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連載:私の4years.

決まった「よん、ろく、さん、ダーッ!!」 元早稲田大応援部・前澤智8

東京六大学野球の早慶戦で、マイクを通して早大の内野学生応援席をリードする前澤さん(右)

全国には20万人の大学生アスリートがいます。彼ら、彼女らは周りで支えてくれる人と力を合わせ、思い思いの努力を重ねています。人知れずそんな4年間をすごした方々に、当時を振り返っていただく「私の4years.」。元早稲田大学応援部主務の前澤智さん(48)の青春、シリーズ8回目です。

用意していた「隠し球」

サブマネ(副務)の任務を終え、リーダー部員3年生としての活動は後半に入った。この時期の私にとって最も大きな仕事は、東京六大学野球の秋の早慶戦で内野応援席の「マイク」を務めたことだった。

野球の早慶戦は来場する学生が多く、神宮球場が満員近くになることもあり、リーダーの進行役はマイクで語りかける。その声は応援席に設置されたスピーカーを通して学生に届く。部内ではこの進行役を「マイク」と呼んでいた。

マイク役はしゃべりっぱなしだ。試合前は学生に応援方法を説明したり、慶大側のスタンドに呼びかけたり。試合中は学生が声を出して応援しやすいよう、先回りして「大きな声で、はい、◎◎(選手名)」などと呼びかけ、メガホンを振ってもらうように指示もする。試合の状況に合わせ、ときにはギャグも交えて、学生を盛り上げなければならない。

この早慶戦に向けて、私はある「隠し球」を用意していた。アントニオ猪木さんの有名なパフォーマンスである「1、2、3、ダーッ」を活用させていただき、早大守備陣がダブルプレーを決めた直後に「6、4、3、ダーッ」と学生に叫んでもらう。部外の友人と深夜に酒を酌み交わしているときに出たアイデアだった。

猪木さんのこのパフォーマンスは1990年に初披露されたそうで、この早慶戦があった92年秋には世間に浸透していた。ただ、野球応援に組み込むのは難しかった。早大が負けている展開ではしらけてしまう恐れがある。また、三振ゲッツーや、ライナーで走者が飛び出してのダブルプレーだと、「6、4、3」のように、数字が三つ並べられない。満塁のケースで投手へのゴロから捕手、一塁へと渡れば、まさに「1、2、3」となって美しいが、そうは起こらない。早大がリードした状況で「6、4、3」や「4、6、3」といった、一般学生にもなじみのあるダブルプレーが必要だった。

ダブルプレー、きたーーー

10月31日の第1戦は点の取り合いに。両校ともダブルプレーはないまま、早大がサヨナラ負けを喫した。翌日の第2戦。早大が負ければ早慶戦は終わる。この日の神宮球場の観衆約4万人の中で、試合前から早大のダブルプレー完成を切に願っていたのは、私だけだっただろう。その瞬間は終盤に訪れた。

ぎっしりと埋まった一塁側の早大応戦席。前澤さんは最前列から学生をリードした

資料と記憶を頼りに振り返ってみる。早大4-1のリードで迎えた7回だった。無死一塁で、慶大の代打がゴロを打った。早大のセカンド、鈴木浩文主将(後にヤクルト・スワローズ)が素早くさばいて、二塁ベースに入ったショートへ送球。ショートは私と同じ3年の仁志敏久(後に日本生命を経て読売ジャイアンツ)だ。仁志からファーストへボールが渡り、ダブルプレーが成立した。

盛り上がる早大サイド。一塁側内野応援席には早大生が数千人はいただろう。マイクを持つ手がかすかに震えるのを感じながら、私は呼びかけた。「さあ、ダブルプレーが決まりました。『4、6、3、ダーッ!』と大きな声で!!」。すると学生たちが「よん、ろく、さん、ダーッ!」と叫んだ。とくに男子学生の拳を振り上げた姿が、いまも脳裏に焼き付いている。「決まった」。私は心の中で大きな大きなガッツポーズをしていた。

試合はそのまま早大が逃げ切り、1勝1敗とした。試合後、例のダブルプレーの場面を「面白かったな」と声をかけてくれた人がいた。応援部生活の中であとにも先にも、あれほど「仕込み」がはまったことはない。3年生最後の大きな仕事は、アントニオ猪木さんと試合展開にも助けられ、成功に終わった。

私の4years.

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