「試合ができることのうれしさ」かみしめてもいいのでは 特別なシーズン開幕
4years.をご覧の皆様こんにちは。アメフト応援団長のコージ・トクダです。
さて、10月に入りアメフトシーズンが始まりました。プレーする側も観る側も、またひと味違う緊張感のある時期なのではないでしょうか。起承転結でいうならば「結」の時になりますか。今までの練習やトレーニングでの努力が結果となって帰ってくる時です。
いざシーズンを迎えた今はどんな気持ちですか?
試合に向けて不安でいっぱいですか?
それとも自信に満ち溢れていますか?
自分達との闘いでもある
特に今年は、例年に比べて練習ができなかったり、集まることさえ許されなかったりと特別なシーズンです。そんなシーズンを迎えたことで、不安であってもおかしくありません。
特にアメフトというチームメートとの呼吸を合わせないといけないスポーツでは尚更。そういう意味では、今年は対戦相手のみならず自分達との闘いでもあると言えます。
かくいう僕自身も、不安がないわけではありません。そもそも10年振りの復帰な上に、3月に入団発表をしてから6月まで一切練習ができなかった。この時は不安な気持ちから、いっそのこと「今年は試合がなければいい」とさえ思いました。じっくり、来年の試合に向けて準備すれば丁度いいだろうと。
でもそんな想いも、いざ6月末に練習が始まってからはなくなりました。不安よりも大きく押し寄せた想いがあったからです。
「アメフト楽しい」
この想いがカラダ全体に染み渡るように広がっていくのが分かりました。ずっとカラダのどこかで堰(せ)き止めていた熱いエネルギーを解放した時にこの楽しさが不安を取り除いて行きました。
自分よりも大きな相手に当たってドカンと脳が揺れる感覚。
見えない所から手が伸びてきてグイッと押し返される感覚。
ボールに対してハイエナの様に貪欲になる感覚。
風呂に浸かった時のヒリヒリで怪我に気づくあの感覚。
これらすべてひっくるめて「早く試合がしたい」。今はこの想いです。
学生へ、あまり意識しないことに目を
僕が学生の頃のシーズン前は、究極に感覚が研ぎ澄まされていた様に思います。自分自身のみならずすべてのことに敏感だった。どうすれば勝てるのか。この発言やこの行動は、負けへの助長に繋がるのではないか。そんな想いが押し寄せた。練習以外ではゴミのポイ捨てはもちろん、どんな小さな道でも信号無視はしないなどの当たり前のモラルを徹底した。すべては「勝利」のため。
「試合=勝利のため」
それ以外は何もなかった。そんな学生時代を過ごしていた。
今年、特別なシーズンを迎える学生の皆様へ。僕自身がそんな学生時代を過ごしていたのだから無責任なことは言わない。今年だけは、勝ち負けのしがらみから少しだけ解放して、「試合ができることの嬉しさ」を噛みしめてもいいのではないでしょうか?
例年なら、あまり意識をしないことに目を向けてみよう。
観客が座って応援してくれていることへの感謝
審判員のお陰で試合が円滑に進むことへの感謝
対戦相手がいることへの感謝
グラウンドへの感謝
もし、今年が「アメフトの楽しみを味わう特別な年」という宿命だとしたら、僕自身復帰したタイミングは最高だったと言えます。
特別なシーズンを迎える故に、存分に楽しんで、そして、勝つ。