでプレーする長澤も、大学経由でプロ選手になった一人。ただ長澤の場合、異質な歩み方をした。大学からJリーグではなく、ドイツのプロリーグへと進んだのだ。
千葉県出身。幼少期にサッカーを始め、名門の八千代高校サッカー部では、3年生のときに高校選手権に出場。3回戦で敗れたが、長澤は大会優秀選手に選ばれた。それでも年代別の代表歴もなければ、全国大会での秀でた実績もない無名の選手。プロからの声はかからず、練習に参加した複数の大学から専修大学への進学を決めた。足元の技術を生かしたパスサッカーが、自分にマッチすると感じたからだ。
選手の個性に合ったサッカーをする。入学したころの長澤は、専修大サッカー部に対してそんなイメージを抱いた。そして何より重んじていたのが自主性だった。授業が始まる前と終わった後の練習時間を、どう生かせば成長できるのか。それを学生自らが考え、実行できる力を育む。そうした環境もまた、長澤が飛躍する原点となった。
長澤の入学から間もなく、専修大は黄金期を迎えた。関東大学リーグ2部から1部へ昇格した2011年のシーズンには、リーグ戦とインカレを初制覇。さらに翌年、翌々年のリーグ戦も制して3連覇を達成。その原動力となったのが、キーマンへと成長した長澤だった。
ユニバで優勝する自信はあった
ユニバーシアードに出たのは4年生のとき。当時、大学サッカー界を牽引(けんいん)していた専修大を代表して出場することを、長澤はこう考えていた。
「関東リーグや2年生のときの大学選手権でタイトルをとってたり、総理大臣杯でも上位まで進んだりと、当時の専修大はすごく実績を残してました。そういう意味でも、ユニバーシアードのメンバーに選ばれたいなというより、大会に出て引っ張っていかなきゃいけないな、っていう思いの方が強かったです」
メンバー20人の中には、同じ専修大のFW仲川輝人(現・横浜 F・マリノス)やMF下田北斗(現・川崎フロンターレ)のほか、筑波大勢のDF谷口彰悟、車屋紳太郎(ともに現・川崎フロンターレ)、FW赤﨑秀平(現・名古屋グランパス)らのタレントがいた。「どのポジションにも優秀な選手がいて、いいメンバーがそろったな」。キャプテンを務めた長澤はそう思った。優勝する自信もあったが、準決勝で敗退。フランスと好勝負を演じながら、最後はPK戦で力尽きた。
ユニバを経て、ドイツ2部の1.FCケルンへ
日本は地元ロシアとの3位決定戦を3-0で制し、銅メダルを獲得した。金メダルという目標をかなえられずに終わったユニバーシアードは、長澤自身のキャリアにおいてどのような意味を持つものだったのか。長澤は言った。
「この大会に出て一番大きかったのは、その後の人生が変わったことですね。結果的に海外クラブから正式に獲得オファーをいただいたんですが、もしこの大会でプレーしてなければ、その話はなかったかもしれません。そういう意味でも大きかったです」
13年12月、長澤はドイツのブンデスリーガ2部に所属していた1.FCケルンへ加入。大学生がJリーグを経ず、ヨーロッパのクラブに入るのは極めて稀なケースだった。それが現実のものになった背景として、大学選抜での経験をあげた。
「2年生の時から全日本大学選抜チームに選ばれてたんですけど、そこで海外遠征をたくさん経験してました。イタリアでは世界各国から有名なクラブチームが集う国際ユース大会に出ましたし、ドイツではブンデスリーガの3部クラブと戦う機会もありました。もちろんユニバーシアードでの評価もあって、それが練習参加、オファーへと繋(つな)がったんでしょうけど、それまでのパフォーマンスを海外のスカウトに見てもらえてたのは一つのポイントだったかなと思います。大学生にもチャンスがあるんだというのはすごく感じましたね」
国内からヨーロッパのクラブへ移籍し、そこで戦えるのはプロでもひと握り。限られたチャンスを、長澤は大学選抜での経験、そしてユニバーシアードを経て引き寄せた。そしてドイツで得た知識や経験が、いまのキャリアへと生かされている。