バスケで挫折せずして先生になるべからず 青学大理工学部・佐野龍之介(上)
連載「いけ!! 理系アスリート」の第17弾は、青山学院大学理工学部で学びながら少数精鋭の男子バスケットボール部で奮闘する佐野龍之介(2年、厚木東)です。数学の教員になることを夢見て大学進学した佐野は「理系学部との両立は難しい」と言われた環境で、どうやって文武両道に向き合っているのでしょうか。2回連載の前編は高校の先生の教えや、青学で知ったバスケについてです。
「理系学部と体育会の両立は無理」面接官に言われた
時は2017年の冬。チーム最長身でも187cm、推薦入試は一切なく、四つの部が同時に活動する狭い体育館を“ホーム”とする公立校が、高校バスケの最高峰「ウインターカップ」に初出場。目標の全国ベスト8を達成した。神奈川県立厚木東高の主将だった佐野は、抜群のリーダーシップでドラマのようなストーリーを実現し、最高の形で高校バスケを引退した。
高校最後の試合後、佐野は清々しい表情でインタビューに応じた。「身長の低いチームが大きいチームに勝つとか、公立が強豪の私立に勝つとか、そういうことを全国大会でアピールできて楽しかったです。満足のいく終わり方ができたんじゃないかと思います」。指定校推薦で青学理工学部に進むことが決まっていた。バスケを続ける気持ちは、あまりなかった。
インタビューの答えはこう続く。「中学生のころから、夢は数学の教員になることでした。青学の監督さんから声をかけていただいてたし、続けたい気持ちもあったんですけど、勉強はおろそかにできません。入試の面接官にも『理工学部と体育会の両立は無理だよ』と言われました。これから整理して最終的な決断をしようと思ってますけど、続けなかったとしても何かしらの形でバスケには関わりたいです」
よどみなく話す様子に「彼はもうバスケとは別の道を歩むつもりでいる」と、強く感じた。思わず「あなたのキャプテンシーは大学のトップチームでも必ず必要とされるはずです。できれば続けてほしい」と身勝手なことを口走ったら、佐野は「ありがとうございます」と笑っただけだった記憶がある。
ところが数カ月後、関東大学選手権のパンフレットを見て、驚いた。青学の一員として佐野の名前があったのだ。なぜ彼は、難しいとされる両立を選んだのだろう。その答えを聞くチャンスは、今年6月の新人戦最終日に訪れた。あのとき高3だった佐野は大学2年生になり、新人戦チームの主将を務めていた。
「それはやりきった症候群か?」
「ウインターカップの後、正式に入部を断るつもりだったんです」。佐野は2年前の冬を振り返った。決断を変えさせたのは、一本の電話だったという。高校のバスケ部監督に青学ではバスケをやらないと伝えると「お前、それはやりきった症候群か?」と言われた。佐野は「この人は何を言ってるんだ? 」と大いに混乱したが、続いた言葉にハッとした。
「ずっと目標にしていた全国べスト8を達成して、もうやりきったと思いこんでるだけだ。お前は挫折を知らなすぎるし、人間に深みがない。そんな先生の話が生徒に響くと思うか? とにかく大学でも部に入って、どれだけキツくても続けろ。マネージャーでもなんでもいいからしがみつけ。自分がトップに立つバスケじゃなく、下の立場にいるバスケを学んでこい。そういう立場がどれだけつらいかを知ることが、教員になった後に生きるから」
佐野の夢は数学の教員になることと、生徒たちにバスケを教えること。小学生のころから神奈川のトップ選手として活躍してきた自分は、確かに試合に出られない人や目標を達成できなかった人の気持ちを知らない。そう思い直し、あえていばらの道を選ぶことにした。
バスケをやりきるため、4年+2年の道を選ぶ
大学入学前の春休み、佐野は早速、強烈なカウンターパンチを二つ食らった。まず学業について。教職課程をとる予定だとチームのスタッフに伝えると、「それは無理だよ」とあきれられた。その後、入学式で配られたシラバスを見てみると、理系の教職課程に関する講義は、練習時間とほぼ重複していることが分かった。
もし教職をとった場合、バスケ部の練習に参加できるのはたったの週1日。「これではバスケも勉強も中途半端になる」。佐野は大いに悩んだ末、バスケを優先することにした。大学では教職をとらず、卒業後に通信教育などを活用して取得する予定にした。この方法で教職課程を修了するには、最短で2年かかる。大学1年生の4月の時点で、大学院に進む訳でもないのに、社会人になるまで最低6年かかると確定するという、とんでもないキャンパスライフの始まりだった。
青学で知ったバスケ観の浅さ
バスケでも、少数精鋭ながら全国屈指の好選手が集まるチームで、想像以上に実力の差があること痛感させられた。インサイドでもアウトサイドでも臨機応変にプレーできるのが自分の持ち味だと思っていたが、インサイドでは自分より小さな相手に押し負け、アウトサイドでは自分より大きな相手をドリブルで抜けなかった。
何より痛感したのがバスケ観の浅さ。「厚木東はオフェンスもディフェンスも、やることってほとんど同じなんですよ。でも青学ではそれぞれ種類がすごく多いのに、強豪校からやってきた同期たちは当たり前にできるんです。存在感も出せないし、練習の中ですら練習させてもらえない。高校の監督から言われた通り、挫折を味わわせていただきました」。苦笑いでそう言った
試験期間が文系学部とは異なるため、部の試験休みも活用できない。講義の兼ね合いで練習を早退・遅刻する日が、週に1~2日ある。理系学部ならではのハンディは間違いなく存在するが、それでも佐野はさまざまな工夫を凝らして「勉学と部活の両立」を目指している。
「どちらもしっかりやりきりたいですね。小さいころからそうやって育ってきたんで」。あまり自己主張をしない彼がきっぱり言い放ったその言葉に、強い矜恃(きょうじ)を見た。