大学陸上・駅伝

連載:いけ!! 理系アスリート

特集:第96回箱根駅伝

大歓声を力に変え、夢の箱根路を駆け抜けた 筑波大理工学群・猿橋拓己(下)

初めての箱根路。猿橋(左)は序盤からつっこみ、笑顔で大土手に襷をつないだ(撮影・松永早弥香)

連載「いけ!! 理系アスリート」の第23弾は、筑波大学理工学群社会工学類3年生で陸上に取り組んでいる猿橋拓己(桐光学園)です。筑波大としては26年ぶりとなった箱根駅伝で、猿橋は3区を走りました。2回連載の後編は、箱根駅伝への挑戦についてです。

箱根駅伝にあこがれ、都市計画に夢膨らませた 筑波大理工学群・猿橋拓己(上)

授業に追われて練習をこなすだけ、ギャップに悩んだ

猿橋はこれまでの大学3年間を振り返り、スケジュール的に過密だったのは1年生のときだという。週5日の内、4日は朝8時40分から夜6時まで授業があった。チーム練習に間に合わないため、一人で、ときには同じように6限まで授業がある選手と一緒に練習をしていた。猿橋は言う。「処理能力も高くないのに、授業に出て疲れたまま競技場に行って、メニューをただこなすだけの生活でした。そういうのがよくなかったのかな」。1年生のときは箱根駅伝予選会のメンバーにも入れなかった。

2年生になってからは6限まで授業がある日は半分に減ったが、それでもチームが強度を高めて臨むポイント練習に参加できない状況が続いた。「高校時代なんか、自分が筑波に入って自分が強くなればチームも強くなるだろう、っていう簡単な夢しか持ってませんでした。でも大学に入って大学長距離界のレベルの高さを知って、本当に自分じゃダメなんだなって思い知らされました」。2度目の箱根駅伝予選会には出走したものの、チームは17位。その中で、同期の相馬崇史(佐久長聖)は2年連続で関東学連のチームに選ばれた。

猿橋(右手前)にとって同期の相馬(左)は、箱根駅伝を目指す指標になっていた(撮影・松永早弥香)

1年生のときから、猿橋にとって相馬の存在は大きかったという。強豪の佐久長聖で主将をしていた相馬とは、確かにバックグラウンドは違う。それでも「自分もそのレベルに達すれば、箱根駅伝が見えてくるんじゃないか」と感じていた。その相馬が2年生のときに箱根路を走った姿は刺激になり、相馬自身も自分の体験を積極的にチームに還元してくれた。「あまりの歓声で、自分の足音も息切れも聞こえないんだよ」。相馬の話に「そんなわけないよ!」と思いながら、あこがれの舞台への思いは強くなった。

昨年の箱根駅伝が終わった直後、猿橋はシンスプリントを発症。高校時代に3000m障害でのけがで入院したことを除けば、これまでけがを理由に長期間走れなくなることはなかった。リハビリ期間、これまで思い描いていた箱根駅伝に出る自分と、いまけがをして結果が出ていない自分を比べてしまい愕然(がくぜん)としたが、「もう2年しかない」と思ってからは決心がついた。

昨年2月末には練習を再開できるようになり、少しずつ記録も伸びてきた。夏前、チームは本気で箱根駅伝を目指す“改革”に着手。4回あった夏合宿の内、猿橋は最初の2回には実習で参加できず、合宿にいけなかったメンバーとの校内練習に切り替えた。

都市計画に触れる日々、実習も楽しくて

3年生になり、学びの場は実習が中心になった。実習はグループワークで取り組んでいる。周りには猿橋のように体育会でも頑張っている学生はほぼいないが、だからこそ、猿橋のことをみんなが応援してくれている。「実習は深夜になってしまうこともあるんですけど、僕は朝練があるから『ごめん!』って言って抜けることもあります。でもみんな協力してくれて、感謝しかないです」

3年生になったいま、授業は週1日だけだが、毎日大学に来ては仲間と実習に取り組んでいる(撮影・松永早弥香)

猿橋自身、実習はやりがいを感じている学びの一つだ。例えば設計だと、コンセプトやデザインを考えて模型を作るなど、一人で完結してしまう。しかし実習ではみんなで取り組み、意見交換をしながら検証を重ねていく。例えばマスタープラン実習では、隣の土浦市のマスタープランを見させてもらい、土浦市の現状との差を考え、よりよくするにはどうしたらいいのかをグループみんなで考える。「発表では先生から厳しい言葉を投げかけられることもあったけど、だったらどうしたらいいのかをまた考えられるし、やりがいを感じてます」

もちろん思うように練習ができないことは多い。同じ陸上部の理系アスリートには、医学群医学類5年生の川瀬宙夢(ひろむ、刈谷)もいる。互いに連絡を取り合い、時間を合わせて一緒に練習をする日もある。「自分よりも過密スケジュールで頑張ってる人がいるのに、言い訳するのは違うなって思うんです。都市計画を勉強したい。それを決断した以上、競技も勉強も適当になんてできない。自分で選んだ道なんだからやらざるを得ないって受け入れてます」。川瀬には、競技の面でも勉強の面でも大いに刺激を受けている。

昨年の箱根駅伝予選会、猿橋(中央)は筑波大のトップグループを駆けた(撮影・小野口健太)

箱根駅伝予選会前、いい流れで走れていることをチームの全員が感じていた。猿橋もチームを牽引するメンバーに成長した。「いまでこそ勝負メンバーになってるけど、先輩や同期は1~2年生のときのダメダメだった自分を知ってるから『ほんと猿橋って変わったよね』って言うし、後輩に自分の昔の話をしても『全然想像できないです』って言われます」。猿橋は笑いながらそう口にした。

大歓声に押され、弘山監督の叫びに押され

筑波大は箱根駅伝予選会を6位で通過し、26年ぶりに箱根駅伝出場を決めた。本戦まであと約2カ月。予選会通過を目標に突き進んできたチームは、急ピッチで本戦に向けた調整に入った。昨年11月23日にあった10000m記録挑戦会に筑波大は練習の一環として取り組み、19人が出走。その内、猿橋も含む13人が自己ベストをマークした。

本戦2~3週間前、猿橋は3区に決まった。弘山勉監督からは「2区か9区を走らせたい」と言われていたが、猿橋自身は当初から3区を希望していたという。「駅伝である以上、離されてしまったら勝負ができない。だから1~3区では少しでも他チームと勝負できる位置で走り、4区で巻き返し、5区の相馬で勝負だと思ってました」

迎えた本戦。1区の西研人(3年、山城)は11位で襷(たすき)を金丸逸樹(4年、諫早)につなぎ、その金丸から猿橋には15位で襷リレー。二人とも想定よりも速いタイムだった。

金丸(左)に背中を押され、猿橋は笑顔で駆け出した(撮影・藤井みさ)

金丸に背中を押され、猿橋は駆け出した。3区の距離は21.4km。スタートしてほどなく、順天堂大と中央大に抜かれてしまったが、猿橋自身、最初の5kmは5000mの自己記録よりも速かった。「もうきつい!」と思いながらも、沿道の大歓声が力になった。相馬に教えてもらった大歓声が、確かにここにはあった。

18.1km地点の湘南大橋には桐光学園高校時代の先輩と同期たちが集団で待ち構え、1月の寒空の下、桐光学園のユニフォーム姿で叫んでいた。「ここで待ってるから」ということは猿橋も事前に聞いていたが、まさかその姿とは思ってもいなかったので驚いた。

最後にはしっかりと弘山監督の声も届いた。「ラスト1kmだから気合入れていけ!」。普段は冷静な弘山監督の叫び声に、「自分、怒られているのかな」と思いつつも、ギアを入れた。「もう一段階!!」の声に「きっつー!!」と思いながら踏ん張った。1秒でも早く襷を渡したい。その一心で、猿橋は持てる力すべてを振り絞った。大きく手を振って待ち構えていた大土手嵩(しゅう、3年、小林)に、笑顔で襷をつないだ。

初めての箱根駅伝は区間16位。「90%の力は発揮できたと思う。それでも区間16位で、順天堂や中央に抜かれて置いて行かれてしまった。(5区の)相馬にもっと楽させてあげたかったです。でもそれがいまの自分の力。他大学さんとの違いです」。悔しさをかみしめながら、猿橋はそう口にした。26年ぶりに挑んだ箱根路、筑波大は20位でゴールした。

日比谷のようにポテンシャルを秘めたチーム

いままさに、筑波大は次の箱根駅伝に向けて動いている。11~20位だったチームだと、目標に「シード権獲得」を掲げるところが多いだろう。筑波大にもその思いはある。しかし「本当にそれでみんないいのか。それで全員が本当に全力で走っていけるのか」というところから議論をしている。「1年生も学年関係なく意見してくれます。みんなすごい熱量だから否定できなくて、そうだよなって納得してしまう。選手兼駅伝主務の上迫(彬岳・あきたけ、3年、鹿児島県立鶴丸)なんかはいい意味で頭を抱えてます(笑)」と猿橋。猿橋自身は次の箱根駅伝までに各校のエースと戦えるだけの力を蓄え、今度こそ2区を走りたいと心に決めている。

「都市計画を学びたい」という思いから筑波大への進学を決めた猿橋は、大学卒業後は社会に出て、夢を実現したいと考えている。理想の都市として挙げたのは「丸の内」だ。3年生のときの都市計画インターンシップ実習で、丸の内の秘密を知った。「日本一のビジネス街なのに、だからといってビルが建ってるだけじゃない。広告を規制して統一感を出し、道路もただ車が走るだけの空間ではないんです。広場ではイベントもやってるし、お昼時には芝生の上でランチを食べる人もいる。ビジネスマンもあこがれる町だと思うんです」

いろんなバックグラウンドを持つ選手がいる筑波大は、日比谷のようにさまざまなポテンシャルを秘めている(後列の左から4人目が猿橋、撮影・松永早弥香)

そんな猿橋は箱根駅伝前の共同取材で「筑波大を都市に例えたらどこですか?」とたずねられ、悩んだ末、「日比谷」と答えた。改めていま考えてみてもやっぱり日比谷ですか? そうたずねたら「はい、やっぱり日比谷だと思います」と笑顔で答えた。新宿や渋谷ほど賑やかではない。かといって大手町ほどかっこいいわけでもない。それぞれが相互作用しながら高め合う。一人ひとりが持っているポテンシャルを生かしながら、新しい時代に向けて進化していく。そんな仲間が猿橋のそばにいる。

猿橋は言う。「いままで21年間生きてきた中で一番楽しくうれしくて感動したのが、箱根駅伝の予選会通過と箱根を走ったあの1時間でした。あれ以上の経験をって考えたら、今回の結果じゃ絶対得られない」。猿橋のラストイヤーは、いままで以上に密度の濃い日々になることだろう。

インターハイのリベンジとスポーツドクターの夢を求めて 筑波大医学群・川瀬宙夢(上)

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