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連載: プロが語る4years.

自主練で鍛え、新潟経営大で関東超えを 今村佳太(上)

今村は新潟経営大学を卒業後、新潟アルビレックスBBに進み、来季は琉球ゴールデンキングスでプレーする(提供・B.LEAGUE)

いささか乱暴な表現だが、日本の男子大学バスケの歴史は、すなわち関東の大学の歴史だ。71回におよぶインカレの優勝校は、すべて関東学連の所属チーム。関東以外の大学がベスト4以上に進出した例は、わずか23回にとどまる。Bリーグに進み、各クラブのエースを担う選手も、大半が関東の大学出身者。こと日本代表レベルともなると、地方大出身者が分け入るスキはほぼないというのが現状だ。

その中にあって、新潟アルビレックスBBの今村佳太は、希少な地方大出身のスター候補だ。新潟県長岡市出身の24歳は、新潟経営大学を経て17年にアルビBBに加入した生粋の新潟っ子。体の強さとシュート力を生かしたプレーで早くから頭角を現し、18年のアジア競技大会日本代表にも選出された。

プロ4年目となる来季は、西地区屈指の強豪・琉球ゴールデンキングスでプレーすることが決まっている。「今、僕がプロで頑張れている理由の一つは、『関東の大学出身者に勝ちたい』というハングリー精神です」。そうきっぱり話す今村の大学時代を2回連載で振り返る。

高校ラストシュートの悔いで決意

新潟県立長岡工業高校時代の最高成績は県ベスト8。県選抜などとも無縁だった今村に、大学でもバスケを続けさせるきっかけをつくった試合がある。3年生でのインターハイ予選2回戦。「県ベスト4以上」という大きな目標を掲げて挑んだトーナメントの序盤で、長岡工はまさかの敗北を喫した。逆転を狙った今村のラストシュートは無情にもリングを外れ、高校バスケは志半ばで強制終了。「自分の中ですごく大きな悔いが残ってしまって。それで、大学でも真剣にバスケをやりたいと思うようになりました」と今村は話す。

新潟経営大に進んだ一番の理由は、誘いを受けたチームの中で新潟経営大が最もインカレに近い位置にいたから。長岡市の自宅から大学まで、車で1時間という通学時間はネックだったが、早くから目をかけてくれた田巻信吾監督のもとで、納得がいくまでバスケを追求したいという思いが勝った。「自分で考え、自分に合った努力をせよ」。恩師と慕う田巻監督の言葉を胸に、今村は新たなスタートを切った。

納得がいくまでバスケを追求したいと考え、地元・新潟で最もインカレに近かった新潟経営大に進んだ(提供・BOJ)

高校時代は1試合30得点も珍しくないような点取り屋。中学まではガードとしてプレーしたため、アウトサイドのプレーも難なくこなせる。そんな強みを発揮した今村は2年次からスタメンとして起用され、リーグ戦では得点王を獲得。冬には新潟経営大として3年ぶりとなるインカレ出場も決めた。今村にとっては初めての、念願の全国大会。しかしそこで彼は「全国」、いや、「関東」の強烈な洗礼を浴びることになる。

関東最下位のチームに知らされた現実

1回戦の日本体育大戦。新潟経営大は前半終了時点で23-48と、のっけから大差をつけられた。後半は日体大が主力を下げたため点差が詰まり(最終スコアは70-89)、今村はチームハイの22得点を挙げたが、「ボコボコにされた」という記憶しか残っていない。

「とくにすごかったのが、一人ひとりのフィジカルの強さ。当時かなりヒョロヒョロだった僕は、前半からかなり削られて、ハーフタイムの時点で体力的にピークでした。それでも最後まで必死にプレーしたけど、日体さんはチームディフェンスも強くて、自分の形で点をとれなかった。つかめるものがなかったというか、何も通用しなかったっていう印象が強いです」

日体大は関東大学リーグ2部に所属しており、インカレ出場枠は関東最下位の13位だった。それにも関わらず、北信越2位の新潟経営大は完膚なきまでに敗れた。関東と地方では、身体的にも技術的にもこれほどに差があるのか……。今村だけでなく部員全員がそれを痛感し、彼らに近づこうと考えた。

関東に負けないようなフィジカルを

そして、オフを挟んで迎えたシーズンイン。チームは「関東に負けないようなフィジカルをつくる」というテーマを掲げ、実行に移した。ウエイトトレーニングは毎日実施。体重管理も厳格になり、3日に1度の計測日に体重が少しでも増えていなければ、練習に参加できなかった。「みんなで必死にウエイトして、必死にごはんを食べていましたね」と笑う今村も、最低でも2時間に1回の頻度で食べ物を口に運び、入学時78kgだった体重を、最終的には92kgまで増量させた。

プレー面でも対策を立てた。関東の強豪と比べてサイズが劣ることと向き合い、リバウンドに跳ぶ前の接触を工夫し、有利な状況をつくる技術を磨いた。そもそものリバウンドのシチュエーションを減らすために、シュート力の向上も目指した。

フィジカルが強い関東に勝つため、今村(右)はウエイトトレーニングに毎日取り組んだ(提供・BOJ)

今村は当時を振り返る。

「高校の時と比べて大学では全体練習以外、つまり自主練習でどれだけ成長するかを考えてバスケをしていました。シューティングはスタンディングのものだけでなく、ドリブルをするなどゲームに近い形のものも取り入れていました。1対1の練習も、仲間と一緒に2~3時間くらいやっていたような気がします。練習時間はおのずと増えましたね」

今村は身体的な面で遅咲きの選手だ。高校3年間で身長が15cm伸び、大学入学後しばらくしてから191cmでそれが止まった。身長が伸びている途中の選手は、パフォーマンスが不安定になりがちで、筋肉もつきにくいと言われる。自ら考え、行動できる年代と、トレーニングの効果を最大限に発揮できる時期が重なったことは、彼にとって大きな幸運の一つだったのかもしれない。

打倒関東の思いは今も、地方の子ども達に夢を 新潟アルビレックスBB今村佳太(下)

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