明治大・安田昂平 快足のトライ王、けがに悩んだ最終年「諦めぬ姿勢を後輩に示せた」
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振り返っておきたい紫紺の俊足ランナーがいる。WTBとして4年間を駆け抜けた明治大学ラグビー部の安田昂平(4年、御所実業)だ。大学3年時は身長181cmのストライドとスピードを生かして関東対抗戦で15トライを重ねてトライ王に輝いた。だが、BKリーダーとして臨んだ今季は、けがが重なり対抗戦3試合で1トライのみに終わった。紆余(うよ)曲折あった大学生活を、安田に振り返ってもらった。
秋2戦目のけがで消化不良 出場3試合1トライ
明治大ラグビー部の創部100周年だった大学3年時は、大学選手権の決勝まで進んだが帝京大学に15-34で敗戦して涙をのんだ。新チームが発足すると、低学年から活躍していることもあり、安田はNO8木戸大士郎(4年、常翔学園)キャプテンら同期から、BKリーダーに推された。
「責任感が出るし何も役職がないよりはいいかな。3年時は『俺が俺が』的な感じでトライを取りに行ったところがあったかもしれない。しかしまだ高校、大学と日本一を経験したことがないので、明治が優勝するために自己犠牲をいとわないようなプレーをしていきたい」と意気込んで最終学年に臨んだ。
春から夏にかけてチームは調子が上がらなかったが、安田が「(今季は)若いチームでしたが、個々に力のあるタレントが多くいたので、徐々に完成されていくのでは、と思っていました。挑戦者として良い形でシーズンに入れた」と話す通り、対抗戦が始まるとチームの調子が上がっていった。
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しかし安田自身は対抗戦2試合目、9月22日の慶應義塾大学戦で左足首をけがしてしまう。「パフォーマンスを戻せなかった」と話すように、ようやく復帰したのが対抗戦の最終戦、12月1日に行われた100回目となる早稲田大学との早明戦だった。
大学選手権は1月2日の準決勝・帝京大戦に後半6分から出場したが、26-34で敗戦し、勝利に導くことはできなかった。「(相手と)フィジカルやラグビー的な部分にはさほど大きな差はなかったが、トライを取られて相手が乗ったときに(攻撃を)防ぎ切れず、自分たちが勢いに乗るタイミングを見失ったかな」と唇をかんだ。
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花園は高2で準優勝、高1では国体優勝
そんな安田は奈良・大和高田市出身。小学校時代、教師だった祖父がラグビー経験者で、御所ラグビースクールで1年間、「遊び程度」で競技をやったことがあった。他に水泳、サッカー、陸上などをやっており、熱心にやっていた空手では県大会で優勝した経験もある。
父も当時、御所実業の教師で、ラグビー部の竹田寛行監督と仲が良かった。その影響もあり、安田も御所実業に進学。「空手をそのまま社会人までやるのは難しそうだったし、ラグビーを再びやってみよう!」と、本格的に楕円(だえん)球を追う道を選んだ。
高校入学時、体重は60kg台だったが、身長は175cmと大きく足も速かったため、そのままWTBとなった。高校1年時、御所実業は「花園」こと全国高校ラグビー大会に出場できなかったが、国体ではレギュラーとして優勝を経験した。2年時はエースWTBとして花園で気を吐き、桐蔭学園(神奈川)に負けたものの準優勝に輝いた。3年時はSOとして花園に出場し準々決勝で再び桐蔭学園に負けたが、「いい高校時代を送れたと思います」と話す。
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大学で学んだコミュニケーション「プレーに余裕」
高校2年の頃から「大学でもラグビーを続けよう」と思っていた安田は、明治大の田中澄憲監督(当時)に誘われ、「なかなか勉強では入れない大学だしラグビーが強い」と考え、同級生のSH登根大斗とともに明治大に進学した。
大学1年時は、対抗戦の2戦目までは試合に出ることができたが、そこから機会を得ることができなかった。「FB雲山(弘貴、現・花園近鉄ライナーズ)さんがけがをしていて、その代理で出ていたみたいな感じだった。今から思えばもっと積極的にいけば良かった」
フィジカルやスピードトレーニングに並行して、「世界的に見ればバックスリー(WTB、FB)に求められる能力だと思うので」とハイボールキャッチも自主練習で磨いた。すると大学2年時はFBとしての定位置を確保し、対抗戦で5トライを挙げた。
さらに3年時はエースWTBとして15トライを重ねて対抗戦のトライ王に輝き、チームの準優勝にも寄与した。「SOやCTB、FBとスキルの高い選手が多くて、僕のことをすごく信頼して外にボールを供給してくれた。3年時は、自分にとって(WTBの)14番のあり方をすごく教わった感じがします」と振り返った。
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4年間で成長した部分を聞くと、「コミュニケーション能力が一番伸びたかな。高校時代は竹田先生のラグビーを理解するのに必死だった。大学に入ると、高校時代みたいに頭がいっぱいいっぱいにならず、バックスリーで連携し、コミュニケーションを取りながら余裕を持ってプレーできるようになった」と胸を張った。
今季のけがの影響で、ピッチ外から試合や練習を見る時間が多かったことも良い経験になったという。「外からチームを見ると全然違って、ラグビー面で気づくことも多かったので、自分の思うことを周りに伝えるようにした。今季は他人のために率先して行動ができたかな。若い選手が試合に出て活躍する姿を見てうれしかった」
ジュニア選手権の優勝「忘れられない試合の一つ」
4年間で一番覚えている試合を尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「(2トライを挙げて勝利した)大学3年時の早明戦も覚えていますが、一番印象深かったのは4年時のジュニア選手権の決勝(11月24日の帝京大戦)です。人生でも忘れられない試合の一つです」
けがからの復帰戦だった安田はこの試合、大学4年間を通じて初めてゲームキャプテンとして出場し、29-26で勝利した。「帝京には4年間、大事な試合で負けてきましたが、チームを勝たせたいと思ったし、ジュニア選手権ではありますが、みんなで勝つことができた」と声を弾ませた。
けがをしながらも最終的には試合に復帰できた4年時について安田は、「ちょっとイレギュラーなシーズンでした。ただ自分がけがをしてパフォーマンスが上がらない中でも、最後まで諦めず試合に出られたという姿勢は、けがをしている選手や伸び悩んでいる後輩に対して残すことができたのかな」とも話した。
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卒業後は「リーグワン選手兼デザイナー」も視野に
大学時代一番思い出に残っていることを聞くと、1年時、初めて親元を離れて寮で暮らしたことだという。「良い意味で、(全寮制の)明治は一人になれない。落ち込んだりしても、家族のように温かく声をかけてくれた。4年間、良い環境でラグビーができたことにすごく感謝しています」
最初に同部屋になったのはFB雲山、SH丸尾祐資(現・NECグリーンロケッツ東葛)、WTB林哲平(現・中部電力)の3人で、1年の後期はCTB江藤良(現・横浜キヤノンイーグルス)、CTB齊藤誉哉(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)、SO/FB伊藤耕太郎(現・リコーブラックラムズ東京)の3人が同部屋だった。この6人と、一つ上の代のキャプテンCTB廣瀬雄也(現・クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)の7人の先輩には特に世話になり、今でも仲が良いという。
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社会人でもラグビーを続ける安田は、リーグワン・ディビジョン1の強豪・東京サントリーサンゴリアスへ入団し、すでに練習に参加している。「WTBは他のポジションに比べて寿命があまり長くないと思うので、できる時期に強いチームでやった方がいいかな。やるからには上を目指したい」と、地元の関西に戻らず、サンゴリアスへの入団を決めた。
趣味は服飾で、もちろん服を買ったり着たりすることも好きだが、マイミシンも持っており、布を買って型を取り自分で服を作っている。「サントリーは副業OKみたいなので」と、ラグビーと仕事の傍ら、社会人になったら服を自分でデザインし作って販売することも視野に入れている。
4年間を振り返って安田は、「本当にラグビー部に入寮したのが昨日のことのように思い出されます。4年間は本当に一瞬でした。楽しい思い出の方が多かったですけど、喜怒哀楽とともに、みんなと過ごすことができて楽しかった!」と目を細めた。
「心残りはない」。紫紺のエースランナーは大学4年間を全力で駆け抜けた。
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