富士通・濱口真行 関西大学から一般入部、春に急成長のQBはサイドラインで常に笑顔
1月3日に、社会人Xリーグの頂点を決めるライスボウルで優勝を果たした富士通フロンティアーズ。4年ぶりに開催された、春の関東王者を決めるパールボウルトーナメントでは、準決勝で敗退した。
エースQB高木翼(慶應義塾大学)は試合に出場せず、2番手以降の選手で戦ってきた。しかし野沢研(立命館大学)、大内勇(関西大学)の両QBも負傷により出番が少なく、この春はウォークオン(一般入部)の新人QB濱口真行(関大)がほとんどのスナップを受けた。3試合で1勝1敗1分け。入部早々に大きな経験を積み、秋のロースター登録に向け、確かな成長をみせた。
「こんなに早く試合に出られるとは……」
「ウォークオンってなんですか?」
6月10日、富士通がパナソニックと戦った神戸ボウルの試合後、濱口に入部の経緯を聞くとこう返ってきた。ウォークオンとは、競技能力を買われての推薦入部ではなく、一般入部を意味する。毎年のように優勝を争う富士通では、メンバーのほとんどが大学時代の活躍を評価された推薦入部で、一般入部の選手は少ない。実際に濱口の加入が発表されたのは5月8日で、他の選手に比べて1カ月あまり遅かった。QBとしては珍しい「38」という背番号からも事情がうかがえた。そして大学1年のとき、「27」をつけていたことを思い出した。
出番は急にやってきた。それは濱口の加入が正式に発表される前日。5月7日にあったパールボウルトーナメント初戦。電通キャタピラーズ戦の終盤だった。
「まさかこんなに早く試合に出られるとは思っていませんでした。準備はしていましたが、それでも正直驚きはありました」
この試合は関大の先輩でもある大内がメインで出場していたが、試合の終盤第4クオーターに負傷により退場。野沢も万全ではなかったため、4番手の濱口に出番が回ってきたのだ。
富士通では、週末と水曜の週3回、チーム練習が行われている。競技推薦ではなく一般入社の濱口は、仕事があるため水曜の練習には参加できない。土日も研修などで参加が遅れることもあるという。QBという戦術の深い理解とリーダーシップが求められるポジションで、この状況からいきなり駆り出されるのはなかなか厳しいものがある。試合には勝ったが、濱口のパフォーマンスに良いところはなく、前半に挙げた得点で勝った。
続く5月28日の準決勝、ノジマ相模原ライズ戦が試練の本番だった。濱口は先発を務め、通しで試合を任された。ライズ守備の激しいプレッシャーを浴び、四つのインターセプトを喫した。メンタルはズタボロにされ、13-16で負けてトーナメント敗退。このときは、さすがにこたえたという。
「富士通を背負ってる中でああいうプレーをしてしまったのは、チームの方に申し訳ないと思いました。富士通の恥というか、日本一のチームがやるプレーではなかったと思っています」。自分のふがいなさに涙がでた。
しかし、この春にはもう1試合チャンスが残っていた。それが神戸ボウルだった。
先発QBは野沢。しかし攻撃の2シリーズ目からは濱口に交代した。序盤戦は思うようにドライブが続かなかったが、少しずつリズムをつかむ。徐々にパスが決まり始め、自らのランも出るようになった。両チームともに守備が強く、攻撃の獲得ydは少ない中で、ゴール前に迫るドライブもできた。
「最初は視野が狭くなってしまい、自分のプレーをするのに必死やったんですが、だんだんと失敗を恐れず1プレー1プレーに全力を出せるようになってきました。それがたまたま良いプレーにつながったのかなと思います」
タッチダウンは取れず、3-3の引き分け。しかし濱口自身の手応えは、1カ月前とは全く違っていた。試合でのパフォーマンスと結果を前向きに考え、目標につなげて考えられる余裕が出てきた。
「パナソニックを相手に1試合できたっていうのは、自分の中で大きな経験になりました。もっと成長して、日本一に貢献できるようになりたい。そういった形で恩返しをしたいと思っています」。表情も明るくなった。
言われたことをやり切る力
ウォークオン入部という事実からもわかるように、濱口はここまで日の当たる道を歩んできたわけではない。関大時代には1年生のときに交代出場の機会を得たが、3年に上がりスタメンになるはずの2021年、須田啓太(3年、関大一)という学生トップレベルの能力を持つスーパーQBが入ってきた。濱口は控えに回った。4年のラストシーズンも出番が少なく、通しで出たのは春の法政大学戦だけ。秋の立命戦や関学戦といったビッグゲームは、任せてもらえなかった。ここぞの試合は1年生からずっと須田が出た。濱口にとって、やり残しがないとは言い切れない4年間だったはずだ。
無礼を承知で濱口に聞いた。「なんでまた(出られるかわからない)、富士通に?」
答えはこうだ。「将来的に先進技術で社会貢献できる仕事がしたくて。それが実現できるのが富士通だったんです。せっかく富士通に入社できて、フロンティアーズに入部できる権利を得られたので、そのチャンスを無駄にしないよう、やれるだけやってみようと思いました」
4月中旬、フロンティアーズに「練習生でも構わないから入りたい」と入部希望を出した。最初は枠がないと断られたが、QB2番手の野沢がけがをしたこともあってチームでは「濱口を入れてみよう」という話になった。
山本洋ヘッドコーチ(HC)は言う。「練習をさせてみると、言われたことをしっかりやり切る力があるのがわかった。できること、できないことでいうと、まだまだ課題がありますが、積み上げていけばしっかりパフォーマンスが出せる選手だなと感じました」。そして、この春を通じた濱口の成長については「計算外の収穫」と話した。
中でも評価していることがある。それは、濱口のポジティブな姿勢だ。
「たとえミスをしたり相手にやられたりしても、サイドラインでは常に笑顔なんです。うまくできてないことを理解しながら自分なりに平常心をつくっている。ニコニコしすぎてて、ちゃんと考えてるのかちょっと心配になるくらいなんですが(笑)」
濱口に聞くと教えてくれた。これは、関大で須田の控えになったときから徹底して意識していることだという。その語気から気持ちの入れようが伝わってきた。
「自分の中で『絶対に』と決めてることです。どんなに厳しいときでも、プレーができてる環境、任せてもらえることに感謝しようと。どうせやるなら笑顔で、ほんまに全力で楽しみたいっていうので、笑顔を作らないといけないと思ってます」
須田がけがをして、苦しいシチュエーションで出番がきても、いつでもいけるように。常に口に出して、表情に出して前向きな姿勢をつくってきた。大学での経験が、社会人1年目の春に生きた。
エースQBの高木はベンチで濱口の横にいてくれて、うまくいかない時も声をかけてくれた。「高木さんは『大丈夫、大丈夫、いけるぞ』ってずっと言ってくれてました。まわりの方たちにも励まされて、伸び伸びとやれたと思います」。チームメートの支えが力になった。
高木は言う。「濱口は(運などを)持ってますね。ゲームに出られてますから」。今でこそ日本人QBのナンバー1選手と目されているが、彼も順風満帆なキャリアを積んできたわけではない。慶應を卒業してから銀行に入行し、オービックシーガルズに入団した。しかしここでは出場チャンスがなく、富士通に転職。フロンティアーズに活躍の場を求めた。だが、コービー・キャメロンという名QBがいたため、ここでも出番はなかった。キャメロンが去っても、代わりにやってきたマイケル・バードソンの後塵(こうじん)を拝した。高木はそれでも腐らずにバックアップ選手として準備を続け、社会人6年目にようやくエースとして大成した。だからこそ、濱口にも地道な努力で力をつけて欲しいと期待している。
努力次第でどうにでも変わる
「正直、入った頃は自分がやっていけるか不安やったんですが、努力次第でどうにでも変わるっていうのを山本HCや高木さんをはじめ、皆さんから言われています。こっからどれだけ頑張ってはい上がれるか。しっかりと雑草魂を見せたいと思います」
トップチームで濱口のような選手がチャンスをつかみ、攻撃を、チームを率いる。これはチームの総力で戦うアメフトの醍醐味(だいごみ)であり、大きな楽しみのひとつだ。この先どこまでブレークできるかは彼の頑張りと成長にかかっている。
「富士通に就職していなかったとしても、自分が入れる一番強いチームを目指したと思います。環境はめっちゃ大事だと思っていて、富士通では日本代表やCFLで活躍している方と一緒にプレーできる。そういう環境でもまれることで、自分も成長するチャンスがあると思うんです。たとえ試合に出られなくても、得られるものがあるんじゃないかって」。独特のゆったりとした柔らかい語り口から、ストイックな言葉が出てきた。
目標は「濱口やったら大丈夫」という信頼を得られる選手になること。「引っ張るというよりは、下から支える人間になりたいですね」
秋にはロースター登録が65人にまで絞られる。枠に入るか、練習生になるか。競争に勝ち抜き、成長のその先で勝って笑う濱口が見たい。