アメフト

大学アメフトへの橋渡し役に 高校独立チーム「ジュニアチャレンジャーズ」が初ゲーム

初の実戦の直前、ジュニアチャレンジャーズの面々は緊張気味だった(すべて撮影・篠原大輔)

今年4月に発足した高校アメフトの独立チーム「ジュニアチャレンジャーズ」が9月15日、初の実戦に臨んだ。高校の滋賀県秋季大会のエキシビションマッチ(立命館守山高校グラウンド)で虎姫高、長浜農業高、箕面ファイティングシトロンズと合同チームを組み、第1、第3クオーター(Q)は立命館守山、第2、第4Qは長浜北と戦った。16-40で敗れたが、かつて関西学院大学ファイターズでキャプテンを務めた佐岡真弐(しんじ)代表兼ヘッドコーチ(41歳、HC)は「ほんとにこのチームを作ってよかった。狙ったプレーが二つのタッチダウン(TD)につながったのは非常にプラスにとらえてます」と言って笑った。

「大事なのは、この経験をいかに次につなげるか」

初実戦の日はジュニアチャレンジャーズの15選手のうち、3人が学校の文化祭などで欠席。12人が真新しいユニフォームを防具の上に着け、ほかの3チーム計8人の仲間とともに戦った。午後3時半に始まった試合は気温が上がり、人数が少なく、攻守両面出場の選手もいる合同チームは苦しい戦いを強いられた。ライン戦で上回られて3TDを先取されたが、前半終了間際にQB小林知暉(大阪つくば開成高3年)からWR松野大雅(明星高1年)へのTDパスが成功。2点コンバージョンでも小林から松野へのパスが決まり、8-20で試合を折り返した。

防具を着けるのが2度目、という選手もいた

ハーフタイムに入るとき、佐岡HCは高校生たちにこう声をかけた。「ほんまに体がキツかったら棄権したらええ。お前らの健康の方が大事や。ただ今日のためにやってきてんから、変なところで諦めるなよ。試そうと思ってきたことを試せ。それがアカンかったら、できるようになるまでまた練習したらええ。せっかくのチャンスやねんから楽しめ!!」。疲れの見えた選手たちだが、大きな声で「はい」と返した。

後半もジュニアチャレンジャーズは相手オフェンスを断ち切れず、パントリターンTDも食らった。8-40で迎えた第4Q序盤から怒濤(どとう)のドライブ。11プレー目の第4ダウン残り12ydで、QB小林が佐岡HCの長男であるWR佐岡宗一郎(須磨学園夙川高1年)へTDパスを決め、2点コンバージョンも虎姫高1年の篠原俊明が走り込んで成功。続く相手オフェンスでゴール前に迫られたが粘って得点させず、16-40で試合終了となった。佐岡HCは最後のハドルで「点数なんかどうでもええねん。準備してきたプレーが成功したり、失敗したり。それが大事やと思う。もっと大事なのは、この経験をいかに次につなげるかや」と、選手たちに語りかけた。

試合前に合同チームの選手、スタッフで記念撮影

今年4月に発足、最初は選手6人からスタート

ジュニアチャレンジャーズは佐岡さん自身の抱いた危機感がきっかけで結成に至った。長男の宗一郎は小、中学生のチームを持つ兵庫ストークスでタッチフットボールをやってきたが、通っている中高一貫校にはアメフト部がなく、高校生になったらどうやって競技を続けるかという話になった。長男の仲間にも数人、路頭に迷う中3生たちがいた。兵庫県にアメフト部のある高校は10校だけ。大阪府も佐岡さんが競技を始めた桃山学院などが部員減などの理由で活動をやめ、14校だけとなっている。

「よっしゃ、俺がチーム作ったるわ」と佐岡さんが宣言したのが昨年の春。「やるんやったら河川敷で練習させるようなことはしたくない。ちゃんとした練習環境を整えてあげたかった」と、社会人時代にプレーしたXリーグのSEKISUIチャレンジャーズ(佐岡さんの所属当時はアサヒ飲料チャレンジャーズ)に話を持って行った。すぐに前向きな反応があり、チャレンジャーズ傘下の高校生独立チームとして、今年4月の発足にこぎ着けた。

ラインの選手たちに語りかける佐岡ヘッドコーチ。現役時代はDLだった

最初は選手6人から始まった。毎週日曜日に兵庫県尼崎市にあるSEKISUIチャレンジャーズの練習場に集まる。練習の様子をインスタに投稿していると、問い合わせが入るようになり、いまでは3年2人、2年3人、1年10人の計15人の選手が在籍している。佐岡HCが言う。「学校じゃないので年会費、月謝を払ってもらってます。高校生には、すべて主語は『自分』でやってよ、と言ってあります。こっちから『何かやりなさい』とは言いません。ただ一つ、『試合に出たかったら、ここまでに結果を出せよ』ということだけです。そこで100に持っていくために、今週はナンボや、来週はナンボやというのを自分なりに組み立ててやりなさい、という指導しかしてません。何も強制しないからこそ、こうやって試合で『1対1の当たりでやられた』とか『タックルを外された』とか具体的な結果が出ると、彼らもすごく意識して、練習にもまた熱が入ってくるのかなと思います」

試合が進むにつれ、白いヘルメットがどんどん汚れていく。戦いの証しだ

選手たちが持つさまざまなバックグラウンド

さまざまな環境の選手たちがいる。自分の高校のアメフト部をやめて入ってきた選手。ずっとラグビーをしてきて強豪の高校に入ったが、「もの足りない」とやってきた選手。別の競技をしていたが、高校進学を機にアメフト経験者の親に勧められて入った選手。佐岡HCの長男の宗一郎は、高校ではバスケットボール部に入っている。「そういう子が増えてきたらおもろいですよね。『バスケとアメフトはこんな共通点がある』っていうような気づきがあれば、最高です。ウチの子はバスケやってるだけあって、高いボールのキャッチうまいですから」と佐岡HC。

DBの乾裕泰(11番)は相手RBに食らいつくようなタックルを決めた
佐岡HCの長男である宗一郎(15番)はQBとしてもプレーした

今春の大阪府大会で大産大附高のエースQBとしてプレーしていた小林知暉がジュニアチャレンジャーズにいたのには驚いた。関西大会から出てこなくなったなと思ったら高校を中退し、通信制高校に転じていた。そして8月になって尼崎のグラウンドへやってきたという。佐岡HCは、なぜ高校をやめたのかという話を彼の口から聞いたうえで、アメフトを続けていきたいという彼の気持ちに応えることにした。15人の選手の中で飛び抜けてフットボール経験が豊富な小林は、QBのコーチも兼任している。「知暉はものすごく頑張ってくれてます。最初の試合のプレーブックは僕らが相手の研究もせずに作ったんですけど、そしたら知暉たちがネット上で拾ってきた動画から立命館守山と長浜北の傾向を出してプレーを作って、LINEグループに送ってくれました」。佐岡HCがほんとうにうれしそうに笑った。

春まで大産大附高のエースQBだった小林が2本のTDパスを決めた

自身の再起戦でもある試合で二つのTDパスを決めた小林は、こう話した。「中でプレーを出していいと言われたので、『次は誰がボール持ちたい?』って聞きながら組み立てました。楽しくできました。一度はアメフトをやめることも考えたんですけど、やるって決めたからには楽しまないとって感じです」。新たな環境に身を投じて、初心に戻れたのが大きいという。「ハイレベルなところでずっとやってて、『頑張らんと』『後輩にも抜かれたらあかん』っていうのばっかりでした。でも今日の試合中もみんなが『楽しい』って言ってて。ほとんど1年生なので、これからも続けていってほしいなと思って。ミスして落ち込んでても、楽しさに気づかせてあげたいから、練習でも試合でもずっと声かけをしてました」。コーチ役もやっていることについては「QB志望の子が2人いて、僕がいるうちにしっかりプレーできるようにしたってほしいと言われたので、それはずっと気にして一緒にやってます。僕自身、またここからです。頑張ります」と、柔和な笑顔で話した。

序盤はライン戦で圧倒されていたが、徐々に割って入れるようになった

新たな高校アメフトの形を模索

佐岡HCの目下最大の目標は、兵庫県の高校の大会に出場することだ。「人数が足りていても高体連の大会には出られないという話は聞いてるんですが、こうやって滋賀県の大会に入れてもらった実績がありますし、兵庫でも合同チームで出てる高校もあるんで、その一角に入れてもらうとか。とにかく彼らを県大会に出してあげたい。そこで大学から推薦をもらえるケースもあるでしょうし、受験を経て国公立で続けたいと思う子も増えてくるはずです。頑張ってる子たちの活躍できる場をもっともっと増やして、大学への橋渡しになれたらと思います」

新たな高校アメフトの形を模索するチャレンジが始まった。

試合後、輪になって佐岡HCの話を聞く選手たち

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