早すぎたチアボーイ 元早稲田大応援部・前澤智5
全国には20万人の大学生アスリートがいます。彼ら、彼女らは周りで支えてくれる人と力を合わせ、思い思いの努力を重ねています。人知れずそんな4年間をすごした方々に、当時を振り返っていただく「私の4years.」。元早稲田大学応援部主務の前澤智さん(48)の青春、シリーズ5回目です。
白いポロシャツとえんじのジャージー
もっともつらかった新人の1年間が終わり、1991年の春、私はリーダーの同期4人とともに2年生になった。3、4年生の方針の下、新入部員の1年生を使いながら、広報やOBOGとの連絡などさまざまな部の業務をこなす。練習や応援では1年生を励ましながら、部全体を盛り上げる縁の下の力持ち的な役割を担った。つらかったことばかりが記憶に残る新人時代に比べ、気持ちに少しゆとりも出て、部を盛り上げていこうという意欲が出てきた時期だった。
そんな2年生のころの活動で、思い出深いのが、春のアメフト早慶戦の応援だった。当時、アメフトの早慶戦は東京ドームであった。その対校戦に向けた練習で、上級生から「チアボーイをやってもらうから」と言われた。「チアボーイ?」。最初は何のことだかさっぱりわからなかった。
いまでこそ、男性チアは一般的にも知られている。早大の男子チアリーディングチーム「ショッカーズ」はその代表的な存在だろう。ショッカーズをモデルにした小説『チア男子!!』(朝井リョウ著)は2010年に発表され、その後アニメにもなった。だが当時は、「チア男子」は応援部関係者の間でさえ、「きわもの」でしかなかった。
早慶アメフトでの早大チアボーイは、リーダー部員が白いポロシャツにスクールカラーのえんじ色のジャージーをはく。そして、女性のチアリーダーを主体とした応援の補助として加わった。
いきなり笑えと言われても……
もともと、早大応援部は校歌の歌詞にもある「進取の精神」を重んじ、応援において常に新しいものを採り入れる気風があった。野球応援で有名な「コンバット・マーチ」はその代表的な例で、1965年、早大応援部の吹奏楽団の現役4年生部員だった三木佑二郎さんが作曲し、秋の早慶戦で披露した楽曲だ。後に高校野球やプロ野球でも浸透し、楽器の演奏で声援を引き出す「応援曲」の元祖として、いまも野球応援には欠かせない。チアボーイもそんな進取の伝統を受け継ぎ、アメリカの応援を採り入れようとした当時の4年生らの考えが背景にあった。
先進的で意欲的な試みではあったが、元来私たちリーダー部員は、活動中に表情を崩して笑顔を見せる場面は極めて少なく、練習でも応援でも、厳しい表情が日常だった。そんな私たちが、女性のチアとともに不器用な笑顔を浮かべてジャンプをし、ときには女性のチアリーダー部員をかついだり持ち上げたりと、まったく慣れない動きをする羽目になった。だから、事前の練習はちぐはぐだった。明るい表情をするようにと指示を受けたが、練習の合間に笑顔を見せていると、「遊びじゃないぞ」と注意される場面もあった。
迎えた本番。東京ドームの人工芝に立った。早大の攻撃や守備に合わせて、吹奏楽団が演奏し、チアリーダーとともに、私たちチアボーイも笑顔で、なぜか普段よりやや高めの声で、声援を送った。応援中、観客からの視線が恥ずかしかった。
運悪く、同じ学部の同級生が私の普段とは異なるたたずまいに気付き、スタンド最前列まで下りてきて、「かっこいいぞ!」と冷やかしの声を送ってきた。恥ずかしさを感じながら、ぎこちない笑顔を見せた。でも気は抜けない。まばゆい東京ドームの照明の下、複雑な思いのまま終わった約2時間の応援だった。