優しく面白い大男 日体大・鏑木大輔
アメフトにはさまざまなポジションがある。その一つがOL(オフェンスライン)だ。攻撃の最前線で横一列に並んで体を張り、QB(クオーターバック)を守ったりRB(ランニングバック)の走路を切り開いたりする大男たち。通常、ボールをQBに渡すC(センター)を中心として、その左右にG(ガード)、さらにその外側の左右にT(タックル)がいて、この5人をまとめてOLと呼ぶ。背番号は50~79番のどれかと決まっている。
彼らは基本的にボールに触れられず、彼らに向かってパスを投げると反則になる。ボールを前に進めるための競技なのに、ボールにさわれない。ここがラグビーのFWと決定的に違う。何とも因果な商売なのだ。
ただひたすらに、人のために体を張る。それがOLだ。練習も当たってばかり。つらく、苦しい。能力の高いQBやRBがいても、OLがふがいないと前へは進めないから、やたらコーチには怒られる。最重要ポジションと言ってもいいのに、一切目立たない。4years.では、そんなOLたちに光を当てたいと思う。題して「OL魂」のスタートです!
QBを死守、ただそれだけ
9月1日の初戦。昨シーズン2位の早稲田に8点差で負けたあと、日体大のOL#77鏑木大輔(かぶらぎ、4年、国学院栃木)は敗戦をかみしめていた。大雨の中、文字どおり唇をかみしめた。「早稲田とやることが決まってから、勝ちたい一心でずっとやってました。最後の1プレーまで『絶対勝つ』と思ってやったんですけど、届きませんでした」
前半は左G、後半は左Tとしてプレーした。「QBの小林を5人で死守することだけ考えてました。早稲田に通用した部分もありますけど、まだまだです。小林をもっと楽にプレーさせてあげないと」
試合直後、鏑木は率先して、チームで使っていたベンチを運んだ。実は常時そこに設置してあり、運ぶ必要のなかったベンチだったのはご愛敬だ。OLとしての献身が、実生活にもしみついている証拠だろう。
アメフトで父に恩返しを
国学院栃木高といえばラグビーの強豪だ。いま身長182cm、体重112kgの大男だけに、てっきり高校時代はラグビーだと思って聞いた。するとハンドボール部のGKだった。しかも日体大でも1年の冬までハンド部にいた。寮生活になじめず、退部した。「自分の心の弱さです」。いまも反省している。
退部後、日体大の学食で高校時代にハンドボールで対戦したことのある友だちに会った。彼は大学ではアメフトに転向していて、誘われた。父の隆さんのことが、頭に浮かんだ。父は神奈川大時代にアメフトをしていた。OLと守備のLB(ラインバッカー)を兼任する選手だった。
ハンド部をやめると言ったとき、父は「しょうがないよ」と言ってくれた。でも大輔は言う。「本心では最後まで続けろ、と思ってたはずなんです。でも優しく言ってくれて。だから友だちに誘われたとき、アメフトで恩返ししようと思いました」
2年からアメフト部に入った。当時も95kgあったから、自然と父と同じOLになった。ここで大輔は衝撃の事実を知る。「ボールにさわれると思ってたのに、さわれないって聞いてビックリしました。アメフトのこと、何も知らなかったんで」。そりゃ驚く。
3年の春からスターターで試合に出るようになった。その秋に痛恨の思いが残る。リーグ戦が始まっていた。次の相手を想定した試合形式の練習だった。パスがコールされた。QBが投げられるように守るのがOLの役目だ。しかし大輔はディフェンスの当たりを受けて後退し、仰向けに倒された。倒れたとき、後ろにいた後輩のQBを巻き込んでしまった。後輩QBは大けがを負った。
「ずっとそれだけが頭にあるんです」。ほんとに悲しそうな顔になって、大輔は言った。あの日から、どんなときでも、何があっても、絶対に後ろに下がらないと心に誓ってきた。
初戦は惜しくも落とした。でも、大輔は何も諦めていない。「しっかりパスプロテクションして小林に投げさせて、そこからランを進めていきたいです。手がつけられないようなオフェンスチームをつくります」。しっかり言った。
私の取材が終わったあと、大輔は観戦に駆けつけた両親と対面した。OLが取材を受けることなど、ほとんどない。驚く両親に大輔がひとこと。「職質じゃないよ」。日体大には優しくてユーモアのあるOLがいる。