ラグビー

最後の記者会見に見た主将の優しさ 慶應・古田

後半、慶應は古田のトライで逆転 (撮影・谷本結利)

大学選手権準々決勝

12月22日@東京・秩父宮

早稲田大(関東対抗戦1位=2位扱い)20-19 慶應義塾大(対抗戦3位)

残り30秒、白星がその手からするりと落ちた。歓喜から一転、待っていたのは悲劇だった。

11シーズンぶりに大学選手権で「早慶」の伝統校同士がぶつかった。11月23日の「早慶戦」は早稲田が21-14で勝っている。
「自分たちの中では(優勝までの)ストーリーは持ってますので、準決勝、決勝と一つずつ戦っていきたい」。そう意気込んでいたのが、1899年創部の日本ラグビーのルーツ校で、史上初の医学部生キャプテンとなったSO(スタンドオフ)古田京(きょう、慶應、4年)だ。

4年目で初の早大戦勝利が・・・・・・

古田が入学してから、慶應は対抗戦で早稲田に一度も勝っていない。金沢篤ヘッドコーチは「早稲田戦だからといってプレシャーを与えたくない」と、試合の週の練習は報道陣をシャットアウト。黒黄ジャージーは4年分の思いをぶつけてリベンジすべく、赤黒ジャージーに挑んだ。

試合序盤から動きがよかったのは慶應だった。古田がキックでゲームメイクし、ほかの選手もキックチェイスとディフェンスでプレッシャーをかけ続ける。先発15人中4年生が9人。来年から医学部の勉強に専念する古田を含め、多くの選手がこの選手権を最後にラグビーをやめる。「早稲田に負けたまま終われない」という気持ちが前面に出て、メンタル面で慶應が上回っているように感じた。前半は7-12の5点ビハインドで折り返した。

後半は「(早稲田の)外側のスペースを狙った」(古田)という慶應のアタックが冴えた。15分、古田の高校からのチームメイトで副将のLO(ロック)辻雄康、WTB(ウィング)宮本瑛介、FB(フルバック)丹治辰碩、No.8(ナンバーエイト)山中侃らが躍動して、トライ。25分にはこの試合優勢だったスクラムを押し込み、古田が自ら中央左へ飛び込んで、ついに19-15と逆転した。

試合残り1分半、早稲田はマイボールラインアウトでミスを犯す。残り30秒、慶應ボールのスクラムとなった。ボールを出してFWで時間を使ってタッチに蹴り出せば、慶應の勝利となるはずだった……。「しっかりFWを使って、と、そのへんは完璧に準備していました」と古田が言うとおり、時間を使うための戦い方もしっかり用意していた。だが、組み直しの後のスクラムで慶應のPRが膝をついてしまう痛恨の反則。

試合後、最後のスクラムについて聞かれると、古田は内心は違うことを考えていたはずだが、「明確にスクラムに自信を持ってました。(試合を通して)慶應のスクラムの方が押してました。判定について僕はわかりません」と言うにとどまった。

80分のホーンが鳴ったが、早稲田にワンチャンスが残された。早稲田はFWとBKが一体となって攻め続ける。慶應は24次攻撃目でトライを許す。19-20。痛すぎる逆転負けだった。ただ、古田は23次まで耐えた仲間を称え「あれが僕たちの4年間やってきたディフェンスです。プレッシャーをかけて前を見て、いいタックルをする。それができてました」と誇らしげに語った。

慶應フィフティーンはうつぶせのまま起き上がれない選手もいれば、結果を受け入れられないと呆然とする選手もいた。あれほどほしかった早稲田戦の勝利をほぼ手中にしていたが、手には入らなかった。「医者の勉強に専念するため、トップレベルではラグビーは続けない」と決めていた古田も涙を流した。

ノーサイド後、古田(右)は涙をこらえられなかった (撮影・谷本結利)

昨年度の慶応は強豪相手に善戦はしたが、なかなか勝てなかった。そのため古田が主将に就任した後は、接戦に勝てるチームを目指して「毎日一生懸命やる」「どんな試合でも勝ちにこだわる」「細部にこだわる」という三つのテーマを掲げてやり通した。今年度は早稲田と帝京に接戦負けしたが、明治には勝った。古田は「(強豪相手に)通用する、接戦になる、勝てる力は五分以上にある」と、対抗戦の途中から自信を深めていた。

金沢ヘッドコーチは、優勝するためには「リーダー陣が成熟するかどうか」と、古田、辻らのリーダーシップに強く期待していた。「最初はまとまりがなかったですが、4年生がこの2、3カ月で選手としても人としても大きく成長しました」。ヘッドコーチがそう感じていたように、古田主将を中心にした一体感が増し、チーム力も上がっていた。

「後悔はない」

心身ともに充実した中で迎えた早慶戦だったが、勝てなかった。古田は「(早稲田との)差はなかった。準備も万全にしましたし、相手をリスペクトしましたし、パフォーマンスも満足するものだったので、後悔はまったくありません」と話した。

古田、辻らのリーダー陣は「結果がすべて。勝たないと意味がない」と同期や後輩に語ったという。古田は「結果を求めて、自分も含めて4年間やってきて、チームの中にはいろいろ地道に裏の仕事をやってくれる人がいて、そういう人が報われるのは結果だけなので、その結果を出せなかったことが悔しい」と言った。

内容で勝って試合に負けた。早稲田には4年間で0勝5敗。「最後はこういう運だったのかな。正直、負けたから後輩に何かを伝えようとかいう気持ちに、いまはなれません。負けた悔しさをどう消化しようかなという感じです。今後に関してはノープランです」と苦しい胸の内を語った。

「本当に充実したラグビーのシーズンを送れました。1年ではジュニア選手権に出させてもらい、2年から対抗戦に出ることができました。でも強豪校に対しての勝ちは少なかったので、悔しいです」。古田はこう言って試合後の記者会見を締めた。

5歳から競技を始め、医学部と体育会という最強の「文武両道」を貫いたラグビーキャリアは終わった。まだきっと、負けた悔しさから立ち直れてはいないだろう。もう彼のプレーが見られなくなるのは少々残念だが、「どこかでラグビーに携わりたい」という古田の言葉を信じ、違った形でグラウンドで会えるのを楽しみに待ちたい。

これでラグビーの第一線から退く古田 (撮影・谷本結利)

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