大学陸上・駅伝

連載:私の4years.

箱根駅伝初優勝、ただ喜びだけが湧き上がってきた 元青山学院大陸上部・高橋宗司4

7区の小椋裕介(現・ヤクルト)から襷を受け取る筆者(右)(写真はすべて本人提供)

連載「私の4years.」の9シリーズ目は、青山学院大陸上部で箱根駅伝初優勝のときのメンバーだった高橋宗司(そうし)さん(26)です。5回の連載の4回目は「箱根駅伝で優勝できる」と思ったときのこと、そして必死で駆け抜けた学生最後の1年についてです。

いつしか「喜びたい=優勝したい」になってた 元青山学院大陸上部・高橋宗司3

最終学年の目標を「大学駅伝三冠」に

「初めて箱根で駅伝優勝できると思ったのはいつ?」と聞かれたら、大学3年生の1月と答えます。この年の箱根駅伝を過去最高に並ぶ総合5位で終えましたが、優勝した東洋大との差は17分58秒。この数字を追うのは無理に近いですが、チーム内のいろんな可能性をいい方向に生かせれば、不可能ではない気がしていました。「エース級がけがをしなければ」「4年生全員が最高のリーダーシップを発揮できれば」「僕が覚醒すれば」……。加えて、一つ下の代は神野大地(現・セルソース)をはじめとした実力者がそろった「最強世代」でした。ただ、来年じゃなくて僕らの代で優勝したい。後輩たちに本気になってもらうためには、僕たちの本気を感じてもらうしかありません。

寮の玄関にて。何ポーズだったっけ?

箱根駅伝後に同期のメンバーでのミーティングをして、目標は「大学駅伝三冠」に決定。むしろ僕が「目標高すぎない?」と口を挟むほどで、みんな、僕以上に本気でした。僕らの代は走力的には谷間の世代で、ほかの大学のエース級と互角に戦えるのはキャプテンの藤川拓也(現・中国電力)だけ。お世辞にも実力のある学年とは言えません。練習以外の部分でも存在感を示さないとチームを引っ張れないことはみな、自覚していました。そしてこの年のテーマは「最強へ向けての徹底」。まさに文字通り、最強=三冠、細かい部分まで徹底して、勝ちに貪欲になる。僕らの世代らしく泥臭さを忘れないという意味も込めて考え出しました。このスローガンは、僕が同期にプレゼンして決まったのです!

群れない同期たち、箱根Vの目標でつながった

僕の同期は、真面目かつ他人に干渉しない人たちばかりで、どちらかというと「団結」とは無縁の人たちでした。全員で集まるのは、練習とミーティング以外では卒業したいまも1度もありません。最終学年になっても群れない関係性は変わりませんでしたが、徐々にミーティングで自分の思いを口に出すようになり、暇さえあればみんなと「もっとチームをこうしたい!」と、陸上の話ばかりしていました。

箱根旅行で。この距離感がうちの同期らしいって感じではあります

普段は話さない四人で、優勝するイメージを高めるため休みの日に箱根に行ったり、もともと仲のよかった三人で飲みにいって僕が愚痴をこぼしたら「そういう話は聞きたくなかった」と一蹴されたり。気付いたら、やっと同期らしい関係になっていました。あと数カ月で別れるのが寂しくて、ベッドの中で泣いたこともあります(笑)。

目指すものはひとつ。どんどん結束が固くなっていったのを覚えています

テレビの画面からは伝わりませんが、僕らの結束が固かったからこそ、例年以上にチームが一つにまとまっていたと確信しています。

「いけるぞ」チームの盛り上がりを感じて

そんな見えない相乗効果もあり、僕自身も最終学年の秋にベストを更新。5000mで14分10秒、10000mで29分15秒のタイムを出します。それでもチーム内でのランキングは16番目。台風で中止になってしまった出雲駅伝、3位になった全日本大学駅伝では補欠にすら入れないほど、チームが高いレベルに成長していました。

全日本大学駅伝は目標に届きませんでしたが、優勝できなかった悲壮感は一切ありませんでした。最後まで2位と競った結果の3位で、1位の駒澤大とも絶望的な差ではなかったからです。優勝するレベルに手が届きそうなことは誰しもが感じていて、ここから一気に箱根駅伝当日までチームのムードが盛り上がっていった記憶があります。

厳しい夏合宿も、全員で乗り越えました

そんな中で箱根の10人のメンバーに入るギリギリのラインの選考は徐々に激しくなっていき、もちろん僕もその中の一人でした。結局、僕は箱根メンバー最後の10人目にギリギリしがみつく4年間でした……。チームの急成長に置いていかれないように毎年ギリギリのラインの努力しかしてこなかったのか、実力以上の運があって選考の基準までこられたのか、それは分かりません。

腹をくくって、誰よりも「負けず嫌い」に

4年間けがが1度もない頑丈な体のおかげで、練習の積み重ねはどの大学の誰よりもした自信があります。ただ、人より意識的に努力したかと問われたら、「はい」とは言えませんでした。言われたメニューをこなしているだけで、けがをした人のほうが僕よりよっぽど追いつくための努力をしている。だから僕は努力していると思ったことはないのですが、けがで補欠に入れなかった同期を見て、努力をしていると思わないのは「逃げ」だと気付きました。

インカレにて。ずっと負けるのが怖いから、「努力」していると思わないようにしていました

僕は大学4年間で競技をやめると決めていました。同じように引退する同期は補欠にすら入れず、努力する目標なんてないのに、箱根駅伝メンバー以外のグループで常に先頭で引っ張ってくれています。僕は努力する目的が残っているのに、他人に自分の努力を誇れないことが恥ずかしくなりました。「負けるのが怖い」なんて言っている場合ではなく、誰よりも強化期間に負けず嫌いになろうと腹をくくりました。

ぶっちぎりの往路優勝に、頭が追いつかず

メンバー発表で、原晋監督は8区に僕の名前を呼んでくれました。なぜメンバーに入れたかは、正直、いまでもわかりません(笑)。陸上人生最後の日に走れることを幸せに思う反面、少し寂しかったです。

往路は4区まで2位につける完璧なレース展開。復路組の僕は練習後に、9区の藤川と「明日俺らで逆転したらヒーローだな」なんて言いながら、1位の駒澤大を抜く準備をしていました。しかし、テレビをつけたら5区の神野が2位に5分以上の差をつけて、ぶっちぎりでゴールテープを切っていました。

5分以上の差を逆転されるような復路のメンバーではないので、優勝はほぼ確実なものになりました。もちろんここまで圧勝する予定はなく、想定外すぎる出来事に僕の思考回路は時間の流れに全然追いつきませんでした。興奮が止まらなくて、なんで興奮しているか考えたときにその事実を受け止められなくてまた興奮して、の繰り返し。まったく寝られず、同期LINEに「あした頑張るわ」と送ったら、川崎(友輝、現・滋賀ユナイテッド)から「もう頑張らなくてよくね?笑」と返信がきたので、気が抜けて頑張るのはやめました(笑)。

仲間と肩を組み、空を見上げてうるっときた

競技人生最後の日に、99%優勝できる確信を持ったまま箱根駅伝を走れる人って何人いるのだろう、なんて考えてました。区間賞を取ろうなんて思いは一切頭になくて、「この瞬間は一生味わえないから、絶対そのときの気持ちを忘れないように走ろう」。心の中はそれだけでした。

ただただ幸せな8区、21.4kmでした

走っている時間は「幸せ」「楽しい」以外の感情はなく、ゴールを待つみんなに早く会いたくて、会った瞬間に感情が爆発しました。高校生のころ、ゴール前で優勝校が肩を組んで校歌を歌うシーンにあこがれてました。どんなに頑張っても自分じゃ無理。そう思っていたことがこの瞬間やってきて、肩を組んで、空を見上げた瞬間、少しだけうるっときました。これが見たかった景色なんだと思ったとき、感動ではなく喜びだけが湧いてきました。総合10時間49分27秒は大会新記録。往路も新記録、復路も新記録、おまけに僕は8区の区間賞。

僕たちがつくりたかった理想のチームは、とんでもないレベルまで成長していました。

この記事をシェア

in Additionあわせて読みたい

Seriesこの連載をもっと読む

この連載の記事一覧へ

私の4years.

Their Stories大学別・競技別に読む