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連載:私の4years.

先輩も脱落、きつかった夏合宿 元早稲田大応援部・前澤智3

合宿地の全ての坂道を巡る「地獄巡り」の最後で、絶叫しながら駆け上がる前澤さん

全国には20万人の大学生アスリートがいます。彼ら、彼女らは周りで支えてくれる人と力を合わせ、思い思いの努力を重ねています。人知れずそんな4年間をすごした方々に、当時を振り返っていただく「私の4years.」。元早稲田大学応援部主務の前澤智さん(48)の青春、シリーズ3回目です。

鬼の10泊11日、初めての自信

きつかった練習の中で、25年以上たってもいまだに忘れられない光景がある。新人だった1990年の夏合宿初日。8月の猛暑の中、合宿地の福島県内で、坂道を上り下りして心身を鍛える陸上トレーニングが始まった直後だった。1学年上の先輩が、足がふらついた状態になり、坂道のがけ側の数m下に転げ落ちていった。 

合宿はリーダー、吹奏楽団、チアリーダーの3パートで構成される応援部全体でバス移動し、10泊11日にわたって寝食をともにする。練習は午前、午後、さらに夕食後の夜とみっちり。リーダーの日中の練習は、陸上トレーニングにあてられることが多かった。だから、合宿地は、宿舎の近くに坂道がたくさんあることを条件に選ばれていた。

2年生が転げ落ちた冒頭の場面。心配した4年生たちが先輩の名前を大声で呼び、助けに向かった。緊迫した空気が流れたが、先輩はけがもなく、ひとまず復帰。しかし、またすぐに脱落。顔色が悪く、精神的な重圧に押しつぶされていたようだ。それまでずっと新人を引っ張ってくれた先輩の脱落は、私の入部以来初めてのことだった。この時、なぜか私は元気が出てきた。その先輩のことは慕っていたし、「他人の不幸」を喜んでいたわけではない。いま振り返ってもうまく説明できないが、絶対的な存在の先輩が脱落するという、あり得ないことが起きたため、異常な気持ちの高ぶりがあったのだと思う。

合宿中の陸上トレーニングは、普段の階段ではなく、坂道でやるため、初体験の種目があった。お腹(なか)を上にして、両足を前、両手を後ろにした状態で、虫が前進するように坂道を上るものだった。私は陸上トレーニングが苦手だったが、なぜかこの種目だけはずば抜けて早く、初めて1、2年生でトップになった。先輩の脱落に加え、自分が練習をリードできたことで、俄然(がぜん)、自信が湧いた。

応援歌は終わらない

10泊と長く、きつい練習が続く中、唯一癒やされる時間が食事だった。練習は各パートで別々だが、食事は全パートの約百数十人が一緒だった。先輩や同級生の女性部員と会話できる時間だけが救いだった。合宿の中日(なかび)には、合同のレクリエーションもあり、部全体の一体感も高まった。

初日に脱落した先輩はその後復帰し、リーダーの1、2年生は全員そろって最終日を迎えられた。最終日午後の最後の練習だけは3パート合同となり、神宮球場での1回から9回までを想定した応援をした。最後の9回には、練習を管理するリーダーの4年生の指揮の下、代表的な応援歌「紺碧(こんぺき)の空」が繰り返された。

本来は1番、2番で終わる応援歌だが、この時だけは、3パートの、とくに新人たちの声、拍手、演奏、踊りが盛り上がり、一つになるまで終わらない。涙をこらえて楽器を吹く吹奏楽団の新人、踊っていたチアの新人らとともに、私は声をからしながら2番までを10回以上は歌ったただろうか。

新人時代の夏合宿の最後の練習で、校歌を大声で歌う前澤さん

全部員の前で指揮をとる4年生からついに終了のサインが出て、演奏が終わる。達成感や、先輩や同期との絆を感じ、私も涙が止まらなかった。夏合宿を乗り越えたことで、4年生の最後まで部を辞めないで続けるという気持ちが固まっていた。

私の4years.

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