陸上・駅伝

特集:第89回日本学生陸上競技対校選手権大会

日大主将・丸山優真「五輪よりもインカレ」 けがを乗り越え、1年3カ月ぶりの舞台

日大主将としての責任を胸に、丸山は1年3カ月ぶりに十種競技に帰ってきた(撮影・藤井みさ)

第89回日本学生陸上競技対校選手権大会

9月11~13日@新潟・デンカビッグスワンスタジアム 
男子 十種競技
3位 丸山優真(日大4年) 7278点
100m 11秒03(向かい風0.4m)
走幅跳 7m06(追い風0.6m)
砲丸投 12m15
走高跳 1m90
400m 49秒96
110mH 15秒96(向かい風0.7m)
円盤投 40m54
棒高跳 4m50
やり投 58m83
1500m 5分00秒46

キング・オブ・アスリートを決める十種競技。その有望株として混成競技関係者の期待を集めていたのが、身長193cmと体格にも恵まれた丸山優真(日大4年、信太)だ。昨年6月の日本選手権は8種目目の棒高跳終了時点では、リオデジャネイロオリンピック代表コンビの右代啓祐(国士舘クラブ)と中村明彦(スズキ)を抑えてトップに立っていた。しかし背中の痛み(胸椎椎間板ヘルニア)で9種目目以降を棄権することに。一時は再起も危ぶまれる状態だったが、日本インカレで1年3カ月ぶりに十種競技に帰ってきた。

初日最後の400mでハムストリングが痙攣

顔をしかめることもあったが、丸山は笑顔を絶やさずに初日の5種目をやり切った。最初の100mは11秒03(向かい風0.4m)。自己記録が10秒80なので、向かい風を考えたら悪くはない。だがスタートは明らかに、全力のダッシュはできていなかった。

2種目目の走幅跳は7m06(追い風0.6m)。自己記録より47cm悪かった。丸山の担当コーチである日大・加藤弘一部長は「着地で背中への衝撃が大きいので、全助走(試合用の距離の助走)の練習ができなかった」と言う。

3種目目の砲丸投が12m15と、自己記録の13m12から1m近くショートした。「砲丸投とやり投の練習も怖くてやっていない」(加藤部長)という状態である。それでも参加選手中この種目では1位を占めた。

4種目目の走高跳は1m90で、自己記録の2m02を12cmも下回った。1m90まですべて1回目でクリアしたが、次の高さの1m93以降を棄権した。「背中が丸まってねじれるとヘルニア再発の可能性がある」(加藤部長)と、跳躍本数を3本に制限したのだ。

ヘルニア再発の可能性を考え、走高跳は3本に制限した(撮影・藤井みさ)

5種目目の400mは49秒96。前半をかなりゆっくり入ったが、後半で組2位まで浮上していた。自己記録には0.08秒届かなかったが、十種競技中の最高記録で走りきり、「よっしゃあ」と叫んでいた。無観客試合ではあったが、何人かのインカレ出場選手と加藤部長らスタンドで見守った日大関係者を安心させた。

初日の合計得点は3823点で、初日に得意種目が多い川上ヒデル(関西学院大3年、鳴尾)が4010点でリードした。丸山は自己記録(7752点)の時より200点近く少ないが、笑顔でオンライン会見に臨んだ。

「背中(胸椎)の痛みはまったく問題ありませんが、左足首に昔から不安がありますし、3月の沖縄合宿で左脚のハムストリング(大腿裏)を肉離れして、違和感が今も残っています。そこが400mのアップ中からピクピクしていました。バックストレート(100~200m)では痙攣(けいれん)しかけて、やめようかと思ったくらいです。でも、色々な思いがあったので走り続けました」

走る種目はそれなりに練習ができていたし、練習ができていなかった跳躍種目と投てき種目もそこまで悪くなかった。優勝や自己記録は無理でも、翌日の後半5種目もやり遂げて上位に食い込む。そう思わせた1日目の丸山だった。

胸椎椎間板ヘルニアでトレーニングができない日々

丸山が苦しめられたヘルニアは、内臓の位置がずれ、神経が圧迫されて痛みやシビレなどの症状が発生する。「昨年の日本選手権が終わって1~2カ月、左脚にずっとシビレがありました。シビレは初めての経験でしたし、今後どうなっていくか分かりません。その期間が一番不安でした」と、丸山はつらかった時期を話す。

加藤部長は、「一時は競技をあきらめないといけないかもしれない、と覚悟した」と言う。「手術もできない場所で、ひどくなると『下半身不随になる可能性もある』とドクターから言われました。スポーツができるようになるかどうか、半信半疑の状態がずっと続いていました」

そんな状態でも丸山は一度もあきらめなかった。明確な線を引きにくい症状だが、3カ月目くらいからシビレがとれていった。しかしドクターから練習の許可が出る気配は一向になかった。「シビレは治って違和感もなく動けるのに、練習をするのを我慢しないといけない。ここまで筋力トレーニングは一切していません。その状態もつらかったです。毎日毎日、『無理するな』と自分に言い聞かせていました」

そんな日々に耐え続けられたのは、走幅跳の橋岡優輝(日大4年、八王子)や棒高跳の江島雅紀(日大4年、荏田)らとともに、東京オリンピックに出場する目標があったからだ。

昨年9月の日本インカレでは、応援団長的にスタンドを駆け回り、チームメートに精一杯の声援を送った。だが、日大は4点差で総合優勝を逃してしまった。丸山は「自分が出場していたら」、と責任を痛感していた。試合に出られない日々をじっと耐えたのは、東京オリンピックという目標に加え、必ず復帰してチームに貢献する思いが強かったからだ。

体調が万全でない丸山が主将に選ばれた理由

丸山は高校時代、八種競技の高校記録を120点も更新し、大学1年生では十種競技のU20日本記録も更新した。その時の更新幅がけた違いで、東京オリンピックへの期待の星と見られるようになった。しかしどんなに競技成績がよくなっても、レベルが下の選手にも自然体で接していた。その人柄が、周りの部員たちを明るくした。

復調に向けて頑張る丸山の姿に、日大の仲間たちは励まされてきた(撮影・藤井みさ)

今年に入って練習の許可が出て、走る練習はある程度はできたが、跳躍と投てき種目は負担が大きく、今も練習制限が課せられている。その状態でも主将に選ばれた。丸山の復調に向けた頑張りを見た他の選手たちのモチベーションが上がること、そして丸山がチームメートから好かれていることが理由だった。

丸山個人の今シーズン最大の目標は、日本選手権に置いていた。そこで2位以内に入れば来年のアジア選手権の代表に決まる。大会のグレードが高いアジア選手権は、割り当てられているワールドランキング用の順位ポイントが高い。アジア選手権で8000~8100点を出せば、東京オリンピック出場に近づくと関係者間では言われている。

「日本インカレはキャプテンとして、点数を稼ぐことはもちろんのことですが、けがなく10種目を終えて、2週間後の日本選手権に向けて感覚をつかむことが目的で出場することを決めました。スタッフの先生方からは止められましたが、背中は問題なかったですし、インカレに出られること自体が幸せだと思ったからです」

東京オリンピックにつながる道のスタートを切ることと、学生最後の対校戦でチームに貢献すること。そのふたつを自身の体調を見極めながら10種目を行っていく。丸山の日本インカレは、自身との難しい戦いを強いられる大会になった。

途中棄権と競技続行の難しい判断

初日の400mでは希望が膨らんだが、2日目最初の種目(6種目目)の110mハードルは不安を感じさせた。向かい風ではあったが15秒96(向かい風0.7m)と、自己記録から2秒06も遅かった。「今朝、動いてみたらハムが痛かった」ため、思い切って走れなかった。110mハードルの後、加藤部長は途中棄権するように説得したという。

「やめようぜ、と丸山に言いました。ここで無理をしないでおけば、日本選手権に出場できる。オリンピックの夢に向けてやろう、と。それに対して丸山はこう答えました。『先生、日本選手権はいいです。オリンピックもいいです。オリンピックよりインカレで、キャプテンとして頑張りたいんです』と。これには、胸が熱くなりましたね。自分自身の日本選手権タイトルやオリンピック出場よりも、日本大学のキャプテンとして、チームのために1点でも点数を取ることを選んだ。総合優勝への熱い思いが伝わってきました」

2日目最初の種目である110mハードル後、加藤部長は丸山に途中棄権するように説得した(撮影・藤井みさ)

指導者は選手の将来のことを考え、選手は指導者やチームメートら周囲の人たちのことを考える。陸上競技は個人種目ではあるが、総合優勝を目指すチーム戦では、こうした状況が生じることがある。

7種目目の円盤投は40m54と、今年8月に投げた41m34の自己記録に迫って、前日の砲丸投に続いて出場選手中トップを占めた。練習では正規の2kgの重さではなく、軽めの円盤でしか投げていなかった。ウエイトトレーニングもしていない。それでもベストに迫る記録を出せる。丸山の能力の高さを改めて示した。

8種目目の棒高跳は跳び始めた高さの4m20を1回失敗してヒヤッとさせたが、2回目で成功すると、続く4m40も2回目にクリア。4m50は硬めのポールに変更して1回で成功し、その後の試技を棄権した。「ポーンときれいにポールを立たせることができたので、日本選手権に向けて良い感覚を得られました」(加藤部長)

9種目目のやり投は1回だけ投げて58m83と、出場者中3番目の記録。投てき3種目は練習をしていなくても、学生レベルなら十分に通用した。

そして最終種目の1500mは5分00秒46。自己記録には22秒差があったが、トータルでは7278点(3位)で10種目をやり遂げた。

ほぼ練習もできず、痛みを抱えながらも、丸山は1年3カ月ぶりの十種競技を最後までやり遂げた(撮影・藤井みさ)

加藤部長はこの結果を「ビックリですよ」と表現した。「1年3カ月ぶりの十種競技で、走りはアップシューズでしかやっていませんし、ウエイトは一切やっていません。試合中も途中で脚が痛くなって、それでも7300点近くとってしまうんですから」と、丸山の潜在能力の高さを改めて確認した大会になった。

日本選手権「普通にやれば、8000点は出ます」

丸山自身は「十種競技の疲労感はやっぱりすごいです」と、昨年5月の関東インカレ以来、1年4カ月ぶりに十種競技をやり切った感想を話した。「十種競技の楽しさも、難しさも改めて感じた大会になりましたね。(けがやヘルニア再発と隣り合わせで)どの種目もポイントを絞ってやりましたが、3本の中で記録を出すのでなく、集中してやることで1本で決める重要性が分かりました」

110mハードル後に競技続行を止められたが、丸山の中ではいける感触があったのだ。「ヘルニアの心配はなかったですけど、万が一のことを考えて、棒高跳もやりも(全力ではなく)絞ってやりました」。円盤投、棒高跳、やり投、1500mは、最大スピードで思い切り走る種目ではない。本来であれば1500m以外は瞬発的な動きも必要だが、インカレであれば、気になっていたハムストリングに負担をかけない動きでも入賞できる。その判断が間違っていればけがを悪化させる結果になったが、丸山の判断は間違っていなかった。

日本インカレをやり切ったことで、9月26~27日と2週間後に迫った日本選手権に向けて、手応えも感じられた。「足首やハムの痛みが出ないように気をつけないといけませんが、疲労を抜いていって普通にやれば、8000点は出ます。少し自信を持たせていただきました」

日本インカレ後のダメージなど心配される部分はあるが、東京オリンピックへの道をつなげることに成功しながら、丸山の学生最後の対校戦は終了した。

「オリンピックをあきらめる」の言葉に込めた覚悟

今年の日大は100.5点の大量得点で、2位の東海大に37.5点差で圧勝した。丸山は点数(3位=6点)で貢献したというより、キャプテンとして頑張る姿勢を見せ続けることで、チーム力を高めた。

自己記録の7752点で3位に入った、2018年の日本選手権後の丸山(左)と加藤部長(撮影・寺田辰朗)

十種競技翌日の閉会式後に、丸山に総合優勝の感想を聞いた。「そうですね。一番の目標としてオリンピックがありましたが、キャプテンとして一番やりたかったのが総合優勝だったので、うん、一番取りたいと思っていたので、取れてよかったです」。いつもの笑顔とは少し違って、何かを思い浮かべながら、静かな口調で話したのが印象的だった。

閉会式後の取材は加藤部長とふたり一緒に話を聞いたが、110mハードル後に「オリンピックをあきらめる」と話したやりとりについて、丸山に質問した。「そのくらい言わないと、加藤先生は続けさせてくれないです」

加藤部長は丸山の顔を見ていなかった。いつもの表情で前を見つめていたが、少しだけ笑みを浮かべていたように見えた。選手の思いも指導者の思いも、凝縮されて結果に表れるのが、インカレである。

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