5年目で花開き、つかんだ日本インカレと箱根駅伝 筑波大医学群・川瀬宙夢(下)
連載「いけ!! 理系アスリート」の第24弾は、筑波大学医学群医学類5年生で、陸上競技部の川瀬宙夢(ひろむ、刈谷)です。筑波大としては26年ぶりの出場となった今年の箱根駅伝で、川瀬は9区を走りました。3回の連載の最終回は、陸上人生の開花とスポーツドクターへの思いについてです。
「5年生、6年生になっても競技を続ける人はいないよ」。医学群の先輩たちからはそう聞かされていた。すべてを出しきると決めた4年生のときに、駅伝主将を務めた。それでも、狙っていた3000m障害での日本インカレ出場は参加標準記録B(9分1秒)を切れず、箱根駅伝予選会も17位に終わった。後悔のないように毎日を過ごしてきただけに、気持ちが塞いでしまうこともあったという。しかし川瀬の努力は5年生の1年間で開花した。日本インカレ3000m障害で4位に食い込み、箱根駅伝に初出場。「何がきっかけだったと思いますか?」と尋ねると、「吹っ切れました」と笑顔で答えた。
日本インカレ3障決勝、残り600mまではよかった
2年生のとき、3000m障害の日本インカレ参加標準記録に0秒4届かず悔しい思いをした。3年生では切れるという確信があった。しかし3、4年生でも届かなかった。駅伝主将として臨んだ箱根駅伝予選会を終え、改めて病院実習で多忙な現状を振り返った。規定上、川瀬はもう1度だけ箱根駅伝に挑戦できる。しかし、このままやってもチームに迷惑をかけるだけ。その思いから、5年目は箱根駅伝出場を目標にしながら、自分で練習して3000m障害に取り組むと決めた。
平日に練習時間が確保できない分は、土日でカバーした。勉強と競技を両立する難しさを思うと、苦しくなることはあった。そんなとき、川瀬はポジティブに考えるようにしてきた。
「いろんなことは階段になってて、いまは平地を進んでるけど、これからグンって上がるっていうような。勉強に時間が割かれてるときは『いまは集中力をコントロールするとき。そのために勉強してるんだ』って考えてます。勉強は絶対陸上のマイナスにならないし、逆もそう。そんなことを考えてるうちに、ちょっとはプラスの感情が持てたかな」
コツコツと練習を重ね、昨年6月には3000m障害で8分52秒70の自己ベストをマーク。5年目で初めて、日本インカレの参加標準記録を突破した。さらに8月には東海選手権でも優勝を果たした。
迎えた日本インカレ3000m障害の決勝。神奈川大の荻野太成(4年、加藤学園)が一人抜け出し、川瀬は4~5番手から勝負のときをうかがっていた。残り1000mで前を走っていた日大の川上瑠美梨(るみな、3年、関大北陽)と千葉大の今江勇人(4年、仙台三)をとらえたが、残り600mで障害に足をひっかけて転倒。あと2段階ギアを変えようと残していた力は、2人を追いかけるのに使ってしまった。トップでゴールした荻野が失格となったため、川瀬は4位に繰り上がったが、「狙い通りに走れていれば」と思えば思うほど、あと一歩で届かなかった表彰台が遠くに思えた。
筑波の襷をつなぎたい! 大声援を力に変えて
一方でチームは箱根駅伝予選会の突破を目指し、4度の夏合宿に取り組んでいたが、川瀬は実習と日本インカレのため、1度しか参加できなかった。十分な練習を積めていないという思いはあったが、限られた時間の中で調整を重ね、最後の予選会に臨んだ。
筑波大は四つの集団に分かれて走る作戦をとり、川瀬は第2グループを任された。10月末にも関わらず気温は20度を超した。想定通りの走りができないチームもあった中、筑波大は高いチーム力を発揮して走りきり、6位で26年ぶりとなる本戦出場をつかんだ。川瀬は個人で53位、チーム内では5位となる1時間5分1秒のタイムで予選会突破に大きく貢献した。
本戦まで約2カ月。川瀬がやるべきことは明白だった。「走り込みが足りてないのは分かってて、でも平日に時間がとれないのも分かってました。だから土日に走り込んで、平日は回復とつなぎに当てようと考えて練習を組み立てました」。2度目の下見に行った12月初旬に、9区を走ることが決まった。できる限りの準備をし、最初で最後の箱根駅伝に向かった。
高速レースとなり、筑波大は往路を19位で終えた。復路では各中継所でトップとの差が20分を超すと繰り上げスタートとなり、襷(たすき)が途絶える。8区の伊藤太貴(2年、岡崎北)を待っている間、川瀬はスタッフに「襷は届きそうですか?」と声をかけた。「そうだね、あと1分半ぐらいか。ここはつながると思うよ」との言葉に、自分は襷をつなげないのかもしれないと感じた。繰り上げまで57秒で襷を受け取った。「可能性はゼロじゃない。だったら120%の力でやるしかない」と覚悟を決め、最初から飛ばした。9区は23.1kmだが、7.7km地点の権太坂で、もう苦しかった。
桐の葉を胸に、伝統校が26年ぶりに箱根路を駆ける。何度も何度も「筑波!」「川瀬!」と声をかけられた。「知り合いかも」と、声の主を姿を探すこともあった。こんなにも多くの人々に応援してもらえている。驚く一方で、たくさんの元気をもらった。あまりの声援に、弘山勉監督の声かけも部分的にしか聞こえない。「何km通過、何分っていうのは聞こえるんです。でもそのあとの『こっから……』というのがよく聞こえなくて。でも最後の『……いいぞ!』というのは聞こえて、だから僕も『あ、いいんだ』って思ってました」。川瀬は笑って振り返った。自分でもはまっている感覚があり、いい走りができていると自信を持って、前を追った。
15km地点では、往路で走ったメンバーが沿道から前のめりで応援してくれた。その姿は川瀬も確認できた。この日、川瀬の走りを支えようと、家族も総出で応援に駆けつけていた。川瀬は「一番苦しい18km地点にいてほしい」とお願いして、家族はその地点でお手製のうちわを持って応援してくれたが、あまりの苦しさで気づけなかった。最後、弘山監督を乗せた車が川瀬を追い抜く瞬間、監督が川瀬の方を見て大きくうなずいた。その瞬間、襷を届けられないと悟ったが、「最後まで意地を見せてやる」と、持てる力すべてを振り絞った。
10区の児玉朋大(3年、千原台)には襷を届けられなかったが、いまの自分にとっての精いっぱいの走りはできた。区間14位のタイムに悔しさはある。割れんばかりの歓声に包まれた、夢のような舞台に戻れないさみしさもある。それでも川瀬は「思い残すことはない」と言いきった。
スポーツを嫌いになって、やめないでほしい
チームはすでに今年の箱根駅伝予選会に向けて動いているが、すでに4度の予選会を走った川瀬は今年、3000m障害一本で勝負する。現役最後となる日本インカレでは優勝をつかみ、表彰台の一番高いところで「つくばんざい」をみんなと笑顔でやりたい。
その先にはスポーツドクターへの夢がある。初期研修は外科で学び、基本を身につけた上でアスリートをサポートする整形外科医を思い描いている。スポーツドクターはサッカー少年だったときに芽生えた夢だったが、「ここまでどっぷり陸上に浸かってきたので、いまではサッカーよりも陸上に関われたらいいなって思ってます」と川瀬。
もう一つ、陸上を続ける中で芽生えた思いがある。走ることの奥深さをなんとなく理解できるようになったいまは、「陸上は面白い」と素直に感じているが、川瀬自身、もともとは悔しさから競技続行を決めてきた。振り返ると高校3年生のときにインターハイに出場するまでは、陸上が嫌いだったという。
「僕自身、ちょっと勝てるからやってるだけという感じでした。だから、嫌いになることなく、スポーツをやってほしいなって思うんです。そんな成長期の子たちにも、将来携わっていけたらいいな」
これまでの喜びも涙もすべて、川瀬の血肉となっている。