大学陸上・駅伝

連載:私の4years.

戦う場所を見失い、崩壊した陸上人生  元 岡山大学・小林祐梨子5完

2009年の世界陸上のレース後に姉と(写真はすべて本人提供)

連載「私の4years.」は陸上女子1500mの日本記録保持者である小林祐梨子さん(30)です。2006年の兵庫・須磨学園高校3年生のときに日本記録を出し、07年4月に豊田自動織機へ入社。同時に社内留学制度で岡山大学理学部へ進みました。最終回は目標を失った2009年世界陸上での出来事、引退後も続いた葛藤、そして今後について小林さんが綴(つづ)りました。

「アフリカの選手には勝てない」

北京オリンピックの女子5000mに出た私は、惜しくも0秒75差で予選敗退となりました。その日から私は「世界と戦うんだ」という熱意で満ちあふれていました。
その情熱を、早くも翌年に失うことになるのです。

北京オリンピックの翌年にあった世界陸上ベルリン大会。世界大会で決勝へ進むことが使命であるかのように、自分にプレッシャーをかけて挑みました。オリンピックと同じ15人が決勝に進出できます。私は予選2組の8着でゴール。なんとか14番目で決勝へ駒を進めたのです。心が高鳴り、喜びの声をあげたゴール後、そこには去年の自分を超えたうれしさと、決勝で何かやってやるぞという意志がありました。短時間のインターバルで5000mを2本走った経験はなくても、どこまで戦えるかという希望であふれてました。
「世界と戦うんだ」。その言葉を走りで示すために。

そして迎えた決勝。とにかく自分の気持ちが入ったレースができるように努めました。結果は11位。その瞬間、8位で入賞した選手とのタイム差が1秒だったことに驚きを隠せませんでした。オリンピックでは決勝へ行けず、そして今度は入賞できずに嘆く自分。ゴール後すぐ、ドーピング検査の対象になりました。この種目でもう一人ドーピング検査に当たっている選手がいました。それは8位の選手でした。

彼女が6年後、1500mで世界新記録を叩き出すことになるゲンゼベ・ディババ選手だなんて知る由もありません。笑顔で会話しお互いをたたえ合い、話をする中で感じる彼女との大きな差。1秒という距離にして5mほどの差は、決して簡単に埋まるものではないと感じさせられました。さらにこのとき、入賞した8人中7人がアフリカ勢という結果と向き合ったとき、頭が真っ白になり、我を失いました。そして陸上に対する強い欲望が一瞬にして消えたのです。「アフリカ勢に勝てるはずがない」と。世界11位、これが私の世界大会での最高順位となりました。

「世界の何を背負ってんの?」「そんな大それたことをアンタはしたの?」「できる気持ちでやってみな分からんやろ?」と、当時の自分に言えるのなら言ってあげたいです。目標が描けなくなった瞬間、私の陸上人生は一気に崩壊の道をたどります。どこに向かっていいか分からない焦りから空回りし、成長どころか現状維持さえも難しくなりました。目標を見失うと、毎日がただただ精いっぱい。陸上一本になろうとすればするほど、余裕がなくなるのです。2014年の引退レースまでは、確かにけがとの闘いもありました。でも、それは表向きの引退理由であり、本当のところは、戦う場所を見失ってしまったからです。

引退後は子どもたちの前で話すことも増えました

まだ走ることで頑張れるんじゃないか、という葛藤

そのあと、結婚と出産を経験しました。陸上以外での喜びや楽しさを、日々感じさせてもらっています。また、陸上に関係する活動や、少年院での計算の指導などを通して、子どもたちに目標の大切さを話す機会が増えました。そんなとき、自問自答をすることもしばしばです。「本気でチャレンジしてる? 世界で戦えなくてもいい、どんなレベルでもいいから自分の心から思う走ることで目標に向かって頑張ってみてもええんちゃう?」と、葛藤を繰り返してきました。

「自分の好きなこと、何でもしいや。全力で応援するから」

急にそんなことを言い出す夫に「何言うとん。好きなことしまくってるわ」と返しつつ、動揺を隠せませんでした。いま、いろんな思いを抱えながら座骨神経痛と向き合っています。

子どもたちから元気をもらってます!

会社員であり大学生だった4years.で、私はたくさんの仲間に恵まれ、それが大きな財産になってます。そしてこの4年間は悔しい経験もたくさんしましたが、一瞬でも味わえた達成感や快感が大きなパワーになりました。その後、立ち止まってしまったこともありますが、いつも仲間が、ライバルが、家族が声をかけてくれました。競技以外にも目を向けて自分の世界を広げることが、最終的に競技力向上にもつながることも実感しました。

自分らしく生きていきたい

走る、という大好きなことをとことんやらせてもらえました。それが決して当たり前のことじゃないんだと感じています。引退した直後はプライドもあり、強がってました。でも子どもも産まれて自分をいろんな角度から見られるようになり、素直に過去の自分を振り返れるようになりました。ここからは「ありがとう」の言葉を強く胸に刻んで、自分らしく生きていきたいです。

「八年後、二十歳でオリンピックの舞台に立ちたい」
小学校の卒業アルバムに真っ白な心でそう書いた、あのころのように。

ABC(朝日放送)ラジオのお仕事もさせてもらってます。息子に見守られてますね

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