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連載: プロが語る4years.

何をしたいかを求め続け、選手兼経営者のいまがある 岡田優介4完

青学時代、バスケで日本一を目指す一方で、公認会計士の資格取得に向けて動き出した(撮影・齋藤大輔)

連載「プロが語る4years.」から男子プロバスケットボールのBリーグ「京都ハンナリーズ」でプレーする岡田優介(35)です。岡田は青山学院大を卒業後、現役選手のみならず会計士として、また3x3(スリー・エックス・スリー)のプロチーム「TOKYO DIME」の共同オーナーなどとしても活躍しています。4回の連載の最終回は、大学生時代に思い描いたバスケ選手と公認会計士としての道についてです。

青学でまさかの2部スタート、バスケも勉強も貪欲に 京都ハンナリーズ岡田優介3

公認会計士の勉強で「自分は凡人なんだな」と気付き

青学でバスケも勉強も存分に学び、楽しむ。岡田の大学生活は充実していた。都内の自宅から青山キャンパスに通い、1限目から5限目までみっちり勉強。その後は県境を越えて相模原キャンパスへと1時間半強をかけて移動し、夜9時ぐらいまで3時間ほどの練習に汗を流す。「帰りは終電になることもあって、そうやって一日が終わっていきました」。さらに週末には試合が待っている。まさに、バスケと勉強で満ち満ちた日々だった。

そんな大学生活に「空き」ができた。勉強も“ハードワーク”したために、3年生の前期までに卒業に必要な単位のほとんどを取り終えてしまったのだ。岡田の好奇心と学ぶ意欲は、次の目標を欲していた。そのアンテナに引っかかったのが、公認会計士の資格だ。「単位を取り終えて授業がなくなった時間に、会計士の勉強がすっぽり入ったという感じですね」。新しい挑戦のスタートだった。

資格は「4年くらいで取れれば」と思っていたが、見込みが甘いことを思い知る。まずは膨大な量の知識を頭に詰め込む必要があることに驚いた。高校時代には1年分の教科書の内容を1カ月で消化した。大学では2年半で授業をほぼ終えた。驚くほどの効率性を発揮してきた岡田だが、公認会計士の勉強ではまったく違う自分を見つけることになる。

「会計士の勉強をしてよかったなと思うのは、すごく過剰な自信を持っていたと気付いたことです。若かったし、それまで文武両道ができていたせいか、他の人が1~2年かかることも、自分なら半年でできるという根拠のない自信がありました。でも、『自分は凡人なんだな』と思いましたね」

公認会計士の勉強は、これまでの勉強とは違う気付きをもたらしてくれた(撮影・齋藤大輔)

ただしそれは、それまでの自分を否定するようなネガティブな気付きではない。「会計士の勉強に、すごい発想とかものすごい頭の回転の速さなんてまったくいらないんですよ」と岡田は言う。求められるのは、とにかく地道に勉強して基盤をつくること。その積み重ねが着実に血肉になっていく。「おかげで、自分の能力は天才的なひらめきなどではなく、コツコツ地道にずっとやれることや、目標に向かい真っすぐ努力する力、諦めない心といったものなんだな、と気付きましたね」

「常にチャレンジしていたい」と選んだ我が道

公認会計士の勉強を通じて自らを学び、その発見をバスケにもつなげた。「自分の強みと弱みが分かって、バスケでの目標の立て方や考え方が変わりました。選手にとって、メンタリティーは非常に重要です。一つのプレーのとらえ方がポジティブかネガティブかで、全然その後が変わってきます。次にいいパフォーマンスを出すために、どういった考え方やアプローチをしたらいいか、少しずつ学んでいきました」

日本一を目指して大学に進んだが、最後のインカレは4位。卒業後はトヨタ自動車アルバルクへ。正社員として入社もできたが、実質的なプロ選手の道を選んだ。

トヨタ自動車といえば世界に名立たる大企業。初めて会社を訪れたとき、「すごくいい会社だな。ここで働けば安泰なんだろうな」と岡田も思ったという。それでもプロ契約を選んだのは、「公認会計士の勉強をする」という理由と、「常にチャレンジしていたい」という思いが消えなかったからだった。そのトヨタ自動車アルバルクでついに日本一となり、公認会計士試験にも合格した。また09年には日本代表に初選出されている。

大学入学時に願った通りプロ選手になったが、その先のプランを具体的に立てていたわけではなかった。「5年や10年で、世界はものすごく変わる。移り変わりが激しい社会で、常に自分のやりたいことができるようになっていたいので」という思いが常にあるからだ。

思えば社会人1年目にはJBL(日本バスケットボールリーグ)という実業団のリーグだったが、いまはプロリーグへとフォーマット自体が移り変わっている。岡田自身もこれまでに4度の移籍を経験。08年にはリーマンショックが世界中を揺さぶり、苦労の末に公認会計士の資格を取っても、就職がままならない人も見てきた。それでも「好きなことにチャレンジし続けていたい。いまはそれがバスケということ」と、気持ちをぶれさせず突き進んできた。

TOKYO DIMEからオリンピック選手を

勉強を継続するという意味では、他の資格でもよかった。その中で公認会計士を選んだのは、コンサルティングや企業経営など、バスケ選手として以外にも世界を広げていけるという思いがあったから。実際に飲食店を経営し、人の縁を得てTOKYO DIMEの共同オーナーにもなった。

TOKYO DIMEの選手とともに、3x3のイベントに参加することも(右奥が岡田、撮影・松永早弥香)

新たな立場に立つことで、選手としての自身への目の向け方も変わった。年齢を重ねたこともある。コーチや経営者の視線から、自分をより客観視するようになっていった。

「その年においてチームにどんな貢献できるか、どういう形で自分の能力を生かせるかを考えるようになりました。自分ですべてやってやろう、という立場でもないし。経験を生かして後輩をどれだけ成長させられるかとか、経験を伝えていくという役回りになっていると思うので。何を求められているのかを常に考えていますね」

16年に京都ハンナリーズに移籍したころには、日本代表復帰を思い描いていた。視線の先には東京オリンピックがあった。だがいまは、TOKYO DIMEからオリンピック選手を送り出すことを目標としている。「選手がオリンピックで活躍できるように、いい舞台を用意してあげたい。自身の選手経験から、どうすれば選手が充実してプレーできる環境をつくれるか」。スポーツと勉強、選手と公認会計士、その相互作用の好循環は止まらない。

TOKYO DIMEをスタートさせた14年、まだ3x3は東京オリンピックの正式種目には選ばれていなかった。思いもしない形で、世界は突然姿を変える。それがネガティブなものばかりではないことを、バスケは教えてくれた。

「具体的な目標を決め過ぎなくていい」

昨年までは超売り手市場と言われていた学生の就活も、新型コロナウイルスの影響で状況は一変してしまった。もしかしたら不安を抱えて過ごしているかもしれない学生に、岡田はこう語りかける。

「いまスタンダードだと思われるものが、もしかしたら3年後にはまったく別のものになっているかもしれない。そういう時代なので、何か一つの物事や考え方に没頭せず、あまり具体的な目標を決め過ぎなくていいのかなと思います。何になりたいかよりも、何をしたいかベースで。例えば、公認会計士として何をしたいか、プロスポーツ選手になれたら何をしたいのか。そういう考え方をした方がいいのかなと僕は思います」

岡田は常に「何をしたいか」を自らに問い続けてきた(撮影・齋藤大輔)

東京オリンピックも延期が決まったが、大事なのはそのとらえ方だ。

「そういうことが起きることも当然あり得ると思っているので、あまりネガティブには考えていません。変わらず心を強く持って、やるべきことをやっていく。逆にチャンスだと思わなければいけないと思っています」

いつだって、楽しんだ方がうまくいく。子どものころから、ずっとそうやって歩んできた。

見て学ぶことに長けたスポーツ万能少年がバレーと出会った 石川祐希1

 

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プロが語る4years.

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