駒澤大1年生のとき、青学の石川雅規さんを見て人生が変わった 服部泰卓2
連載「4years.のつづき」のシリーズ16人目は元プロ野球千葉ロッテマリーンズのピッチャー、服部泰卓(やすたか)さん(37)です。徳島県立川島高校から駒澤大学へ進学、トヨタ自動車を経てプロ入りしました。引退後は講演活動などで野球の魅力を伝え続けています。野球応援団長の笠川真一朗さんが取材・執筆を担当しました。4回の連載の2回目は、駒澤大1年の春、神宮球場で出会ったあこがれの人にまつわるエピソードです。
野球以外の仕事に衝撃の連続
服部さんは駒澤大に入るため、徳島から東京に出てきました。「駒澤に入ってからは衝撃の連続だった」と語ります。服部さんにとって、寮生活や野球以外での雑用、上下関係など初めてのことばかりで「野球以外にこんなにやることがあるんだと思った」と振り返ります。
「練習は試合に出るメンバーが中心で、メンバー外はまず練習の補助。バッティングピッチャーにボール拾い、メンバーの練習が終わったらやっと自分の練習。しかも、そのあとにボール磨き、掃除、食事の配膳、洗濯……。やることが多すぎて、思い描いてたものと現状が違いすぎた」。入学して2カ月はモヤモヤした感じで毎日過ごしていたといいます。環境の厳しさに追い詰められ、「プロ野球選手になる」という目標が徐々にかすんでいってしまったそうです。
目が釘付けになった石川雅規さんのピッチング
大学に入って初めてのリーグ戦が開幕した日、服部さんは神宮球場のスタンドにいました。目の前には青山学院大と中央大の試合。試合が始まるまでは「また寮に帰ったら仕事がいっぱいやな。めんどくさいな」という気持ちだけで、ぼんやりと過ごしていました。それが、青学の左ピッチャーが投げ始めると、試合が終わるまでその人のピッチングに目が釘付けになりました。それが青学のエースで、いまはヤクルトスワローズの石川雅規(まさのり)投手(40)でした。
石川さんの話をするとき、服部さんの目はいつも以上にキラキラしてました。「圧倒的なピッチングで1-0の完封勝ち。点差は1点だけど、それ以上に圧倒してました。何イニング投げても打たれないんじゃないかと思うぐらい、打たれる気配がなかった。自分より背が低くて体も小さい。なのにあんなピッチングができる。猛烈にあこがれたよね。こんな人になりたい! って」。服部さんは完全に石川さんに魅了されました。
高1の秋に練習試合で元読売ジャイアンツの條辺(剛)さんを見たときのあこがれとは、また違ったそうです。体が大きく、自分とはスケールの違う條辺さんは夢のような人。一方で石川さんは、投球スタイルは違っても体の小ささを含めて自分と似ている部分があり、親近感が湧いたといいます。
すべては「石川さんになる」ために
「石川さんになる=プロ野球選手になれる」という感覚だったそうです。それからは野球雑誌に石川さんが載ってれば買ったし、石川さんの練習方法を知ったらそのトレーニングは全部やりました。「絶対に石川さんになるんだ!」。服部さんは最初の2カ月が嘘だったかのように、気持ちが入れ替わってました。
「環境も毎日の仕事が変わるわけじゃないけど、気持ちが変わってからは行動が自然に違ってきた。ボール磨きは『これで握力がついたら石川さんのようなカットボールが投げられる!』。洗濯は『これで腕力がついたら石川さんに一歩ぐらいは近づける!』。そう思えて頑張れたし、仕事があるからって練習をやる時間がないと思ってたのは、自分で時間を作らなかっただけ。それからは仕事が終わってから黙々と練習した」。環境を言い訳にするのをやめたのです。
投手コーチから「バッターやるか?」と言われたこともあり、実質「投手クビ」のところからのスタート。それでも服部さんは「ピッチャーやります」と言い張りました。「4年生の春の神宮のマウンドをイメージした。考えて考えて練習すればするほど、目標に向かっていく過程が変わっていった。無名で能力もないし、球も一番遅かった自分が、2年生の春のリーグ戦で開幕戦の先発マウンドに立てた」。服部さんの努力は着実に実っていきました。
ラストシーズンに開花、6勝でベストナインに
とはいえ、服部さんは、自分が開幕投手を務められたのは当時の駒澤にエースが不在だったからだと言います。前年に全日本大学選手権で優勝したチームから、主力がゴッソリ抜けた状態。2年生の春のリーグ戦で最下位になり、2部に降格してしまいます。「誰も言わなかったけど、完全に自分が戦犯だよね。1戦目に投げてる投手の責任。秋に1部に戻ってこられたけど、成績がなかなか残せなかった。3年生になっても不甲斐ないままで……。そして、4年生の春には腰をけがした」。決して順風満帆にはいきませんでした。「石川さんになりたい!」という思いだけではうまくはいかなったのです。
腰のけがが癒えて臨んだラストシーズンの秋。「初めて花が開いたかなっていう活躍ができた。大学に入ってから思い通りにいかない苦しさもあったし、圧倒的につらいことの方が多かったけど、最後に自分の形が出せたから、投げててすごく楽しかった。『これが自分のピッチングなんだ。これが自分のスタイルなんだ』っていうものを確立できた」。この4年生の秋のリーグ戦で6勝を挙げ、そのうち3戦連続を含めた四つの完封勝利を収めました。チームはリーグ4位でしたが、服部さんはベストナインに選ばれました。
「結果的に大卒でドラフト1位で指名されてないし、石川さんにはなれなかったけど、これまで石川さんを目指して頑張ってきて、大学野球の最後にいい成績を残せた。周りにもいい評価をしてもらって『ちゃんと力はついたんだ!』って自信もついたし、すごくうれしかった」と振り返ります。
いつか、あこがれの人にお礼を言いたい
服部さんは駒澤大での4年間を振り返り「石川さんという存在がなかったら、4年間野球を続けられてたかどうかすら分からない。スタイルもピッチングも全然違うけど、すごく明確な目標になった。あこがれであり、人生を変えてくれた人。勝手に恩人だと思ってる。同じ左投げで、同じように小柄。むしろ自分より小さい。石川さんを初めて見てから、体の大きさは言い訳にできないと思った。ハンデがあると自分から思うのはすごく恥ずかしい。そう思うようになって、頑張れた」。石川さんへの感謝の気持ちが、口をついて出ました。
服部さんは大学時代もプロ野球の世界に進んでからも、石川さんとは話したことがないそうです。プロの試合前の練習で目の前にいることはあっても、あこがれが強すぎて、声はかけられなかったといいます。チームメイトが仲よく話しているのを遠目で見つめて、軽い会釈をした程度だったそうです。いつか感謝の気持ちを直接伝えたいと語る服部さん。どなたか、服部さんを石川さんの元へ連れていってくださる方を募集します(笑)。