下級生最後の日に落とし穴 元早稲田大応援部・前澤智6
全国には20万人の大学生アスリートがいます。彼ら、彼女らは周りで支えてくれる人と力を合わせ、思い思いの努力を重ねています。人知れずそんな4年間をすごした方々に、当時を振り返っていただく「私の4years.」。元早稲田大学応援部主務の前澤智さん(48)の青春、シリーズ6回目です。
上級生になれる喜びでニヤニヤ
リーダー部員の2年生として、秋の各種スポーツの応援を終えた1991年12月。部の世代交代が目前に迫っていた。故郷の名古屋から上京し、あこがれの応援部の門をたたいた90年の春から苦節1年半。下積みの下級生時代の終わりが見えた。12月で4年生が引退すると、2年生は3年生の役割を担うようになり、晴れて上級生となれる。
この頃は、上級生になった後の生活を思い浮かべるだけでニヤついてしまうような、期待感にあふれた時期だった。まもなく引退する4年生からは、「3年になれるぞ、うれしいだろう」とおちょくられ、「いえ、そんなことはありません」と本心を隠すのに苦労した。期待感は持ちつつも、下級生としての最後の務めをこなす日々。すると、最後の最後に落とし穴が待っていた。
もっとも厳しい4年生に呼び出され
4年生が引退する納会を翌日に控えた日の午後。まだ明るい時間帯だった。4年生のある先輩から、私たちリーダー部員の2年生5人が呼び出された。その先輩は当時の4年生の中でもっとも厳しい先輩で、このときはとくに怖い表情で私たちの前に立っていた。
先輩から私たち同期5人に、腕立て伏せの指示が出された。当時、応援活動で校旗を持参し忘れるといった重大なミスを犯すと、連帯責任としてリーダー部員の同期全員で、短時間の腕立て伏せをする「練習」があった(注: 現在は、このような懲罰的な練習は一切廃止されている)。このとき、私には先輩の怒りを買うようなミスに心当たりはなかったが、4年生の先輩の説明によると、私の同期が「やらかしてくれていた」のだった。
部員は応援活動で左腕に腕章をつける。4年生だけは氏名が入った個人用の腕章があり、2年生がその管理をしていた。応援活動が終われば、2年生が収納場所に大切にしまう。ところが私の同期は、この日からさかのぼること約1、2週間のある日、この4年生の腕章をポケットに入れたまま東京・高田馬場であった私的な宴会に参加。酔客の前で、この4年生の腕章を左腕に巻き、早大校歌の指揮をとってしまったというではないか。その事実を4年生が知り、激高したという状況だった。
正式な応援活動で使う腕章、しかも4年生のものを、ほろ酔い状態で無断利用。上級生への昇格を目前に控えた2年生による「気の緩んだ」行動で、先輩が怒るのも無理はない。私は観念した。腕立て伏せをしながら、その同期が私たちに「すまん」と謝る。私たちは、「勘弁してくれよ」と言うのが精いっぱい。
5人そろってエンドレス腕立て
この腕立て伏せは普段よりかなり長時間に及んだ。体力的にきつかったため、腕の曲げ方は甘かったが、明日の納会が終われば下級生時代が終わることを励みに、かけ声はしっかりかけ続けた。先輩がこのとき、私たちの前から姿を消してくれたのは、武士の情けだったのだろう。
どれだけ時間が経ったか、正確には覚えていない。ただ、先輩が再び戻ってきて終了の指示を出すころには日が暮れかけていた。真冬だったが、学生服姿の私たちは汗びっしょり。先輩からは、翌日から上級生として部を引っ張る私たちへの厳重注意と叱咤のメッセージが伝えられた。その言葉を聞いて、ようやくホッとできた。大学生活で最も長く感じた、下級生最後の1日だった。